鈴華さんが告白してくれない
海来 宙
the former part どうしても告白できない理由
「高校、一時間かかるのに、
兄を呼び捨てする彼女は昨日も聞かされた台詞で肩を揺らす、声も愉快そうに躍る。待ってくれ。俺に恋人がいないのはまぎれもない事実だが、それは半年も恋いこがれる
「今、心の中で言い訳したでしょ」
生意気な妹が急接近で俺の動揺する両目をのぞき込み、見事に感情を読みとって言った。まったくもう、中学生のくせに。俺は廊下に逃亡して階段を上り、最後の一段でふと足を止めて恋の始まりを思い浮かべる。
――新しい書記の
去年の秋、俺は放課後の教室で生徒たちのだらけた会話を背景に一人宿題を片づけていた。鈴華さんに優しく肩をたたかれて振り返ると、書記の前任だった彼女はこう指摘する。
――クラス全員の出欠を毎月チェックして提出するの、知らないで書記に立候補したでしょ。大変だからがんばってね。
図星だった俺は驚いたけど、彼女からやり方を教わった幸福な時間が恋を生み、二年生の春には俺にもう一度彼女と同じ教室が授けられた。しかしどちらも告白せず、二人の距離はいまだ変わるきざしもない。彼女を何より優しく大切に扱い、授業を含め彼女の前では張り切って魅力的な男に見せているし、ときおり二人きりになる機会まであるというのに。俺は深いため息をつき、残りの階段を――、
「ごわっ、いっで……」
もう一段あると勘違いした階段の頂上、無駄に上げた右足を強く廊下に打ちつける。転倒は何とか防いだが、かかとが重く痛い。
「瞭、何やってんの?」
あきれ声に下をにらむと、台所から出てきて首をかしげる睦。俺は「何でもねえよ」と言って階段を離れ、自分の部屋に逃げ込んだ。彼女の足音がとんとんとんと追ってくる。
「ねーえ、お兄ちゃん。うち実力テスト五位で、三年先輩の長橋瞭、お兄ちゃんと同じ高校行ってほしいってまた言われちゃった」
「はあ……? 知るか、睦が自分で決めろよ」
まただ、顔をしかめる俺。睦は甘ったるい声を使うとき決まって俺を「お兄ちゃん」呼ばわりする。この面倒な妹を俺は進学校の自分に匹敵する学業成績だけでなく、顔でも上位に入るのではとつねづね思っている。それを先日とうとう話してみたら、「うちのことかわいく見えるの、宇宙で一人だけじゃないかなあ。ねえ、お兄ちゃん?」と返される始末。何だよおい、世界で俺だけだというのか?
いやいや確かに俺は今も思い出してひやりとするけど、けして三歳下のかわいい妹に良からぬ情を抱いて錯覚などしていない。俺が厳密に恋心を持っているのはクラスメートの鈴華さんただ一人であり、好きで近づいて十分仲もいい彼女が告白してくれないから孤独なだけだ。妹の存在など関係ない。
俺は鈴華さんの告白をしつように待っていた。世間の男どもはかかんに恋の舞台に躍り出ては好きな子を自分の女にする、それが女さえも望む理想の形なのは俺も重々承知している。だがもし自分から告白してしまったら、交際にはこぎ着けても俺の望む関係は得られない。俺にはどうしようもないくらい交際相手に対して自分の優位性を保っていたい、女の子より精神的に上の立場に居続けたいという強い願望があるのだ。同じ進学校同学年の彼女は学力も年齢も同等、その熱を満たすにはいわゆる〝ほれた者の弱み〟を持たされてはならなかった。
俺は告白してはいけない。鈴華さんは男に従順な性格ではないようだし、「高校デビュー」の勢いで彼女とくっついてすぐ離れた男から、二人きりでも態度が変わらなかったという情報を入手ずみ。彼女が俺の前だけしおらしくなるという期待は禁物だった。結局俺なんかが彼女との交際を期待すること自体に問題があって、そう、いくら睦と同じく顔がいいからって俺が市場鈴華さんを好きになったのが悪いのだ。
だけど彼女は入学後いきなり男に陥落したとはいえ清楚で明るく美しい、勉強にとどまらぬまじめさと友達を護る優しさ強さ、強いといえば目力も十分で何だかいいにおいがする、俺が感じてきた魅力は彼女唯一の欠点を補って余りある。顔が好みなら恋に落ちてしかたない素敵すぎる女の子だった。しかも俺は、彼女の欠点を改善できる自信を持っている。実は彼女は時間にルーズで遅刻魔なのだが、俺の通学路途中駅から徒歩十分に住んでいると本人が言っていた。早起き自慢の俺なら毎朝家まで迎えにいける。
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