美食家御曹司の奢り飯🍴〜真壁かすみは上司を脅して美味い飯を食べまくる〜
いぬがみとうま
第一話 正拳突きと本部長
暖かい日差しと共に春の風が、かすみの頬を掠める。
シワ一つ無い真新しいスーツが、社会人一年目のフレッシュ感を醸し出す。
「おはよう。私の新生活」
かすみの社会人一年目は、大手総合商社NRホールディングスグループの企画部の会議室で終りを告げられる。
わずか三ヶ月の儚い社会人生活だった。
「なんで私がクビなのよ!」
「あたりまえじゃない。上司を殴り飛ばしたんでしょ」
「あれは、課長が殴ってみろって挑発したから……」
「言葉の綾でしょ。本当に殴るなんて。警察沙汰にならなかっただけマシよ」
◆◆◆
企画部といっても新人は、ありとあらゆる雑務を行うだけの役割だ。それはかすみも例外ではなく、日々膨大な量の雑務をこなしていた。
このご時世ハラスメントは何かと厳しいはずだが、このNRホールディングスグループ、特に企画部に限ってはパワハラやセクハラ、モラハラだらけ。現代に増殖する『✕✕ハラ病』などお構いなしだった。
「
「はい、課長」
「A社の資料作成は終わったのか?」
「いえ、指示されてませんけど」
「いや、お前が聞き漏らしたんだろう。俺はやっておけと言ったぞ」
「絶対、言ってません」
「なんだ? 女のクセに口答えするなんて生意気だな」
「
「ったく、ギャァギャァうるせぇな女は。馬鹿で弱いくせに」
「たしかに私は、馬鹿かもしれませんが、弱くはありません」
「あ? じゃ、俺に勝てるのか? かかってこいよ。ほら、殴ってみろよ」
「セイッ」というかすみの気合いが空気を震わす。次の瞬間――大の字に転がる課長はビクビクッっと小刻みに痙攣し、白目を剥いていた。よし、腰の入った正拳突きで綺麗に意識を刈り取ったわ。
目を見開き、空手特有の〝残心の構え〟を取るかすみの姿に、その場にいた部署の全員が言葉を失った。
◆◆◆
「ユリ……明日から、私はどうやって生きていけばいいの?」
「知らなーい。バイトでもするしかないんじゃない?」
かすみが愚痴を聞いてもらために、カフェに呼び出した唯一の友人である安西ユリは、スマホをから視線を話すことなく答える。
「貧乏道場の、なけなしのお金で大学に通わせてくれたお父さんに申し訳ないよ」
「アンタの暴力性は、そのお父さんの指導の賜物でしょ。因果応報よ」
「あれは暴力じゃないわ。決闘よ」
「決闘も一応犯罪だから!」
「はぁ、そんなことどうでもいいわ。それより今月の家賃、どうしよう」
「あんた、そこまで困窮してるの?」
「うん。食費を浮かせるために、週に一日、断食してる。それでも全然足りない」
「あ、ここのカフェ、この単発バイトアプリ経由なら日払いで働けるよ」
「本当? それは救いの神アプリよ」
便利な時代になったものだ。スマホアプリで登録すれば面接もなければ出勤拒否もされない。バイト代はアプリの運営会社が肩代わりして即日支払われる。
「とりあえず、再就職が決まるまではこれで食いつなぐ事ね。頑張りなさいよ」
「
「その〝押忍〟ってのやめたら? 怖いよ」
「お、押忍」
次の日から、カフェでのバイトが始まった。ホール業務や、掃除、荷物運びがかすみの役割だが、空手家の父の方針により歩けるようになる前から筋トレをしていた、かすみにとって力仕事なんて朝飯前だ。
テキパキと何でもこなすかすみは店長や先輩スタッフにも気に入られ、企画部での辛い日々とは比べ物にならないほど快適で充実した毎日を過ごしている。
――私ってこの仕事が向いてるのかも。このまま就職、なんてのもアリかもね。
かすみはしばらくすると、単発のバイトではなくアルバイトとして正式にこのカフェのスタッフとなった。
バイトアプリに中抜されていた手数料が上乗せされる分、待遇も随分とよく、日払いで無いことを加味してもこちらのほうがよい。
ある日のランチ客の波が収まりかけた頃、一人の青年が店内に入ってきて奥の席に座り経済新聞を広げる。
――案内する前にズカズカと……しかも、一人なのに六人テーブルに。
「ご注文はいかがなさいますか?」
無表情な青年の横顔を見ると、勢いよく筆を引いたような綺麗な眉と、それに似合う切れ長の目が新聞を眺めている。二十六、七歳くらいだろうか。
「ご注文はいかがなさいますか?」
「――うるさい」
「は、はい? ご注文を……」
「うるさいと言っているんだが、お前には聞こえないのか?」
「はい? ご注文されないようでしたらお帰りを」
「失礼な女だな。俺が誰だか知らないようだから、まあいいが。あっちに行け」
「失礼な男。アンタこそ私がどれだけ強いか知らないようね」
「知るか。お前のような庶民なんて。クビにされたいのか?」
「クビ! クビですって? 私の
青年は「いい加減にしろ」と言うと同時に立ち上がり、かすみの襟元を掴む。次の瞬間、「セイッ」という気合いと共にかすみの正拳突きが、みぞおちに突き刺さる。
バラバラに舞いながら散らばる新聞。失敗したテーブルクロス引きのようにテーブルの上に置いてあったものが滑り落ち、店内にたたましい音が響いた。
騒ぎに気づいた店長とスタッフ全員が駆けつける。
「真壁さん、一体なにが」
「店長、この男に暴力を振るわれそうになって」
「な、なんだって……じ、
「え? 本部長!?」
乱れたネクタイとジャケットを正しながら、目元を細かく
このカフェを運営している本社の本部長が、店長との定期ミーティングのために来店したのであった。
「すみません。本部長がいらっしゃる事を、新人スタッフに伝えていなかったので」
「店長との約束より少し早く来た俺も悪かったが……あの店員はなんだ!」
「申し訳ございません。入ったばかりの新人アルバイトで」
「ふん、クビにしろ」
「え、それは……人手不足でもありますし」
「ダメだ。客に暴力を振るう女なんてリスクでしかない」
「しかし……」
店長はなんとかかすみを
肩を落として家路につくかすみのポケットのスマホが震えている。どうせ、友人のユリか父親だろう。
いつもかすみに電話を掛けてくるのは大体この二人だ。ちょうどいい、クビになった愚痴を言う相手が見つかった。そう思い、スマホの画面を見る。
――登録していない番号……あれ、これ私の番号だ。
「はい、もしもし」
「さっきの正拳突き女か?」
その声には覚えがある。憎しみと共に、べっとりと耳にこびり付いている本部長の声だ。鎮火した怒りの炎がくすぶり、再燃し始める。
「は? なんでアンタが」
「なんではこっちのセリフだ。どうやらさっきの揉み合いでスマホを取り違えたらしい」
本部長を制圧し、テーブルの上のものが散乱した時だろう。かすみの腰に巻かれたサロンのポケットから落ちたスマホと取り間違えたのだ。
その時、かすみの脳内に、ひらめいた時の効果音が鳴る。無職になった
「ねぇ、スマホ、返してほしい?」
「当たり前だ。お前もスマホが無いと困るだろ」
「別に。どうせ私に電話を掛けてくるのは二、三人よ」
「ふん、そんなことはどうでもいい。今どこにいる?」
「教えない。ふふふ、タダじゃ返せませんねぇ」
「今から大切な会食なんだ。先方に連絡が取れないと大変なことになる」
「それなら私にとって、より好都合ね。じゃあ、条件を言うわよ」
そして、かすみと本部長のネゴシエーションが始まる。
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