プロローグ②
「ここは…なんじゃ?儂は…どうなったんじゃ?」
慎之介は呆然としている。目の前に広がる湖や森は馴染みのある聖地のものとは違う。そして何より彼が驚いたのは自分の体にだった。
湖の中央部、崩れた石像があり、手前にある祭壇のようなものの上で慎之介は目覚めた。
ゆっくりと体を起こすと、寝たきりだったころの体の重さや痛みが全くなく、体の様子がおかしいことに気づく。
自分の腕が、手が、足が。老人のそれではない。それに、服も着ていない。冬ではないようで助かったが、これは参った。
自分の状況を確認するため、湖面で自分の姿を確認しようと移動し、ゆっくり湖面をのぞき込む。腰まで伸びきっていた白髪は色を取り戻し、顔は少年の頃のものになっていた。
(どうしたことじゃ…儂になにが起きたのか…)
湖の水はとても澄んでいる。崩れた柱や壁の破片が湖に沈んではいるが、衛生面でも問題はなさそうに見える。水をすくい、軽く顔にかけると、とても冷たく気持ちが良い。
(手の感覚はあるし、水の冷たさも感じる。今の顔立ちから、体は11~12の歳の頃といったところじゃろうか。ふむ…。ここは死後の世界という訳でもないようじゃし…。考えられるのはやはりあの言葉かのう…)
湖に写る自分の顔を見ながら、顎に手を当て考える。禍つ神との闘いの後、確かに体に力も入らず、意識も消えていく感覚があった。
あそこで命が尽きたのは間違いない、という感覚もある。思い出すのは薄れ行く意識の中で聞こえた不思議な声。その声が発する願い。
"あなたの魂を異なる世界へ送る"
声の主は月の女神様…かとも思ったが、巫女でもない儂は女神さまの声なぞ聞いたこともない。暗闇に響く声に一方的にお願いされただけでこちらからの問いに答えはなかった。
(あの声がきっかけであったことは間違いなかろう。しかし今は情報が少なすぎるのぅ…。それにしても"私を殺して…”か。儂にそのようなことができるのか?悪神である禍つ神がこのような超常の現象を引き起こすことができる存在なのであれば、一度斬ったからこそできるか?)
眉間にしわを寄せながら思考のループに入ろうかとしたところ、後ろに何かいる気配を感じる。
考え事は一旦頭の隅に追いやり、警戒しながらゆっくりと振り返り、祭壇らしきものの前までゆっくりと歩いていく。
「こら!押さないの!見つかっちゃうのだわ!!」
「私たちにもちゃんと見せなさいよ~!!ウルだけずるい!!」
「危ないものかもしれないから私が見てあげてるのだわ!ありがたく思うのだわ!!!」
そして崩れた柱の裏から警戒心を全く感じない賑やかな声が聞こえてくる。慎之介の体からふっと力が抜け、毒気を抜かれたようになった。
「こほん」と咳払いすると、ピタッと声が止まる。慎之介はやれやれ、と思いながら声をかける。
「あ~そこにいるのは誰じゃ?もしよかったら少し話を聞かせてくれんかのう?儂は特に怪しいものじゃない。いや…今の儂の見た目は怪しいのは怪しいのじゃが…。」
全裸である以上、怪しくないといってもさすがに難しい。とても気まずい。
しばしの静寂の後、先ほどとは違い、ヒソヒソとした声が聞こえてきた。石像の崩れた部分から小さな頭が3つ見えている。
「ちょっと!あたしたち居るのばれちゃってるわよ!どうすんの!」
「もう!あんたたちがうるさいから!!ばれちゃってるなら出ていくしかないのだわっ」
「え~…ボ…ボク怖いんだけど…」
「もう遅いのだわ!行くのだわ!」
石像の陰から影がが一つ飛び出し、続いて二つ飛び出した。飛び出したものはくるくると宙を舞い、儂の目の前にとどまる。
その姿は人に似ているが、全長は慎之介の顔の顎から額までくらい。肌は薄い赤みを帯びた肌色だが、それぞれ異なった色の髪の色で、体の一部に鱗のようなものを纏っているように見える。
目に白目はなく、全眼の引き込まれるような黒い瞳だ。きらきらと光をまとう羽根を持っており、その美しさは神秘さを感じさせる。
薄いピンクの髪と鱗を持った子が真ん中で腰に手を当てて胸を張る。他の緑と水色の髪の子を従えるような位置にいることを見ると、この子がこの中で最も主導権を握っているようだ。
「ねぇねぇ、あなたどこから来たの?こんなところに人間が居るなんて珍しいのだわ!!ここは私たちピクシーが見守る聖域なのっ。もし悪いことしようとしてるんだったら許さないのだわ!!」
ぐっと体を前に出し、慎之介の鼻先まで指をさしながら迫る。
どうやらこの子たちはピクシーという種族のようだ。現状、周りに人が居る気配もない。この子たちに色々と聞いてみることにして、なぜここにいるのか、目が覚めるまでの経緯を説明する。
「あなた、とってもとーーーーっても変わってるわね!!不思議だわ!!フーシギー!!」
「悪い神様をやっつけちゃうなんてスゴイわね!?本当に人間なの!?」
「あ…ボ…ボク…び…びっくりです…」
話を聞いたピクシーたちは何やら大きく盛り上がっている。儂は苦笑いしながら話を進める。
「というわけで、儂はここがどこなのかさえわからない状態なのでな。いろいろと教えてもらえたら嬉しいんじゃが…」
「そうねぇ~。あなたはなんだかとーっても面白そうだから協力してあげるのだわ」
ピンクの髪の子がウキウキとした様子で答えた。今は右も左もわからない状態なのでとても助かる。彼女たちのことも含めゆっくりと聞いていくとしよう。
…とりあえず、今は最優先で解決しないといけないことがある。
「それはありがたい。しかしのぅ、話をする前に一つお願いがあるんじゃ」
「なぁに??」
「すまんが、儂が着れるような服はないか?」
…いつまでも全裸でいるわけにはいかない。
ピクシー達はきょとんとした顔をした後、お互いに見つめあい楽しそうに笑い、「人間って不思議~」「変わってる~」なんて口々に言いながら探しに行ってくれた。
彼女たちは服を着ることがないから、必要性を感じなかったそうだ。「そのままでいいのだわ~」なんて言っていた。さすがにそれは…無防備すぎるのは良くないであろう…。
それから少し時間が経ち、ピクシー達は戻ってきた。なんと、一緒に服や鎧などを着た骸骨を連れて。
ピクシー達は魔力を持ち、自在に操れるようで、魔法を使い白骨化した亡骸を操って連れてきたそうだ。
緑の髪の子が「人間が着てるものをはがすのは面倒だからそのまま持ってきたの~」といいつつ、亡骸をそのまま湖畔の一か所にまとめてくれた。
おかげで服(装備?)が集まったわけだが、これらは森で亡くなった人間のものであった。
力試しや探索などを目的として、人間がたまに森の奥まで迷い込んでくるそうだ。
しかし、湖周辺の魔獣はかなり狂暴らしく、ほとんどが生きて戻ることはできないとのこと。
この湖は森のかなり奥にあるそうだが、人が近くまで来ることはあっても、生きて訪れることは殆どないとピクシー達は言った。
今回集めてきた骸骨たちはとても珍しい、湖の近くまできた人間、ということだ。
この森の厳しさは、これまで生きてきた聖地の森と少し似ているかも…とふと懐かしさを感じる。剣を覚えてから、森の魔獣たちを狩り、聖地を守るのが人生の全てだったのだから。
集められた亡骸は12体。だいぶ長い期間を経ているものもあるが、比較的新しいと感じるものもあった。
残っている鎧や布はかなり品質が良かったようで、長い間風雨にさらされているが、朽ち果てることもなくしっかりしているものが多い。
よく見ると綿や毛糸、絹などの素材とは違い、どうやら、魔獣の素材が使われているようだ。魔獣の生地は風雨にさらされても劣化しにくい。
身に着けている装備もかなり品質が良いように見える。この者たちは生前、かなりの強者だったのかもしれない。亡骸に手を合わせながら使えるものを探していった。
集めてきた装備品の中から使えそうなもの洗い、服を着た。魔獣の生地とはいえかなり傷んではいるが充分だ。とりあえず尊厳は守られた…と思いたい。
「感謝する、3人とも。ようやく落ち着いたわい」
「ふふ~そうよそうよ~!感謝するのだわっ!!」
得意げにピンクの髪のピクシーが言う。とても嬉しそうだ。そういえば、この子たちの名前をまだ聞いてなかったのを思い出した。
「そういえばまだお主達の名を聞いておらんかった。儂は月守慎之介という。よければ名前を教えてくれんかの?」
「ツキモリシンノスケ…変な名前だわ!!!私はウル!ウル=フォレだわ!!」
「あたしはメル=フォレよ」
「うぅ…ボ…ボクはマール=フォレ…」
ピンクの髪がウル、緑の髪がメル、水色の髪がマールとそれぞれ名乗ってくれた。フォレはこの湖で生まれたピクシーが名乗るものと教えてくれた。
「それにしてもあなたの名前長すぎるのだわ!ツキモリシンノスケ…そうね!これからツキにしなさいなのだわ!!」
ウルたちにとって名前は短いほうが当たり前で、読みやすいからそうしてほしいとお願いされる。そういえば儂が住んでいた国では命名が少し特殊であったのを忘れていた。
「すまぬ。少し誤解を与えたようだ。『シンノスケ』が名前で、『ツキモリ』がお主達でいう「フォレ」のようなものじゃ。シンノスケと呼んでくれて構わぬよ」
「へ~そうなのね!!!シンノスケ!!うーん。響きがあまり好きじゃないのだわ!まだ長いし!『シノ』にしなさい!!!」
ウルは「決まりね!」とかなりぐいぐいとくる。その瞳は期待に溢れていて、どうしてもそう呼びたい!と顔に書いてある。
ここに来る前に儂は一度死んだ。超常の力で新しい生が始まったが、本来はあり得ないことで、普通ならそのまま星に還るはずじゃった。これからは新しい自分として、この名前を受け入れるのも悪くはないか。
「あい分かった。その名前を受け取ろう。これから儂は『シノ』を名乗ることとしよう」
やったのだわ~!とウルはとても嬉しそうに飛び回っている。
「さて、それじゃお主達のことや、この森のことを教えてくれるかい?」
「任せるのだわ!!」
ウル達は様々な話をしてくれた。まず、今いる湖は、最果ての大森林と呼ばれる、大陸の端にある森の中にあるとのことだった。
「最果ての大森林」という名称はピクシー達が名付けたわけでなく、迷い込んだ人間の集団が話していたのをこっそり聞いて知ったらしい。
3人は普段、湖周辺で過ごしているが、時折暇つぶしに森の中を探検しているそうだ。
ピクシー族は、精霊に属する存在の頂点に位置しており、庇護している妖精や、小精霊に湖の管理を手伝ってもらっているという。
こうして話している間にも、どこかに隠れていたのか少しずつ妖精や小精霊が現れていて、いつのまにか囲まれていた。言葉は理解できないが、何やら歓迎してもらえていることは分かる。
以前の世界で精霊の力を借りていたことを考えれば、この出会いはとても奇縁だ。
この森にはなかなかの力を持った魔獣が多く、ウル、メル、マールには問題ないが、大精霊未満の力しか持たない妖精や精霊達には手に負えないため、3人で保護しているという。
彼女たちは世界創世の女神の眷属で、この湖には薄くではあるが女神の加護が存在しているとのこと。そのため、水が淀むこともなく、狂暴な獣が寄り付くこともない。
精霊に属し、精神生命体に近いというピクシー達だが、永遠の命という訳ではなく、数千年の時を経ることで体を構成する魔力が星の流れに還り、代替わりをする。
そのため創世の女神に生み出された当時の記憶を受け継いでいるわけではないそうだ。世代を重ねているウル達は、眷属であることを種族の感覚として覚えているだけで、必ず守らなければいけないものではないらしい。
ピクシーそれぞれの個体で、その使命への責任感みたいなものは大きく異なると言っている。
また、この世界にはいくつか創世の女神の加護を受けた湖があるはずで、ここはフォレの湖と呼ぶと教えてくれた。
「そうか、お主達は創世の女神の眷属なのじゃな。儂の住んでおった世界では月の女神様が世界を創世されたと言われてたんじゃ。故郷で信仰をしておった。ここは月の女神様が作った別の世界なのかと思ったが、どうにも違うようじゃな」
儂は顎に手を当てながら考える。現時点では判断するための情報がどうしても足りない。
「ねぇウル。そういえばあたしが生まれた時より加護の力が薄くなってる気がしない?時々あたしたちで結界を張ってるから問題ないのだけど…。あと数千年もすれば消えちゃうかもよ?」
「あ…あ…、ボ…ボクもそう思う…。そ…それに…もう…長い間…他のフォレが生まれてない…。ひょっとしたら、月と関係があるのかも…」
メルとマールがそう言うと、ウルが手を組み、目を閉じながらうーんとうなっている。
「確か一万年くらい前に月が一つ壊れちゃったって聞いたことがあるのだわ。まだ神様達がこの世界にお見えになって、元気だった時のお話を、私が生まれる前から生きてた子から聞いたわ!その時に神様同士が喧嘩しちゃって、創世の女神様がお隠れになったって言ってた気もするのだわ。フォレの壊れた石像や残骸はその時の名残なのだわっ」
「月が1つ壊れた?どういうことじゃ?月は1つではないのか?儂が住む世界では月は一つしかなかった。この世界では複数存在しているということか?」
「前は2つあったのだわ!!でも壊れちゃって今は1つしかないのだわ。夜になると壊れた月も一緒に見えるのだわっ」
「ここには月が2つあったのか…。それは考えておらなんだ」
最期に聞こえた言葉の中で、"今の力では戦場へ送りだすので精一杯"といっていた。ひょっとしたら何らかの関連性があるかもしれぬな。とはいえ、現時点では情報が少なすぎる。明確な判断は難しいか。
「そうなのだわ~。私たちで分かることと教えられることはこのくらいだわ!」
「ありがとう、ウル。メル、マール。とても役に立った。じゃが、これからの為にもう少し情報が欲しいのぅ。聞きたいのじゃが、ここから人が住む場所に行くことはできるかのう?」
人は情報を蓄積し、残し、伝えていくことが非常にうまい。ひょっとしたら創世から、現在に至るまでの歴史を研究している者もおるやもしれぬ。
できれば人に合ってこの世界についてもっと深く話を聞く必要がある。
「もちろん!私たちはこの森を隅々まで探検してるから案内くらいはできるのだわ!」
「ならば、儂の準備が整ったら案内をお願いしたい。頼めるじゃろうか?」
3人は頷いて、快く了承をしてくれた。
「でも、準備って何をするの??今からでも行けるのだわ?」
「この森の獣は手ごわいのじゃろう?今の儂の体でどこまでできるか確認しておかねばならぬからな。少しの間、ここを拠点に訓練をさせてくれるとありがたい」
「良いのだわ~!妖精や小精霊たちにも手伝うように伝えておくのだわっ!」
「楽しいことが始まりそうな予感がするわ!」
ウルはきらきらとした光の鱗粉を振りまきながら宙を舞う。
「仕方ないわね。手伝ってあげるわよ」
メルはぶつぶつ言いながら儂の頭の上に座る。
「え…え…人間と一緒なの…き…緊張する…」
マールは妖精たちの陰に隠れる。
(いきなり精霊との縁ができたのは何やら作為的なものを感じるが、これまでもこの精霊たちの力にたびたび助けられてきた。今はこの巡りあわせを喜ぶとしよう)
慎之介、あらためシノは、ピクシーや集まる妖精、精霊たちの様子を見ながら、これからのことに思いを馳せていった。
それから1か月程度の時間が経過した。シノはできる限りの訓練と準備を終え、旅立ちの日を迎える。
フォレの湖の畔でシノと、その肩に座るウル。周りには多くの妖精、精霊、そして、メルとマールがいる。
「ウル!あんたの願いが叶ってよかったわね!」
「ボ…ボクは…怖くてムリ…ウルすごい…」
2人のピクシーはそれぞれでにウルに声をかけている。ウルは儂の旅についていくことになった。この好奇心旺盛なピクシーは森を出て、外の世界を見ることをずっと夢見ていたそうだ。
「ありがとうなのだわ!フォレはあなたたちに任せたのだわっ!!シノがいなくなったらまた戻ってくるからその時までよろしくなのだわ!」
「はは。ウルがいてくれると心強いよ。メル、マール、ウルのことは任せてくれ」
「じゃぁみんな元気でね!行ってくるのだわ!」
「あぁ。出発しよう」
シノはゆっくりと振り返り、森に向かって足を踏み出す。
やがて「神斬りの大英雄」と呼ばれることになる剣士と、小さな相棒の旅がここから始まる。
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