第32話 束の間の恋人

 連休が明け、また学校が始まった。海斗は相変わらず朝練と夕錬が毎日あり、岳斗と顔を合わせる時間は短い。洋子に何かを悟られる心配は、意外にないかもしれない。

 教室に入ると、岳斗の元にワーッと女子が集まってきた。

「ねえねえ、お兄さんと前園さんって、恋人じゃないんだってね?」

「フェイクだったんだってね!」

などと言う。岳斗は曖昧に頷いた。この伝わるスピードは何だろう。SNSで回っているのだろうが、自分は情報に疎いようだ、と岳斗は思った。

 実は前園が、インターハイを前にしてナーバスになり、海斗に相談を持ち掛けていただけで、付き合っているわけではない、と言ったのだった。岳斗にとってはもう、どうでも良い事だったのだが。

 岳斗の部活動中に、また白石会長が部室に現れた。

「前園の件だが、SNS上に誹謗中傷の書き込みが多数見られたので、実被害はないにしても、手を打った方がいいと思ってね。それで、付き合ってはいないという内容を改めて流したのだ。」

「え?白石さんが、情報を?」

岳斗は驚いた。すごい影響力、実行力、決断力。

「流石ですね。」

岳斗は心から感心してそう言った。白石は、

「いや、そんな事は……。」

と言いながら、本当に照れているようだった。意外に可愛いところもあるみたいだな、と岳斗が微笑んで見ていると、

「し、ら、い、しー。」

出た、海斗。

「キャー、海斗さん、こんにちは!」

萌一人の為にサービスしているかのようになっている。

「こんにちは。おい、白石。また岳斗にちょっかい出しやがって。」

「海斗、白石さんにお礼を言わなきゃだよ。前園さんがひどい目に遭わないように、対処してくれたんだから。」

岳斗がそう言うと、

「その件なら、もう言ったよ。それとこれとは別!」

海斗はそう言って、白石を睨む。岳斗は海斗を廊下へ引っ張って行った。

「ちょっと、そんな事したら、バレバレじゃないか。俺たちの事が。」

岳斗が小声で非難すると、海斗はキョロキョロっと周りを見渡し、岳斗にチュッと素早くキスをした。

「な、何すんだよ!バカ!」

岳斗は思わず小声で叫び、手の甲で唇を押さえた。海斗は岳斗の頭をナデナデすると、そのまま部活へ戻って行った。

(ああもう、どこで見られているか分からないのに。)

ハラハラする岳斗である。


 岳斗が家に帰って夕飯を食べていると、洋子が、

「岳斗、留守番している間、家事を色々やってくれてありがとね。」

と言った。

「そんな、大した事やってないよ。」

「それと、あの野獣と二人きりにして、ごめんね。」

と、洋子が言ったので、岳斗は食べていたご飯でむせた。

「ごほっ、ごほっ。」

汁物を飲んで、一息ついてから、

「野獣?海斗の事?」

と、驚いて聞いた岳斗。だがそれはつまり、岳斗の事を襲うかもしれない、岳斗の事を狙っている奴という意味だと悟り、この話題には触れない方がいいと咄嗟に判断した岳斗は、

「ああ、べつに大丈夫だよ、うん。」

と、適当に話を終わらせた。洋子はにこやかに岳斗の事を見守っていた。

(そうやって、俺の心を読むんだな、母さんは。何でも分かってくれて心強いけど、今はそれが苦しい。)

 すると、バタンと音がして、

「やまとぉー!」

と呼ぶ声がした。海斗が帰ってきたのだ。一瞬嬉しいと思ってしまった岳斗。だが、洋子の手前、喜んでいる様子は見せられない。岳斗はわざとうんざりした態度で、ため息をついた。

「はいはい、今行くよ。まったく。」

と言いながら、玄関へゆっくり歩いて行った。いちいちハラハラするものである。


 寝る前になって、海斗がそうっと岳斗の部屋に入って来た。ドアの開閉の音もさせないように、こっそり入ってきて、小声で岳斗を呼ぶ。岳斗は驚かない。待っていたから。二人の束の間の、恋人同士の時間。忙しい海斗の、ほんの少しの時間を岳斗の為に使ってもらう、岳斗にとって贅沢な時間。幸せな瞬間。もっと一緒にいたいが、勉強もしなければならないし、明日の朝も早い。特に海斗は早起きだから、岳斗はわがままを言えない。

「じゃ、また明日な。」

海斗はそう言って、自分の部屋へ戻って行った。切ない。胸が苦しい。そして、そんな自分が愛しい、と思う岳斗であった。

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