続・屈曲ラヴァー 〜身を焦がしつくすほどの愛寵〜

榊ダダ

第1話 幸せな籠の中




 なんかいい匂いがする……




 覚醒しきらない頭でそんなことを思いながら、目を開けてまどろみから抜け出した。

 はじめに目に映ったのはさらさらの黒い髪。次に映ったのは息を飲むほど美しい、眠った横顔だった。



「わっ!」



 思わず驚いて耳元で声を出してしまい、息を止めて反応を伺う。でも起きる気配は全くなく、ほっとひと安心した。

 改めて、微動だにしないその姿に見入る。



 そ、そうだ……私、昨日の夜、尾関先輩と……



 数時間前、先輩に言われた言葉を思い出した。



『……私の彼女になってくれませんか?』



 きつく縛られたみたいに胸がぎゅっとする。あれも現実だし、これも現実なんだ……。



 今もまだ信じられない気持ちで、もう一度寝顔をちゃんと覗き込んだ。大人っぽいのにあどけない。大好きなあの先輩が、こんなに近く、私のそばにいる。



 耳をすまさないと聞こえない小さな寝息を聞いていた。ずっと歳上なのに可愛くてたまらない。無防備過ぎる頬に、思わずキスをしたくなった。


 

 でも、寝てる隙に勝手にそんなことしたら怒られるかな……一瞬ためらったけど、でも私彼女だし!……と思い返した。



 起こさないように静かにそっとキスをした。先輩は何も反応しない。そうゆうつもりでしたくせにまゆ毛一つ動かないことに少し気に入らない。白雪姫だって愛のキスをされたら深い眠りから覚めるのに……。



 恨めしい気持ちで長いまつげを見つめていると、突然先輩が私の方に寝返りを打った。その拍子に掛け布団が少しはだける。



「あ……」



 先輩の胸元が見えて、お互い裸のままだったことに今さら気がついた。一気に恥ずかしくなって、掛け布団をしっかりとかけてあげた。その時……



「う………うぅ……」



 先輩が苦しそうに唸り始めた。そうだ……先輩は寝てる時に体に何かをかけられると、お母さんの夢を見ちゃうんだ……どうしよう、私のせいで……そう思った瞬間、バッと両手が伸び、私の体は先輩の体の中に包み込まれた。肌と肌が触れて温かくて気持ちいい。



「尾関先輩……」


「うぅ…………ん……」



 先輩はまだうなされている。可哀想で悲しくて、私は首を伸ばして今度は唇にキスをした。すると……



「……んん……あれ……?奈央……?」



 唐突に先輩が険しい顔で目を覚ました。



「大丈夫ですか?……嫌な夢見てました?」


「うん……」



 やっぱり、私のせいでトラウマになってるお母さんの夢を見させてしまった……。



「……奈央の夢見てた。奈央に『やっぱり先輩とは付き合えません!』ってフラれる夢」


「なっ……なんですか!それ!」


「……夢だよね?」


「夢に決まってるじゃないですか……」


「……よかった」



 先輩はそう言って私を抱き寄せ、ぎゅうっと強く抱きしめた。その腕の中、お母さんの夢じゃなくてよかった……と安心しながら一方では、何もまとわない体でナチュラルに抱きしめられているこの尋常じゃない状況を意識し始めていた。



「……奈央ってさ、おっぱいおっきいよね」


「…………え?」


「高1の時はあんなになんにもなかったのに、いつのまにこんな……」



 そう言って掛け布団の中を覗き込む。



「ばか!!」



 私は背を向けた。

 すると、スルスルと後ろから腕が伸びてきて、また簡単に捕まってしまった。



「ごめん、なんかまだ慣れなくて。照れちゃうからすぐふざけちゃうや。許して?」



 別に本気で怒ってるわけじゃないから許すも何もないけど、そんなにはっきり照れるなんて言われたらこっちこそ恥ずかしくてなんて返したらいいか分からない。



「うれしい……今日から奈央は私の彼女なんだもんね」



 先輩の腕が私の体をきつくしめると、私の胸も窒息しそうなくらい先輩の言葉にしめつけられた。



「大好きだよ……」



 耳元から体の中へ先輩の声が入ってきて体がまた固くなる。



「ねぇ、奈央は?奈央も言ってよ」


「……大……好きです……」



 すると、抱きしめていた腕の先の手のひらが私の胸の谷間に入り込んできた。



「ここめちゃくちゃ気持ちい」



 本当に気持ちよさそうに言われると、言い返すことも抵抗することも出来ない。



「……ねぇ、していい?」


「……な、なにをですか……?」


「エッチなこと」


「ついさっきまでしてたじゃないですか……」


「でもまたしたくなった。やだ?嫌ならしないよ」


「……やだって言ってもして下さい」


「……え?」


「私は先輩の彼女なんだから……いつでも先輩の好きなようにしたらいいじゃないですか……」


「……奈央ってさ…………もしかして、かなりのドMなの?」


「もぉー!そんなことばっかり!!」



 思わず振り向くと、先輩が楽しそうに笑っていた。こんな顔、見たことないかもしれない。きっと今先輩は幸せを感じてくれてる。それが何よりも嬉しかった。



 私は首に巻きつくように抱きついた。



「……ずっとこんなふうにしたかったです」



 幸せなのになぜか涙が出てくる。



「私も……」



 先輩がそう言うとまた涙が出てきた。




 先輩がティッシュで涙を拭いてくれてる最中に、起きた時からずっと気になってたけど、恐くて聞けなかったことを聞いた。

 


「……今日は土曜日だから、アウトベースの方の仕事ですよね?出かけるまであと何時間くらいですか……?」


「あぁ、今週は休みにしたから」


「……え?」


「だから、土日丸々空いてる」


「……じゃあ……土日、ずっと一緒にいられるんですか?」


「うん。どっか出かける?奈央が行きたいとこ、どこでも行こ。約束したもんね?」


「……本当にどこでもいいんですか……?」


「いいよ。そうだ!奈央、車で出かけたいって言ってたよね?なら、近くのレンタカー屋さんで車借りてもいいし」



 先輩ともしこんな関係になれたら……



 行きたいところは数え切れないくらいあった。車の助手席だってずっと憧れてた。



「どこ行きたいか浮かばない?」



 黙ったままの私に先輩が尋ねる。私は先輩の鎖骨の辺りに耳を当てて心臓の音を聞いた。



「……ここがいいです」


「え?ここって、家?土日ずっと家?」


「……先輩は嫌ですか?」


「そんなことないけど、せっかくだから外でデートしたくないの?」


「それもしたいけど……まだしばらくこのままがいいです。ここだったら二人だけでいられるから……」



 私がそう言うと先輩はキスをしてくれた。





 結局、私たちは日曜の夜まで家から一歩も外へ出なかった。

 先輩の家には相変わらず食べ物があまりなかったけど、ほとんどをベッドの上で過ごしていたからあまり問題じゃなかった。

 食欲よりもお互いを求め合う欲が勝って、空っぽの体で永遠と重なり合っていた。

 私も尾関先輩も、すれ違い続けた数年を今すぐ埋めたくて仕方なかった。



 日曜日の夜になって、いよいよ空腹に耐えられなくなると先輩がピザを頼んでくれた。



 まだまだあると思っていた時間が、もう終わろうとしている。次会えるのはきっとまた早くても金曜日の夜だ……。



 家は歩いて15分くらいだけど、私たちは生活のリズムが違う。平日は早朝から家を出て、最低でも23時にはベッドに入らきゃいけない私と、基本昼頃に出勤して22時に仕事が終わる先輩。

 会えるのは週末だけ……。



 明日からの離れ離れの4日間を乗り越えることが出来るのか不安で、寂しくて、ピザは美味しいのに、美味しいものを二人で食べれて幸せなのに心が重い。



 伸びすぎるチーズにてんやわんやしている先輩を見てると、私と同じように感じているとはとても思えなかった。

 きっと先輩は平気なんだ……



「……平日は会えないから、次は金曜日だね」



 ほら、淡々とそんなことが言える。



「仕事終わったら毎晩電話していい?」



 ふいに思いも寄らないことを言われて顔を上げた。



「金曜まで会えないのは寂しいから、せめて声が聞きたいな……って思ったんだけど……ごめん、毎晩はやりすぎか……」


「そんなことないです!私も毎日先輩の声が聞きたいです……。じゃないと、多分眠れないです……」


「じゃあ毎日電話する」




***




 ついに制限時間がゼロになった。

 それだって、本当は今より2時間も前に帰るつもりでいたのに、なかなか踏ん切りがつかず「もう少しだけ」を繰り返して迎えた本気でギリギリの時間だった。



 明日は月曜日。

 もう本当に帰らないといけない。

 身支度をする私は、まるでこれが今生こんじょうの別れみたいに絶望を感じていた。



「……大丈夫?」



 先輩はそんな私を見ていられなそうに聞いてくれたけど、心配よりも一緒に絶望して欲しかった。



「……はい」



 そう答えるしかない。

 大丈夫じゃないと言ったところでこの状況は何も変わらないんだから。



 靴を履き、二人で外に出て、先輩が家の鍵を閉めてるのを見ながら、泣いてしまいそうになるのをこらえていた。



「じゃあ……行こっか」



 私たちは扉に背を向けて歩き始めた。



 すぐに商店街の入り口に着いて、もうあと10分しか一緒に居られないと計算して胸が潰れそうになる。



 ついさっきまでは隔離された二人だけの世界だったのに、今はもう指先一つも触れ合えない。私は初めて男女のカップルをねたんだ。



 視線の先にあのベンチが見えてきた。

 散々色んなことが起こったあの場所で、一昨日、私たちはようやく恋人になった。これから2日間をあの部屋で先輩と過ごすあの日の自分にすら、私は嫉妬していた。



 黙ったままの私に気づきながら、先輩は暗くならないように家までずっと隣で色んな話をしてくれた。でも、気遣ってくれてる先輩が通り過ぎる女の人にちらっと視線を向けるだけで心臓がバクバクしてしまう。



 一緒にいる時は私のことばっかり考えてくれても、離れてしまったら頭の中には別の人も入り込んでくるのかもしれない……



 多分私はなんかの病気にかかっている。

 こんな状態で明日から本当に現実社会に戻れるんだろうか。



 そんなことを考えていたら先輩の足が止まった。顔を上げ、目の前に家が見えて、ついに終わりが来たことを知った。

 


「……研修、頑張ってね。また金曜日、楽しみにしてるから」


「……はい。先輩も……仕事頑張って下さい……」



 先輩のように次に会う時のことを口にする余裕はなかった。今の私にはそれまでの4日間をどう乗り越えればいいのか、それしかなかった。



「奈央?」



 気づくとすぐに下を向いてしまう。先輩に呼ばれてハッとし、また顔を上げる。その時、先輩は一歩前に出て一瞬限りのキスをした。



「あ……」



 あっとゆうまの出来事に驚いて一文字しか出てこない。



「今ちょうど誰もいなかったからしちゃった」



 ほんの少し罪悪感を含んだ笑顔で笑う先輩を見た時、我慢が限界に達した。コンクリートの地面に涙が落ちる。



「……ごめんなさい」



 こんなんじゃ重すぎていつかうっとおしく思われる。だから先輩の前では泣きたくなかった。



「そんな可愛いとこ、他で見せちゃだめだからね?」



 そう言いながらバッグの中からタオル地のハンカチを出して私の涙拭いてくれた。



「……可愛くなんかないです」


「可愛い。世界一可愛い」



 ド真面目な真顔でなんの濁りなく言ってくる。嬉しくて顔が熱くなりながら不安も募る。



「……先輩だって、そうゆうことよそで言わないで下さいね」


「こんなこと言うわけないじゃん!」


「自分では自覚なくても、先輩はすぐ女の人をその気にさせるようなこと言うもん」


「……分かった、気をつけるよ」



 数々の心当たりに、先輩は大人しく引き下がった。



「これ、使って」



 私の涙を拭いていたハンカチを差し出され、そっと受け取る。



「……いいんですか?」


「うん」


 

 早速まだしつこく滲む目元に当てると大好きな匂いがした。



「先輩の匂いがします」


「え!?柔軟剤の匂いじゃなくて?」


「違います。そうゆうんじゃなくて先輩の匂い。先輩の肌からも同じ匂いしますよ」


「……私ってそんな臭うんだ……そんな小さなハンカチから……」


「……私はこの匂い好きです……。おかげで少し落ち着きました。ありがとうございます……じゃあ……」



 先輩から切り上げられたくなくて、そろそろ別れの瞬間を察した私は自分から言った。



「あ、待って」



 すると、先輩は着ていたパーカーを脱いでそのまま私に渡した。



「えっ!?」


「匂いで落ち着くんでしょ?これ、多分すっごい臭うよ」


「で、でも……さすがにそれじゃ寒いですよ!」



 パーカーを失った先輩は半袖1枚の姿になっていた。いくら9月と言ってももう後半でしかも夜だ。寒くないはずがない。



「大丈夫!大丈夫!走って帰るから!」



 平然を装っているけど、寒さを我慢してるのが分かる。返しても受け取らないだろうし、これ以上いさせたら風邪を引いちゃう。



「……送ってくれてありがとうございます、パーカーも……。帰り、本当に気をつけて下さい」


「うん!」


「じゃあ……」



 私は後ろを向いてついに家の中へと入った。



「あ、帰ってきた!あんた土日友達んちに入り浸ってたんだって?しょうに聞いたよ」



 ちょうど廊下に現れた母に切り込まれてびくっとした。



「……うん」


「へー、仲いいねー」



 何に関しても緩すぎる上に深く詮索しないところが母の最大の長所だと強く感じた。


 

 部屋に入るとまずパーカーに顔を埋めた。

 ハンカチの比じゃない匂いがする。

 


 余計なことを考えたくなくて、着替えだけしてすぐにベッドに入った。枕元にはゾンビーナのマスコットたち。そして私の手には先輩が渡してくれたハンカチとパーカー。脱ぎたてのパーカーはまだほんのり温かくて、目をつぶって抱きしめると本当に先輩がいるみたいで、いないことが逆に辛くなった。



 暗闇でスマホを見る。



 別れてからもう30分経つけど連絡はない。無事に着いたかな……



 心配だけど、そんなにすぐに連絡するのは束縛が激しいと思われそうで気が引ける。

 『心配だから、着いたことだけ連絡下さい』って、それだけは伝えておけばよかったと後悔した。

 多分先輩はそう言わなきゃしてこない。



 目をつぶって強制的に眠りに入ろうとしたけど、鼻で息をするたびに届く先輩の匂いにドキドキして、それにやっぱり寂しくて、一時間粘っても眠れなかった。やっぱり、無事に着いたかだけ電話して聞こうかな……



 そう考えながら、本心は眠る前に声が聞きたかった。枕の下に入れていたスマホを取ろうと手を差し込んだ時、指先に振動が伝わった。焦って取り出し画面を見る。



「……尾関先輩」



 思わず声に出した後、急いで電話に出た。



「……もしもし?」


「ごめん、起こしちゃった?」


「……いえ、まだ眠れてなくて……」


「パーカー渡したのに眠れないの?」


「眠れないです。だって、先輩の匂いがするから……余計寂しくて」


「……逆効果じゃん」


「でも、うれしいです」


「そっか。私も奈央になんか置いてってもらえばよかったなー。パンツとか」


「……変態じゃないですか!」


「すんごい真面目に。一番匂いするやつがいいもん。今度置いてってよ」


「絶対イヤです!」


「ちぇっ」


「……帰り、大丈夫でしたか?」


「全然大丈夫だよ。今は大丈夫じゃないけど」


「え?なんかあったんですか?!」


「さっきまでずっと奈央と二人でいた部屋に一人だから」


「先輩……」


「だからつい寂しくて電話しちゃった」


「……実は私も今かけようとしてたんです」


「ほんと?!」


「はい」


「じゃあさ、奈央が眠るまで話そうよ」



 そんな先輩の優しい声が聞こえた時、やっぱり大丈夫かもしれないと思えた。



 大好き過ぎるから、この大好きな気持ちで4日間を乗り切れそうな気がしてきた。

 この声を思い出して、『好き』って言ってくれたことを思い出して、抱きしめてくれた体温を思い出して、がんばろう……。



 

 次に会える、金曜日まで……












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