蛮世記

沖 洋人

01法妙蛇

 陽の国の潮巳シオミの街に法妙蛇ホウ ミョウダという男がいた。長く連れ添った女がいたが、その女は妙蛇を捨て地主の息子と夫婦になった。妙蛇は深く悲しみ、女を憎んだ。


 妙蛇が街から離れ、崖から海に向かって呪いの言葉を叫んでいると、それに相槌を打つ様な声が崖下から聞こえた。不思議に思った妙蛇は崖を降りてみると、崖下には小さな浜辺があり、浜辺と崖との境に洞があった。洞の中には男の死体があった。死体は両膝を折り曲げ、膝を抱えるように腕を組み、目が爛々と輝いており、肌は紫色だった。死体の足元には小さな墓碑があり「名もなき男、世を儚んでここに眠る」と書いてあった。


 妙蛇は気味が悪くなり、何も見なかったことにして家に帰った。その日の晩、妙蛇が眠ると、夢の中に死体だった男が出てきて言った。

「私は前暁鱗ゼン ショウリンという。昔、女に捨てられて、怒りの果てにあの安息所で眠りについた。お前も私と同じ苦難を味わっているな?私にはよくわかる。私と一緒に女という女を憎もうではないか。」

そう言って暁鱗は酒と杯を取り出してぐびぐびと飲み始めた。妙蛇は「一晩考えさせてほしい」と言って暁鱗の前から辞退すると、目が覚めた。


 妙蛇が大急ぎで街の僧に相談したところ、それは亡者の一種であり、早々に対処しなければ妙蛇の身も危ないということだった。妙蛇と僧は急いで崖下の洞に行き、死体に目隠しをし、左の小指を折り、手足を縛って海へと埋葬した。


 それ以後、妙蛇の夢に暁鱗が出てくることはなかった。妙蛇は自分を捨てた女を恨むことをやめ、よい女房を娶り、子を二人成した。

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