好きを暴いて

桐野アオ

a. 普通の学生

フィクションの不良

第1話

「帝王?」  


 教室はいつもの如く賑やかだった。まるで氾濫した川に放り込まれたような騒々しさ。まだ入学した実感が湧かないというのもあるけれど、西方屈指の進学校なのかと疑いたくなる時がある。

 自分の名前――というか大変不名誉なあだ名――が聞こえてきた方に顔を向けると、予想通り、教室の入り口付近に集まっていた女子のひとりと目が合った。ぶつかった視線はあっさり外されて、素っ気なく背中が向けられる。


 何を話していたのか、聞くまでもない。

 俺が元不良だという噂を聞いたんだろう。

 そんなわけあるか。


「…………」


 携帯を見下ろすと、百合原とのやりとりが目に映る。昨晩送ったスタンプは、今もまだ画面下で場違いに浮いている。深夜テンションで送ってしまったことを悔やんでも遅くて、入学式以来のやりとりに自分だけ浮かれているみたいで痛々しい。

 対して、百合原は最低限の言葉と記号だけ。文字の羅列からは研がれた刃先のような清々しさを感じた。「『可愛げがない』って言われた、ムカつく」と愚痴ってきた彼女を思い出す。記憶のなかの百合原はまだ中学生のままだった。さっぱりした性格だった頃のイメージから随分時間が経っているけれど、今も変わらないのだろう。そのことに安心している自分がいる。

 

 足音が近付く。


 席を探してゆったりと響いていた足音は急に勢い付くと、迷いなく俺の方に向かってくる。教室の雑然とした空気を掻いて、ひとつの気配が突き進んでくる。

 わざとらしく時間をかけて顔を起こすと、真正面、机の縁が途切れた先にクラスメイトの女子が立っていた。目が合った瞬間、彼女は一瞬怯んだように視線を彷徨わせる。


「佐々木くん、だよね? 向こうで万城目が呼んでるよ」

「まきめ?」

「うん。ほら、生徒会の」

「え、なんで俺?」


 万城目という名前の生徒はたしかにいたような気がする。でもどんな奴だったか、顔が思い出せない。何組の生徒だったか思い出そうとした時、女子の背後から男子生徒が現れた。彼女の肩口に、彼の墨色の影が滑り落ちる。


「よ」


 唐突に現れた奴――万城目は愛想良く目を細めて、あざとく首を傾げた。

 女子かよ。


「あ、っす。どうも、……え、俺なんかしました?」


 簡略化された挨拶に眉を寄せる俺を無視して、彼は女子の肩に腕を乗せて寄りかかると「昨日送ったやつ読んだ?」と勝手に話を進めてきた。女子に対しても俺に対してもあらゆる距離が近い。俺の苦手なタイプかもしれない。既に一線引きたい気持ちを抑えて、いやと口籠る。


「昨日? 特に」


 百合原からのメッセージしか知らない。クラスの方はともかく、さっきまで散々見ていたのだから見落とすはずがない。

 そう言おうとしたけれど、目の前で万城目といちゃついている女子の「重いんだけど」という声に遮られて、話しかけるタイミングがまるでない。


「しかも邪魔!」

「背ぇちっせー」

「うるさい! ほら肩、邪魔ぁ!」


 嫌がる言葉とは裏腹に楽しそうな彼女は、体重をかけてもたれかかってくる男、万城目から離れていた。仲よさそうだな、と低体温な目で二人を見守る。よそでやってくれないかなと思いつつ。

 やっぱり俺とは違うタイプの男だ。

 つまり、仲良くなれるか微妙な気配を早々に感じていた。


 視界は女子の背中に遮られてしまって万城目と会話できる状態にない。無遠慮に差し迫ってくる女子の背中と髪が鬱陶しくて、さりげなく椅子を引いた。きれいにまとめられたポニーテールが会話の輪から追い出されたこちらを馬鹿にするかのように揺れていて、うんざりしながら視線を落とす。


 結局、女子と万城目のじゃれ合いはすぐには終わらなくて、手持ち無沙汰を感じてまた携帯を見下ろした。百合原とのやり取りは昨日の夜を最後に止まっている。



「お前真面目か。時間通りに先生が来たことあった?」

「ないけどホームルーム始まるよ。時間!」

「まだ平気だって。あと五分は余裕」



 飄々と受け答えする万城目に、女子は楽しそうな声色で「生徒会役員がそんなこと言っていいの?」なんて茶化していた。

 言いながら、その足は俺の机から離れていく。横目で見れば、この席に近寄ったことを帳消しにするかのようにさっさと自分の席に戻っていた。


 万城目は壁に寄りかかって女子を見送っている。何しにきたんだという意味も込めて見上げていたら、目が合った。


「あっ、そうだ帝王」


 思い出したらしい。


「昨日送ったやつ。別に大したことじゃないけど、内容が内容だけに心配になって覗きに来たんだけど……でもその顔見た感じ、もしかしてまだ読んでない?」

「読んでないというか、たぶん届いてないと思う」

「あれ?」


 嘘? と不思議そうに呟く万城目は、素直に自分の携帯で確認していた。


 それにしても――学校近くの河川敷で猫を殺しているだとか、中学時代は問題児だったなんて噂が立ってる奴に平然と話しかけてくるこいつの思考がまるで読めない。


「…………」


 俺がそんな非行とは無縁な奴だってことを見抜いているのだろうか。


「……、万城目」


「あ〜待って。今さかのぼってるから」


 俺が一部の生徒からヤバいやつとして見られているのは事実だけれど、真に問題児だったのは幼なじみの百合原のほうだった。


 百合原は不良だった。元不良で、今は素知らぬ顔で俺と同じ進学校に通っている。不良上がりの優等生というわけだ。



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