第9話 郷愁と昔と

 優しい? この俺が?

 そんなことを言われたのって初めてだよ。

 心臓がドキドキして、なんだか落ち着かない。


「そんなことないよ。こっちこそごめん。そんなこと知らなかったから、あの時はついはしゃいじゃって」


 花火の夜は楽しかった。

 思いがけずに訪れた幸運に浮かれてしまって、穂綿さんの気持ってあまり考えていなかった。

 本当に、俺なんかが一緒にいてよかったのかなあと、また不安になる。


「ううん。あの日はあのまま帰ってたら、ずっと家で凹んでたかもしれないし。だからありがとう桐谷君、一緒にいてくれて」


 そんなふうに言ってもらって、ふっと心が軽くなる。

 こんな俺でも、少しは役に立てたのかな。

 でも、穂綿さんはそれでほんとにいいのかなって、やっぱり思ってしまうけど。


「そうね、私だって彼と仲良くしたいけど、でもそれでまゆちゃんとの仲がぎくしゃくするのは嫌なんだ。私にとっては一番の親友だからさ」


「そっか。それもそうだよね……」


 いわゆる三角関係ってやつかな。

 愛情か友情か、難しい問題だ。


「ごめんね、桐谷君を、こんなことに巻き込んで」


「いいよ。花火は綺麗で、楽しかったから。俺だってあのまま帰ってたかもだけどさ、穂綿さんに声をかけてもらったお陰だよ」


「……ありがとう。やっぱり桐谷君、優しいよ」


「そ、そうかな……」


 なんか照れ臭い。

 穂綿さんの顔を、まともに見られない。


「ねえ桐谷くん、だからお願い、この話は黙っていて欲しいの。まゆちゃんにも流星にも、知られたくないんだ」


 切なくて辛そうで、でも綺麗な微笑みだ。

 そんな顔ができるのは、きっとその二人のことを、本当に大事に想っているからだろうな。


「……分かったよ。穂綿さんがそう言うならさ。大事な友達なんだね?」


 それくらいのことしか言えないな、俺には。

 親友のためとはいえ、そっと涙を流すほどに、彼女の心は痛んでいるはず。

 なにかを話せば、余計に彼女のことを傷つけてしまうかもしれない。


「そうね。この学校で初めて出来た友達が、まゆちゃんなんだよね。それに私、あんまり友達って多くないからさあ」


 えっ? そんなことはないと思うけどな。

 いつもたくさんのクラスメイトにも囲まれているし、他のクラスからだって話しかけにくるじゃない?

 かなり男子の比率が多いっていうのはあるけれどもさ。


「そうなんだ? いつもみんなと一緒にいるから、そんなことはないと思ってたけどな。俺なんかほんとに、こっちには友達がいないよ」


 若干一名、安君を除いてだけどね。

 ちょっと自虐的なネタも入れてみて、話を柔らかくしようとしてみる。


「こっちにはって……桐谷君は、どこかから引っ越してきたの?」


「うん、そうなんだよ。岐阜県の山の中にずっと住んでてさ。四月から東京に来たんだ。だからなかなか慣れなくってね」


「……ふ~ん……」


 何をしゃべってるんだ、俺。

 別に俺のことなんて、話したって面白くもなんともないのに。


「ねえ、そこってさ、どんなところなの?」


「えっと……なにもないとこだよ。コンビニもデパートもカラオケも。駅までは遠いしさ。でも……」


「……うん、なに?」


「景色は綺麗だったと思うよ。これからは秋だから、山の木がわっと赤くなるんだ。冬になったら雪が降って、近くのゲレンデでスキーやスノボができるんだ。春には野桜が咲いて、夏は小川で泳いだりしてたなあ」


 不思議だ。

 ずっとそこに住んでた時には当たり前だったけれど、住む場所を変えて遠く離れてみると、少し懐かしく思うんだ。


「……そっか、いいなあ。私はそんなの見たことがないから、一度行ってみたいなあ」


「そうかな。でも、一週間もいたら、飽きるんじゃないかって思うよ」


「岐阜県か……確か、お母さんの実家が、その辺にあったんだよね」


「あ、そっか。じゃあ意外にそことも近いかもね」


 何気なくしゃべったことだったけど、穂綿さんが意外に興味を示してくれた。


「お母さんの実家があるなら、そこへは行ったことはないの?」


 思ったことを口にすると、穂綿さんの表情がまた曇った。

 朱色の唇をきゅっと結んで、何かを噛み締めているような。

 どうしたのかなって、不安になる。


「うん、ないんだ。お母さんのお父さんやお母さん、私のお爺ちゃんとお婆ちゃんね。私が生まれて直ぐに亡くなっちゃったから。その時に、実家を処分しちゃったんだって。それからお母さんに話は聞かせてもらったよ。さっきの桐谷君の話と、同じようなことをね。でも……」


 じっと、なにかを迷っているようで。

 遅い夏の生暖かい風が、静かに通り抜けていく。


「中一の時に、お母さんも亡くなっちゃったからさ。だからそれっきり」


「…………」


 言葉が出て来ない。

 想像していたよりも、重たくて、大切な話だったから。

 いつも明るい穂綿さんに、そんなことがあったなんて。

 能天気にしゃべってた自分が、恥ずかしく思えてくる。


「あ、ごめんね。ついしゃべっちゃった」


「あ、いや、いいよ……お気の毒だね、お母さん」


 それ以上、なにも言えない。

 こんな時に気の利いた言葉で何か言えたらいいのに、陰キャの頭には思い浮かばない。

 でもそんな俺に穂綿さんは、逆にほほ笑みをくれる。


「ありがとう。それよりさ、桐谷君。日曜日の件も、お願いしていいかな?」


「え、日曜日?」


「うん。水族館に行くってやつ。三人で約束してるんだけど、今さら行かないってのも変だし。かといってさ、今は私も、どうしていいかよく分からなくて……桐谷君にいてもらえると、なんか心強いなって」


 確かに今のままの三人だと、気まずいのかもしれないな。

 特に、複雑な想いを抱えている穂綿さんは。

 いやいや、けど……


「ちょっと待って! それ、ずっと三人で一緒だったんでしょ? 急に俺なんかが入っていいのかな?」


「うん。まゆちゃんもそれでいいって言ってたし。なんかダブルデートみたいで楽しそうじゃない?」


 うわっ、そんな胸がトキめくようなことを……!

 思いがけずに出て来た言葉に、また心を揺さ振られる。

 休日に女の子とデートだなんて、やったことないんですけど。

 でも、この前の花火だって、ちょっとはそれっぽかったりするのかな?


 流星っていうのがどんなやつなのか分からないから気になるけど、まあ一日だけのことなら何とかなるかな。


 頑張って作った儚そうな笑顔。

 そんなのを向けて頼まれると、断れないじゃないか。

 予備校の授業がああるけれど……別の日に振り替えよう。


「分かった。じゃあお邪魔するよ」


「ありがとう、決まりだね! じゃあまゆちゃんとかに、そのこと話しとくね? あ、じゃあ、連絡先を交換しておいた方がいいかもね?」


「あ、そだね……」


「スマホ持ってる?」


「うん、一応」


 お互いのスマホを取り出して、メッセージアプリRINEで、連絡先を交換する。

 するとお友達の欄に、白い兎のアイコンが、新しく表示された。


「ありがと~、桐谷君。じゃあ、そろそろ戻ろっか?」


「うん。そうしよう」


 階段を降りて教室に向かいながら、俺の小さな胸はドキドキしっぱなしだった。


 なりゆきとはいえ、穂綿さんと一緒にダブルデートをすることになって。

 しかも連絡先まで交換してしまった。

 でも、彼女の悲しい過去の話や、抱えている想いも聞いてしまった。

 彼女はあまり表には出さなかったけれど、きっとまだ、悲しみが心の中に残っているんじゃないかな。


 俺は俺で複雑な気持ちを抱えながら、せいいっぱい平静を装った。



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