悪徳のススメ
文月黒
第1話
長い睫毛に縁取られたアーモンド型の瞳を瞬かせ、ビアンカ・コルドゥラ・リンハルト侯爵令嬢は、数秒の間、自分の寝ている天蓋付きベッドの天井を見詰め、そして盛大に溜め息を吐いた。
「……また失敗してしまったわ」
これで通算六敗ね、と一人ごちながら彼女はゆっくりと身体を起こし、まじまじと自分の傷ひとつない手のひらや腕を眺めた後、寝台から降りて姿見の前に立つ。
「あぁ、やっぱりあの頃のわたくしだわ」
そしてそこに映った姿に二度目の溜め息を吐いた。
そこに映るのはビアンカの名の通り、透き通るような白い肌の娘だった。
冬の月光を思わせる淡い銀の髪と、リンハルト侯爵家の血筋に多く見られる薄紫色の瞳。
記憶と寸分違わぬその姿を見て、また時間を逆行したのかとビアンカは目覚めたばかりなのにどっと疲れた気持ちになってしまった。
──ビアンカは死ぬ度に人生を繰り返している。
罪人に仕立て上げられ冤罪に対する怒りと絶望の中、訳もわからず終わった一回目。
戸惑いながらも手探りで進み始めて全てが徒労に終わった二回目。
二度の失敗を経て慎重になるも、慎重になり過ぎて優柔不断が仇となった三回目。
周りの人間との関係を良好に保とうと奮闘したが何の成果も得られなかった四回目。
いっそ全てと関わるのをやめようと田舎に隠れた五回目。
そして。
「……こちらから婚約破棄を申し出たところで、結局運命って変わらないのね」
婚約破棄の宣言と共に下される断罪を回避するには、いっそ婚約自体をこちらから早々に破棄してしまおうとした六回目も、最終的に自分は冤罪で断罪され、王族殺害を画策した咎で処刑されてしまった。
いくら辿る道を変えてみても、最終的には絶対にそこに行き着いてしまう。
そして、実際にその光景を見た事はないけれど、自分の婚約者である王子殿下はあの平民上がりの男爵家の娘と結ばれるのだろう。
「ここまで来ると、わたくし何だか処刑台に慣れてきた気さえするわ」
そう自嘲気味に微笑んでビアンカはふと思案した。
この七回目はどうやって生きようか。
全てと関わらず田舎に逃げて身を潜めながら生きてもダメ、全ては冤罪であるという証拠を集めるために周囲との関係改善を成功させてもダメ。
何をしても何処にいても、力の限り足掻いてみても結局王子の婚約者になってしまうし、最終的に王子に毒を盛ったとして処刑されてしまうのだ。
後から出てくる大量の身に覚えのない証拠や、顔も知らない『友人』の証言、こちらの言い分などろくに審議もされずに行われた裁判に正義があるとは思えない。
どの人生だってビアンカは『悪女』にされてきた。
ただ一つ確信めいたものがあるとすれば、おそらく自分が生き残る為の分岐点は、あの男爵家の娘であるキャロル・ウィンズレッドだろう。
何度も人生を繰り返し、毎回違う行動をしてきたビアンカだが、どの人生でもキャロルと接触した頃から明らかに潮目が変わっている。
(でもどうしてかキャロルにはうまく近付けないのよね)
何か手掛かりを掴めないかと思って何度も親しくなる為に接近を試みてみたのだが、何故か学園の気軽なお茶会の招待状ですら不参加で返って来ている。
王家に次ぐ貴き侯爵家からの誘いを断るなんて、男爵家の娘ごときに甘く見られたものだと憤慨したのは、さて何回目の人生の事だったか。
避けられているのだろうが、それにしては妙な所で鉢合わせる事がある。
そしてそういう時は大体ビアンカにとって良い結果を生まない。
初対面からしてその調子だから、こちらも親交を深める為の対処の仕様がない。
(証拠もないままこんな事を言うのはあまりにも酷い事だけれど、私が死ぬのってあの娘が何か関係していると思うわ)
平民の母を持ち、平民として育てられた娘。
母亡き後、貴族の証ともいえる魔力が発現し、父である男爵家に引き取られて魔力保有者が通う学園にビアンカと同じタイミングで入学する事になるあのキャロルという娘。
何故だか初対面の頃からやたらとビアンカに対抗意識のようなものを持っていたように思う。明らかに怪しい。
男爵家の娘が、校内とはいえ王子殿下の周りをうろちょろ出来る時点で怪しい。
怪しいのに尻尾を掴めないのがもどかしい。
「あぁ、でもわたくしがどれだけ考えて努力しても、行き着く先は処刑台なのよね。まったく、冤罪で首を六回も落とされるだなんて、本当に人生って理不尽だわ。『事実は小説より奇なり』って何処かで聞いた気がするけれど、これでは『事実は小説より無慈悲』ね」
すり、と傷一つない美しい手のひらで細い首を撫でる。
今は繋がっているものの、数年後には刃に絶たれてしまうその場所。
だが、とにかく断頭台での処刑は一瞬で終わるから良い。嫌なのは処刑前に自慢の髪を処刑人の手によって雑に切られてしまう事だ。聞いたところによると、長い髪は刃の通りを悪くするらしい。だからって酷いわとビアンカは憤慨する。
最初の頃はあまりにも恐ろしくて刃が落とされる前に意識を失っていたのだが、慣れてくると刃が首を切断する瞬間まで虚無な目をぼんやり開いている事が出来た。そんな事、出来たところで得など一つもないが。
「さて、どうしたものかしら」
何をどう努力したところで結末は変わらない。
自分は冤罪によって処刑され、あの娘は幸せを手に入れる。
それを思うとビアンカは何だかふつふつと怒りが沸いてきた。
毎回毎回、ビアンカは精一杯努力したというのに。
大体、王子だって婚約者という立場があるのだから、せめて一言くらいこちらの言い分を聞いてくれても良かったはずだ。
しかし彼は牢に捕えられたビアンカに会いに来ることさえしなかった。
家族だって友人と思っていた人達だって、最後はビアンカの言葉に耳を貸そうともしなかった。
全部無実であるにも関わらず、さもこれまでずっと悪行を重ねて来たような言われ方をして、ビアンカは断罪される。
そんなのはもう懲り懲りだ。
何よりも、侯爵家の名に恥じぬよう、誇り高くかつ清く正しく生きてきた自分が、身に覚えのない罪で断罪されるのが我慢ならない。
「自分の犯した罪で裁かれるならまだしも、わたくし何もしていないのに」
そこではたとビアンカは気が付いた。
どうせ善行を積んだところで全てが悪行に塗り替えられてしまうのなら、いっそ最初から悪行を重ねてしまえば良いのではないか?
「そうね。そうだわ! 重ねましょう! 悪行!!」
ビアンカはおー!と右手を高く天に突き上げた。
せっかくだから今生は悪行の限りを尽くして、きちんと自分の罪によって裁かれることにしよう。処刑が免れないとしても、それなら幾分か納得がいく。
この日この時、ビアンカ・コルドゥラ・リンハルト侯爵令嬢は、自らの手を悪に染める事を実に元気良く決意したのだった。
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