旧モフセン王国ハスロ公爵領郊外 アクセルソン ※エロ・グロ表現注意
第1話 元公爵令嬢
ウェセロフ帝国初代皇帝レオニード・アニシェフは苛立っていた。
レオニードが好む静寂と安寧が妨げられている。
自分を常世から放逐した
ハジュマの殺害を命じたアルトゥーロとリュドミラが喰われた。
あろうことか、レオニードたちが滅ぼした人間の国の亡者の魂に、だ。
「あの男の目的は何だ!?」
肘掛けに置いた右手の親指の爪を噛む。
リュドミラの放つ呪は効果がなかった。
効果がないどころか、ドォズナの力を宿した
それは、必然と言えば、必然である。
レオニードたちは、呪により、父であるドォズナ神の力を行使しているのにすぎない。
ドォズナ神に力を放っても、吸収されるだけだ。
「ニキートヴィヒよ、これへ」
レオニードが闇の中から術師を呼んだ。
床に落ちた影から現れた男が眼前に跪いた。
男は頭から黒布を被っている。
「牛車を用意してくれ。
そして、我が父の聖痕を持つという人間の迎えを頼む」
「御意にございます」
人間を帝都に迎える目的をニキートヴィヒから尋ねることはない。
レオニードからの命に、短く答えた。
黒い大地を裸足で踏みしめて歩くハジュマの跡に道ができる。
破壊された死の地に、緑が芽吹く。
ウェセロフ・モへレブ戦争を生き延び、避難して暮らす元モへレブ王国民は、神の姿を見た。
四十に届かぬうちに死した最後のモフセン王が続く姿に、かつての王国民は唖然とした後、涙を零す。
手を取り合う者たちもいる。
その多くは女たちだった。
生き残った男の数が少ない。
マリー・ハスロもそのうちのひとりだ。
侍女たちとともに逃亡したリジル・ハスロの妹である。
近くの小川に、汚れた寝具や衣類の洗濯に来ていた。
小川の水もきれいとは言い難いが、口にしないものならば、ここで洗う。
マリーはそこで、自身の末子ミカエルとともに自分を逃してくれた国王陛下の姿を目にした。
思わず頭を下げ、カーテシーを取ろうとしたが、手に取れるほどの布も着用していないことに気づいた。
己を恥じ、その場に座り込み、ただ地面に額を擦り付けていた。
涙が
先んじてエラム帝国に逃されたエヴァを追って、ミカエルとともに王宮から西進へと逃れたマリーは、野盗たちに捕らえられ、ウェセロフ帝国人の食用家畜業を営む男の情婦になっていた。
男はウェセロフ帝国人風に、ウリヤーンと名乗っているが、マリーは本名ではないと思っている。
マリーは、ウリヤーンの情婦とも言えない。
好みの家畜の一匹にすぎない。
マリーはウェセロフ人用に出荷されることなく、ウリヤーンの手元に置かれているだけだ。
マリーにとっては、なんの因果か――ウリヤーンはモフセン王国中央南部、ハスロ公爵内郊外にあるアクセルソンに屋敷を構え、城を家畜小屋とした。
美しかった田園風景も今はもう見られない。
黒い大地が広がるだけだが、ハスロ公爵が守り通した城内はウェセロフ軍に侵攻されないまま残っていたので、辛うじて作物が育ったからだ。
ウリヤーンなのか――父親が誰か判別のつかない子どもたちを、マリーは何人も産んだ。
家畜小屋には子どもたちが何人もいるが、どの子がマリー自身の子かすら、判別がつかない。
皆、自分の子であり、自分の子ではないと思いながら、出荷されていくまでの世話も、マリーたち、ウリヤーン好みの女たちに任されていた。
――自分の子であり、自分の子ではない。
そう思わなければ、心が壊れてしまうと、マリーは思った。
そう思えずに、自ら死を選んだ女たちも多くいた。
そして、その女たちの亡骸もまた、ウェセロフ人用に出荷されていく。
たくさん子どもたちはかわいくもあるが、昼夜問わず世話をすることには疲弊していた。
ウリヤーン好みの他の家畜たちとともに、子どもたちに母乳を与え、育てた。
自分たちみんなの子どもたちだ。
しかし、慈しんで育てた子どもたちは出荷されていく。
男の子の出荷は、女の子と比較すると早かった。
従順な男の子はウリヤーンの手元に置かれ、働き手として選ばれた。
女の子もウリヤーン好みに育ったならば手元に置かれ、好みでなければ出荷されていった。
食用として出荷されていく子どもたちを見送る際、自分の子だと思ってしまったが最後、悲しみと怒りと罪の重さと絶望に、胸が張り裂け、気が触れてしまう。
だから、マリーは心を壊す選択をした。
――自分の子であり、自分の子ではない。
マリーはまだ十九歳だ。
いずれウリヤーンが自分に飽き、子どもたちの代わりに出荷される日を、心待ちにしていた。
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