最終話 これからはずっと
私の目が覚めたとき、すべてのことが終わっていた。
朧月夜は六条の御息所の怨霊を恐れて尼となったと噂されているみたいで、右大臣家は朧月夜がやってきたことをすべて内密に終わらせるつもりらしい。
終わってしまうと、今までのことが夢だったのかとさえ思ってしまう。
だけど、刺されたあとや首を絞められたときの苦しさが、それが現実に起こっていたことだと物語る。
首を絞められて、殺されかけていた私を助けてくれたのは秋葉らしい。
ついこの間まであったことを振り返っていると、清子がやって来る。
「おはようございます。」
「おはようございます。清子様。」
清子の家族は地下牢で生活を強いられていたみたいで、その環境は人間が住むところではなかったと御息所が教えてくれた。
もちろんこんな事清子には言えない。
本来だったら清子が私の役目を務めるはずだった。その方が朧月夜に動揺を誘うことができたはずだからだ。
だけど、それを覆い隠すほどの恨みが清子にはあった。
おそらく朧月夜を見た瞬間に殺しに行っていただろう。でもそれは、清子たちがどれほど苦しい環境を押し付けられていたかを物語っている。
…だけど、可愛そうなのは朧月夜も一緒なのかもしれない。
彼女は十三歳くらい、清子とほぼ同い年だ。
それなのに家が定めた姿を見せて、自分を押し殺すほどに他人にっとての理想の自分を作っていた。
彼女が流した涙は、きっと本物なのだろう。
両親は私のこと愛している。それを信じたかったんだろう
でも、心のなかでは分かっていたはずだ。
親が自分を道具としか見ていなかったことを…。
でも…それでも信じたい。
この世に、子どものことを好きじゃない親なんていないって…。
ふと、私の頭に母が浮かぶ。
物心付く前に、たった一つ覚えていること。
「私は自由になりたいの。」
そう言って出ていったあの人は…私のことを愛してくれていたんだろうか…。
ぼうっとしていると秋葉もやってくる。
「何バカみたいな顔してるんですか?これで終わりじゃないんですからね。」
「えっ?」
「いつもの生活が待っているだけで、終わりなワケがないでしょ?」
確かに…。
私がどんな気持ちになったって、人気が高い御息所には恋文が届く。
その中で箸にも棒にもかからない手紙を処理するのが私の仕事だ。
秋葉の言葉で何故か自然と笑みがこぼれる。
「あと、右近さんが来てますよ。彼を連れて。」
右近が来たという言葉に、私より先に清子が反応する。
右近にはずっと清春の看病をしてもらっていた。ここに来たってことはつまり、彼が元気になったってことだろう。
静かにやって来る右近と清春。
右近が手を引いて清春は部屋にゆっくりと入ってきた。その姿はここに来ることを怖がっているようにも見える。
彼は私をじっと見ると、地面に頭を付けて土下座をする。
「…ごめんなさい…ごめん…なさい…ッ僕は…ごめんなさい…。」
消え入りそうな声だけど、はっきりとそう言っている。
その姿に何を言えば良いのかわからない。
私は彼の心の闇を完全に払拭してあげることができないからだ。
何度も人を殺させられて、何度も痛めつけられて、彼が失ったものはあまりにも多すぎる。
ここからは普通の世界で暮らせると言っても、彼の心が軽くなるわけではないんだ。
私が何もできなままでいると、清子が清春を抱きしめた。
優しく、それでも絶対に離さないように、ギュッと。
「清春…あなたがやってきたことは、絶対に許されないし、この先も責められ続けるわ。」
清子は泣きじゃくる清春をより一層強く抱きしめる。
「でも…っそれでも絶対に私はあなたの味方っ…この先何があってもっ…あなたの味方。」
「どうして…っどうして清子様は…だって僕…。」
言葉にならない嘆きを聞きながら私は二人を見る。
二人にとっても、私にとってもみんな今しか見えない世界で生きている。その中で、過去に縛られ続けている清春。
清子の言う通り、私が清春を全く恨んでいないと言うと嘘になる。
やっぱり痛かったのは痛かったし、嫌だったと言いざるおえない。
だけど、二人で…この先に続く、”今”を生きてほしい。その道でどんな苦しさが待っていても、きっと乗り切れる。
だって二人は…。
「私が、あなたのお姉ちゃんだから…だよ。」
時間が止まったような気がした。まだまだ寒い風がざぁっと入ってきて、髪をかき乱す。清春はしばし目を見開き、清子の顔を覗き込む。
清子は、優しい笑顔を向けて清春を抱きしめる。
今度は優しく、温かく。
「どうして…どうしてもっと早く言ってくれなかったの?ずっと…ずっと清子様がお姉ちゃんだったらって…。」
「ごめんね。…ごめんね。」
清子は静かに涙を流しながら清春の背中をさする。
二人とも泣いていた。
だけど、二人とも笑っていた。
数日後、二人の両親がやってきた。
二人は何年もの間地下牢に幽閉されていたらしく、まだ日光になれていないらしい。
なんでそんな事私が知っているかと言うと、御息所は両親の案内を清子ではなく私にさせたからだ。
なんでもその方が感動的だからとか言ってたけど、さっさと会わせてあげたほうが双方安心できるだろうに…。
だけど、そんなことはすぐにどうでも良くなった。
四人は、会うと同時に走り出して抱き合う。
そこから私は空気みたいな存在で、家族愛を見守る係となっていた。
「お父様!お母様!」
「清子!…久しぶりね…。」
「あぁ…清光はどうした?」
清子は顔を曇らせたけど、無理に笑顔を作って答える。
「お兄様は天国へ旅立ちました。」
「…そうか。」
「兄が埋葬された所があります。今度一緒に行きましょう。」
「お姉様、清光って?」
首元に可愛い布を巻いた清春が清子の袖を引っ張って聞く。声こそ戻らないけど、その姿には少し前までの恐ろしさは見る影もなく、年相応の子供らしさが溢れていて、思わずこっちも笑みが溢れてしまう。
「清光はね、私達のお兄様。今は天国にいるの。」
「…そっか。…きっと、いつか会えるよね。」
その問に思わず答えが詰まる清子。彼女に代わって父が答える。
「そうだな、きっといつか会える。だって俺達は…。」
寒い風が一筋吹いたけど、そこには何処か暖かさがある。父の瞳から光るものが流れ落ちたあと、母は優しく微笑み三人を抱き寄せ、きっと父が言いたいであろうことを二人に伝える。
当たり前のように見えて、本当は特別なことを。
「これからはずっと、一緒だよ。」
「これからもずっと、大好きだよ。」
あたたかさを含んだ風が心地よく髪を撫でた。
春はもうすぐ、やって来る。 (第一章 月の闇編 完)
季節は巡って、桜が舞う頃。
「ねぇ、見て…!」
「あの方が噂の…!」
薄い紅色の花びらが飾る道を進む男を見て誰もが思わず振り返る。
その、多くの人を魅了する青年は従者から面白い話を聞いた。
「へぇ…愛した夫に捨てられた、可哀想な女…か。」
青年は意地悪に微笑むが、それさえも彼の魅力を増してしまう。
まさに今を光り輝く君はいつもの微笑みに戻ると、静かに花の道を歩いていく。
新たな風が、吹き始める。
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【あとがき】
自分には何も取り柄がありませんでした。
同期には結果で差をつけられて、後輩には抜かされてきました。
いつも、誰よりも出来るものが欲しかったんです。
自分の場合、それが小説でした。
もちろん、自分の小説が誰よりも優れていると言いたいわけじゃありません。
ただ、少なくとも自分にとっては世界にたった一つしか無い、大好きな小説を作ることが出来るんです。
書くことが、なにもない自分を納得させることの出来るものだったんです。
そんなふうに、この小説が、他の誰かの大切なものになりますように。
最後に、ここまでご愛読くださった皆様に感謝の意をお伝えしたいと思います。
ありがとうございました。
【お知らせ】
夕顔は枯れない、第二章「光と影編」が公開予定です。
永久と決別している夕顔は御息所の用事で宮中に行きます。
そこで、源氏物語と言えばの人と出会い…。
その中で明かされる永久の真実。
光と影が交錯する第二章、お楽しみに!
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