第1章 第6話 一般常識
鑑定と面談を行った翌朝、昨夜と同様に炊き出しで食事を摂らせてもらい、大講堂に移動する。
本日からこの世界、この国で生きる上での一般常識を教えてもらう時間である。
「一般教養の教官を務めるメイアです。よろしくお願いします」
やってきた教官は同年代と思われる若さの女性スタッフで、名をメイアと言った。麦藁色の髪に三角の獣耳が立っている。大人を含めた≪迷い人≫全員が頭上の獣耳に視線を送りつつ、長机に着席して座礼で応えた。メイアの獣耳は音を拾うようにぴこぴこと動いているため、飾りではなく本物だろうと思われる。
「……?あ、この耳が珍しいですか?」
迷い人全員が自分の耳に注目している事に気付き、耳を指差しながらぴこぴこと動かしてみせた。
「その……本物ですよね?はじめてみました」
前列に座っていた鶴間が遠慮がちに問う。その反応を見てメイアが頷き、言葉を続ける。
「皆さんの元の世界では
「その
前方の席に陣取っている湊が端的に応えた。
「なるほど。それでしたらこの世界の人間の種族や見た目の特徴なんかも説明した方が良いですね」
この世界では、
今回の≪迷い人≫の殆どは黒髪黒瞳で彫りの浅い顔立ちだが、東部諸島国家に類似する人種がいるらしい。
シエロギスタン王国では彫りの浅い西洋顔が特徴だという。
昆虫の翅をもった小さい人型種族の
「……という感じです。あくまで傾向ですから、何事にも例外はあるものと思ってください」
メイアの人種についての講義を皆が興味津々で聴いていた。
種族や人種についての話の次は硬貨についての説明であった。
爪の先程の四角い鉄貨幣が1ゼニー、一回り大きく四角で中央に穴が空いている大鉄貨幣が5ゼニー。
爪の先程の小さな四角い銅貨が10ゼニー、一回り大きく中央に穴が空いている四角い大銅貨が50ゼニー。丸い銅貨が100ゼニー、一回り大きく丸い大銅貨が500ゼニー。
爪の先程の小銀貨が1,000ゼニー、一回り大きな大銀貨が5,000ゼニー。
爪の先程の小金貨が10,000ゼニー。一回り大きな大金貨が100,000ゼニー。
ここまでが市井で普段使いする貨幣となり、これより価値の高い貨幣が白金貨で10,000,000ゼニー、大白金貨で50,000,000ゼニーがある。それより更に高額の
炊き出しで食べさせてもらっている食事が市井でいえば500ゼニー程の買い物にあたるらしい。屋台の串焼きなども相場としては500ゼニー程するという。
貨幣は種類も多く間違えられない話のため、皆がメモを取りながら真面目に聴いていた。
「……貨幣についてはこんな感じですね。公職や官職に付けば給金の月額は金貨2、3枚からはじまり、能力や実績に応じて給金が上がっていく感じです。公職や官職の良いところは給金が安定して貰えることですね。商売人の場合、良くも悪くも腕次第の自己責任です」
そこで湊が手を挙げて質問する。
「すみません、駆け出しの
「薬草採取や配達代行、下水道の掃除などの戦闘のない依頼であれば、日当で小銀貨5枚から大銀貨1枚くらいが相場かと思います。危険度の低い魔物の討伐をこなせるようになると、日当で大銀貨1枚から大銀貨3枚くらいはいけます。討伐難易度の高い魔物を狩るようになると、金貨や大金貨が動くようになりますので頑張ってください」
話を訊く限りでは、1ゼニーが1円だと思えば良さそうな気がした。
「そうなりますと、宿代なども考えれば駆け出しの
「そうですね。確かに厳しいと思います。しかし皆さんの場合は良い能力をお持ちのようですから、初心者合宿が終われば簡単な討伐依頼から取り掛かれるかと思います。合宿期間は宿舎に宿泊出来て食事も炊き出しで食べられますし、初心者用に先輩
「なるほど。その初心者合宿ですが、期間はどのくらいでしょうか?」
「基本的に4週間、つまり約1ヶ月で卒業となりますが、成績次第では2週間で卒業になる場合もあります」
「なるほど……。回答ありがとうございます」
湊が
『(片倉、良い質問してくれてありがとう。俺も聞きたい部分だったから助かったよ)』
『(それはどういたしまして?私達なら
『(そうだな。合宿を2週間で卒業して、討伐依頼からのスタートを目指そう)』
『(えぇ、頑張りましょう)』
◆◆◆◆
午後の講習ではシエロギスタン王国の成り立ちをさらっと流し、近隣国との仲についての解説を受けた。
「……という感じで隣接国のヴァジラジール王国とはあまり仲が良くない訳ですが、この主張はあくまでシエロギスタン王国側の視点と主張です。ヴァジラジール王国側からすれば違った視点と主張がある事を忘れないようにしましょう。
「次に、この国の貴族層についての解説をしますね……」
貴族層は一代限りの騎士爵と準男爵があり、世襲可能な爵位としては男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵と位が上がっていく。騎士爵から男爵までが下級貴族、子爵と伯爵で中級貴族、侯爵以上が大貴族と考えれば良いらしい。場合によっては侯爵より豊かな伯爵がいたりもするので、あくまで目安である。
それと、貴族は領地持ちの貴族と領地を持たない宮仕えの法衣貴族があって、国の中枢で大臣をやっている貴族が領地を持っていない、などというパターンも普通にあるらしい。貴族=領主という認識では無いとのことだった。
また、特殊な階級として辺境伯と魔境伯があり、それぞれ侯爵相当の位として扱われるらしい。公爵は実質的に王家の分家のような物なので、侯爵相当は貴族としての最上位と考えられる。
綺麗なお題目で言えば貴族は「ノブレス・オブリージュ」を実践すべき誇りある立場となるのだが、世襲制の弊害で生まれながらの特権層と曲解し、「生まれが偉いから貴族は偉い」、みたいな理論が染みついている貴族も多いという。正しくは権利と義務の話であり、人としての特権と考えるのが誤っているのだが、面倒な貴族が多いのも現実である。貴族と接する際は細心の注意を払って、貴族相手の大人の対応を身に付けましょう、という話であった。
この辺りは現代日本人として反感を覚える価値観なのだが、「郷に入っては郷に従え」である。権力という名の暴力を受けないように立ち回る事も必要な処世術だった。
貴族関連の話が一段落すると、次は兵士についての話に移った。街中を巡回したり門番をしていたりする兵士は≪衛兵≫という分類で、いわゆる警察組織のような扱いのようだ。衛兵とは別に貴族は大体は≪私兵≫を持ち、辺境伯や魔境伯は隣国や魔境からの脅威に備えるため、≪私軍≫を持つという。貴族は配下に騎士爵を与える権限を持ち、爵位を与えるのであれば爵位に見合った給金も支払うことになる。そのため、豊かな領地でないと騎士団を形成する事はできない。
では騎士はというと、爵位としての騎士爵と所属団体としての騎士が少し異なる。王国には第1騎士団から第8騎士団までの国軍が存在し、騎士団に所属する者は騎士と呼ばれる役どころにある。
ところが騎士の中には平民出身で平民のまま騎士をしている者もおり、必ずしも騎士爵を持っている訳ではないという。
騎士として団体に所属し、武功を挙げるなどして騎士爵に
こういった背景もあり、男爵から子爵にかけての下級貴族は準男爵や騎士爵を下に見て平民と変わらないと馬鹿にする習性があるらしい。
貴族制度はつくづく世襲制の悪い点が凝縮されるものである。しかし、優秀な血筋には優秀な人材が生まれることもまた事実であり、連綿と磨き抜かれてきた貴族家の血統ではその血筋を誇るに値する優秀な人材も実在するのだった。
遠回しに言っているが、要は貴族には優秀な人材とボンクラな人材の二極化が激しいという事である。
ここまでで1日目の講義が終わりかけたのだが、一誠からの要望で時間や距離の単位についての話をしてもらうことになった。
悠里達は今まで当たり前のように日本と同じ単位で考えていたが、こちらの世界がいわゆるヤード・ポンド法の規則に即している可能性を感じ、早々に不安の芽を摘むことになったのだ。
結果としては日本で使い慣れたセンチ・キロ法に即しており、1ヶ月は30日で12ヶ月で1年。1日は24時間とかなり地球と日本に即した分かり易い単位で皆が安堵した。
ちなみにセンチはセル、キロはキロルと呼称は若干違ったが、かなり似ているため、慣れれば大丈夫そうだと感じた。
少しばかり延長となったが、初日の一般教養の講義はここまでであった。
一般教養、即ち常識についての講習は、異世界からの≪迷い人≫には正しく必要な講習だと皆が感じた1日であった。
◆◆◆◆
2日目の講習は、この世界の野菜や食肉についての授業からはじまった。食材の名前、一般的な調理方法、市井での常識から教わっていく。昼には調理実習を兼ねて炊き出しを自分達で作り食した。実際に調理して食べる事ではじめて理解できる物があるのだ。
野菜としては外観や食味が地球の野菜と似ている事が分かったため、然程拒否反応も出なかったのだが、食肉に関してはカルチャーショックがあった。
この世界では食肉用の家畜は贅沢品となっており、市井で口にする食肉は、大方が野生動物や魔物の肉であった。動物型はまだマシであるが、場合によっては
いくら魔物で
このままだと、屋台で串焼きを買うだけでも何の肉か確認する癖がつきそうだった。夕食に炊き出しで出された肉を警戒しながら食べると、悔しいことに美味しい豚肉の味である。つまり食材は豚っぽいアレであろう。敢えて訊く勇気は蛮勇だとおもった。
因みに祥悟は全く気にせず受け入れていて、逆に湊は顔が青褪めていた。悠里の心情としては湊寄りのため、
◆◆◆◆
講習3日目には、国内の地理と領地を大雑把な地図っぽいラクガキで教えられていた。もっと精緻な地図を要求してしまうのは地球での地図を知っているからだろう。メイアには何が不満なのかが分からないという顔をされてしまった。
大雑把な地図っぽいラクガキに領地名とその領主、特産品などの地図に紐付いた情報を覚える講義で、メモだけして必要な時にメモを見返せば良いかと、頭に詰め込むことを早々にギブアップした。
講習4日目。この日はこの世界の御伽噺、神話、有名な英雄譚などの話が中心だった。現地人と話を合わせるには確かに知っていた方が円滑になるだろうと感じた。この世界特有の慣用句やことわざも混ぜて話されていたため、自然と地球での表現と紐づけて覚えることができた。3日目より集中して講義を聞くことができた。
講習5日目。一般教養の最終日である。この日は朝から皆に革袋が渡された。中身は鉄貨と銅貨、銀貨までの各種貨幣が入っていた。
「最終日はお小遣いを使って王都の観光をしてきてください。お財布はスリに気を付けて、盗られないように頑張ってくださいね」
との事だった。
悠里は祥悟と湊とで3人で出掛ける事になった。神隠し前には祥悟と2人なのが通常運行だったので、そこに湊が加わるなど考えたこともなかった。それが今では普通になってしまい、人生とは分からないものだと感慨に浸ってみた。
3人はとりあえず露店のならぶ大通りや店舗を適当に見て回り、お金は飲食にだけ使う感じで王都を散策した。
王都に到着した初日に
今回は資金が少ないので買い物は出来ないが、いずれは買おうと武器防具の店も見て回った。刀が無いかなと探してみたが、曲刀はどちらかというとサーベルに近い物か幅広の曲刀ファルシオンくらいしか見付からなかった。
「片倉の古武術って、西洋型の直剣でも出来そう?」
気になったのはそこである。未だ満足に習える時間が取れてはいないが、悠里は湊に弟子入り予定なのだ。
「う~ん……。使い方が違うだろうから慣れるまで時間が要ると思うけど、多分大丈夫だと思う」
「なら直剣でも良いかな。借りれる中古品にもありそうだし」
悠里と湊のやり取りを聞いて祥悟も直剣を手に取ってみる。
「思ったより刃が短いのが多いな?」
祥悟が素朴な感想を口にすると、湊が振り返った。
「それは橋本君の背が高いからだよ。私の身長だとそのくらいの長さじゃないと鞘から抜けないから」
湊に言われて試しに腰に当てて剣を抜いてみて、納得した。
「確かに。俺の身長なら抜けるけど片倉は無理になりそうだな。悠里も長剣抜くのギリギリじゃないか?」
「だな。バスタードソードとか使ってみたかったけど、いざという時にすぐに抜けないのは致命的だ」
「その長さを問題なくさっと抜けるのは、うちのクラスだと藤沢だけじゃないか?」
「そうかもな。文字通り身の丈にあった長さの武器を選ぶようにするわ」
その後、しばらく街中をうろうろして色んな物を見て歩き、今後必要になりそうな物の相場を見て学んでいった。
「そういえばギルドの中にも
祥悟が思い出したように疑問を口にした。
「傷薬的なやつ?薬草を集める依頼があるって言うんだから、そりゃあるんじゃないか?」
ギルドに戻る道程でアクセサリー屋に湊が引っ掛かって少し脚を止めていたが、ギルドの店の方が気になったのか、すぐに追いついてきた。
ギルド内のショップでは街中でみた道具が相場通りの適正価格で並んでいた。自由に買い物ができるだけの資金が出来たなら、ギルド内のショップを贔屓に使おうと心に留めておいた。
王都の観光を終えると大講堂に集合し、メイアにどんな観光をしてきたか報告をして最終日の講習が終了した。
担当教官をしてくれたメイアによると、この一般教養の学習態度や結果についても報告書が提出されるらしい。地理関連以外はそれなりに真面目に受けていたので大丈夫だと思いたいカミングアウトであった。
明日からは悠里たち3人は
クラス全体で集まって何かをするのも、今日で終わりになりそうだと感じた。
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