第4話 木村の過去
月曜日の夜、木村裕也は自宅のリビングで一人静かに座っていた。福岡に戻ってきてから、彼は再び故郷の空気に慣れ始めていたが、心の中にはまだ整理しきれない感情が渦巻いていた。東京での生活、仕事、そして失敗――それらの出来事が、彼の心に深い傷を残していた。
コーヒーカップを手に取り、彼は一口飲む。窓の外に広がる夜景を眺めながら、彼の思考は自然と過去へと戻っていった。東京での生活は一見順調に見えたが、その裏側には多くの悩みと葛藤があった。
東京にいた頃、木村は大手企業のプロジェクトマネージャーとして働いていた。彼は若い頃から着実にキャリアを築き、やりがいのある仕事を手に入れた。その一方で、彼の私生活は次第に崩れていった。結婚した妻とは、結局のところすれ違いが多くなり、二人の関係は次第に冷え切っていった。
木村は、仕事に追われる日々の中で、家族との時間を犠牲にしてしまっていた。彼が家に帰る頃には、妻はすでに眠っているか、仕事で家を空けていることが多かった。二人は次第に話す機会を失い、心の距離も遠ざかっていった。木村は、そのことに気づいていたが、どうすれば良いかが分からなかった。
「もっとちゃんと向き合っていれば……」
木村は何度もそう思った。だが、東京での仕事は忙しく、彼は会社での成功を優先してしまった。その結果、妻との間には埋められない溝ができ、ついに離婚に至った。
彼はその決断が正しかったのかどうか、今でも答えを見つけられずにいた。
そんな中、木村は福岡に戻る決断をした。東京での仕事は一区切りついたが、それ以上に、彼は自分自身を見つめ直すために環境を変える必要があったのだ。東京での成功は、確かに彼にとって大きなものだったが、それがすべてではないと気づいた瞬間、彼は新しい道を模索し始めた。
「自分は一体何を求めているのか?」
木村は何度も自問自答した。仕事での成功や、周囲からの評価に囚われすぎて、自分の本当の幸せが何なのか見失っていた。そして、その答えを探すために、彼は故郷の福岡に戻ることを決めた。
福岡は彼にとって、安らぎの地であり、過去の自分と向き合う場所でもあった。そして、福岡に戻った彼を待っていたのは、中学時代の同級生との再会だった。その中に、かつて彼が心の片隅で気にかけていた存在、中村理恵がいた。
理恵との再会は、木村にとって大きな驚きだった。彼女は変わらず、美しく、そして強さを持っていた。東京での忙しい生活の中で、彼は女性との関係を築く余裕などなかったが、理恵との再会が彼の心に静かな波紋を広げた。
「昔から、あの笑顔が好きだった」
木村は、そう思いながら理恵のことを考えた。彼女との再会が、彼に新たな感情を呼び覚ましたことは間違いなかった。だが、彼は過去の失敗やトラウマに囚われていた。再び恋をすることに対して、恐れや不安がつきまとっていた。
福岡に戻ってから数週間が過ぎたが、木村はまだ理恵との距離をどう縮めれば良いのか悩んでいた。彼女に対して、強い感情を抱いていることは自覚していたが、彼は慎重にならざるを得なかった。自分の過去の失敗が、再び彼女との関係を壊すのではないかという恐れが、彼を引き止めていた。
「理恵に、俺は何を伝えられるのだろうか……」
木村は再びコーヒーを口に運び、窓の外を見つめた。彼の頭の中では、過去の思い出と現在の自分との葛藤が交錯していた。
木村は、中学時代のことをふと思い出した。彼と理恵は、同じクラスメートとして過ごしたが、特別親しく話すことは少なかった。それでも、彼は理恵のことをよく覚えている。彼女はいつも明るく、周囲に笑顔を振りまいていたが、どこか自分に自信が持てないような繊細さも感じられた。
「中学時代の俺は、もっと勇気があればよかったのに……」
木村は、あの頃理恵にもっと自分の気持ちを伝えることができていたら、何かが違っていたのかもしれないと思った。しかし、あの時の自分はまだ子供であり、恋愛や感情をどう扱うか分からなかった。結局、理恵に対して何も伝えられずに、卒業を迎えたのだった。
再び理恵と出会った今、木村は彼女に対して過去の自分とは違う態度で接したいと思っていた。だが、それがどのように実現できるかは分からなかった。彼は、理恵との関係を再構築することができるのか、それともまたしても自分の内面に囚われ、失敗してしまうのか。そんな不安が彼を悩ませていた。
しかし、木村には一つだけ確信があった。それは、もう一度彼女と話し、彼女のことを知りたいという気持ちだ。理恵との再会が、彼の中で何かを変え始めているのは間違いなかった。彼は自分自身に問いかける。
「今度こそ、ちゃんと向き合えるだろうか?」
翌日、木村は仕事の後に理恵にメッセージを送ることにした。彼女との再会を思い返しながら、慎重に言葉を選んだ。
「この前はありがとう。久しぶりに話せて、いろいろ考えさせられたよ。今度、もし時間があれば、また会わないか?」
送信ボタンを押すと、彼はスマホを机の上に置き、深いため息をついた。48歳という年齢で再び恋愛のような感情を抱くことは、どこか現実感が薄く、非現実的なことのようにも思えた。しかし、それでも彼はもう一度、理恵に会いたいと思っていた。
木村は自分の過去と向き合いながら、理恵との未来を模索し始めていた。過去の失敗や後悔を背負いながらも、彼は自分自身を変えるための一歩を踏み出そうとしていた。理恵との再会が、彼にとって新たな人生の始まりとなるのか――それは、まだ分からなかったが、彼は少しだけ希望を感じていた。
夜の静けさの中、木村は再び窓の外を見つめながら、ゆっくりとコーヒーを飲み干した。そして、心の中で新たな決意を固めた。
「もう一度、あの頃の気持ちを取り戻そう。今度こそ……」
彼は過去に囚われず、未来に向かって歩き出す準備をし始めていた。
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