トラウマ②
マンションに、迎えの車が来たのは夜の九時を過ぎた頃。
車に乗り込んだ私は、後部座席で隣に座るコータ先輩に話し掛けず、ずっと窓の外を見ていた。
どうしても気乗りしない。
その上、納得出来ない。
いつもコータ先輩は私が嫌だと言うことを無理強いしたりしないのに、今回に限って無理にでも連れて行く意味が分からない。
そうやって納得出来ないことをするから、余計に気乗りしなくなる。
気乗りしないから、どうして無理矢理連れて行くんだろうって納得出来なくて――…。
窓の外の流れる景色を眺めながら、無限に続きそうなことを考えていた私は、次第に瞼が重くなっていってることに気が付いた。
「おい、ついたぞ」
いつの間にか後部座席で眠っていた私は、コータ先輩に体を揺さぶられて目を覚ました。
眠い目を擦り、車のドアを開けようとすると、
「樹里、こっちから出ろ」
反対側のドアから先に出ていたコータ先輩が、「こっちへ来い」と手で招く。
だから車のシートを横滑りして近付くと、コータ先輩は腕を引っ張って車から下ろした。
車から出ると目の前には沢山の人がいて、コータ先輩に向かってみんなが口々に挨拶をする中、コータ先輩は誰にともなく「おぅ」とだけ言って私の肩に腕を回す。
「ここどこ? クラブじゃないの?」
「違う。今日は地元の集まりだから」
キョロキョロ辺りを見渡しながらした質問に、コータ先輩は私の方を見ないで答えた。
連れて来られたのは、大きな倉庫。
閉じたシャッターに『BAR』と書いた青いネオンライトが点滅している。
コータ先輩に連れられて、シャッターの横にあるドアから中に入ると、入り口付近にダーツの機械がいくつも並び、少し大きめの音でジャズが流れる、倉庫を改造した広い店内には、カウンターと沢山のテーブル席があった。
バーの中は、初めて路地裏のクラブに行った時より人は少ないけど、人混み嫌いな私が息苦しいと思うには充分な数だった。
その中をコータ先輩が歩いて行くと、周りの人たちはスッと道を開ける。
大袈裟に言えば、それはまるで十戒のようで、すれ違う人はみんな割れた海の波の先端のように深く頭を下げていた。
「よぅ、コータ」
カウンター近くで掛けられた声に、コータ先輩は視線を向け「おぅ」と軽く手を上げた。
その視線の先にはドレッド頭の男の人がいて、「久しぶりじゃねぇか」と言いながらこっちに近付いてくる。
「あぁ、色々あってな」
目の前で足を止めたドレッド頭の人に、コータ先輩が私の肩を抱いたままそう答えるから、その視線が私に向けられた。
「女?」
「あぁ」
「珍しいな、女連れてくるって」
「コイツは特別だから」
コータ先輩のその言葉に、ドレッド頭の人は「よろしく」と、私にニッコリ笑い掛ける。
だけどその目は当たり前のように笑ってなくて、背筋がゾッとした。
そのままコータ先輩たちはその場で何かを話し始め、周りの声と音楽のうるささに会話の内容が聞こえない私は、店内を見回しカウンターに食べ物が並べられているのを見つけた。
やきそば、からあげ、チャーハン、サラダ、小さなオムレツ。
バイキング形式なのか、みんなその前で好き好きに品を取っていて、それを見た途端に、ぐぅとお腹が鳴った私は、何か食べようとコータ先輩の腕から肩を抜き、カウンターの方へ足を進めた。
だけど二歩も進まない内にコータ先輩に肩を掴まれ、
「どこ行くんだ」
少し低い声を出された。
「お腹空いた」
そんな声を出されたから少しふてくされてカウンターを指差すと、コータ先輩は「あぁ、そうか」と言って、また私の肩に腕を回して抱き寄せる。
そして、
「何か食ってくる」
ドレッド頭の人にそう言うと、私を食べ物の前に連れて行き、必然的に出来た人間の十戒の真ん中で「好きなだけ取れ」と言った。
手近にあったお皿に私が全種類をちょっとずつ乗せている間に、コータ先輩はカウンターの中の人にビールとオレンジジュースを注文して、食べ物を取り終わった私からお皿を取り上げると、奥のソファ席に向かう。
そしてそこに私を座らせ、自分は隣に腰を下ろすと、私の目の前に山盛りになったお皿を置き、すぐに来た黒いエプロンの店員から、生ビールとオレンジジュースを受け取った。
「……食べにくい」
サラダをフォークで突きながらそう口にすると、
「何が?」
コータ先輩は素っ気ない声で聞き返してくる。
「肩……」
「我慢してろ」
静かに言われたその言葉と態度に、いよいよ文句を言おうとした時、さっきのドレッド頭の人が数人連れてこっちに来るのが見えて、言葉を呑み込んだ。
その人たちは私たちがいるテーブルを囲んで腰を下ろすと、コータ先輩とまた何やら話を始める。
全く会話に入れない私は、オムレツを突きながらみんなと話をしてるコータ先輩にチラリと目を向け、醸し出される雰囲気に少しげんなりとした。
集まりとかに来てる時のコータ先輩が嫌いだった。
目が笑ってないし、優しい顔もしない。
あんまり話し掛けてくれないし、たまに話し掛けてくれても優しい声じゃない。
冗談の一つも言ってくれなければ、声のトーンが低い。
だけど何より誰かと喋ってる時たまにする怖い顔が大嫌いだった。
「……だから来るの嫌なんだよね」
溜息と共に小さく呟き立ち上がると、その拍子に肩からコータ先輩の手が離れ、
「何だよ?」
突然立ち上がった私に、コータ先輩は少し怪訝な声を出す。
「……トイレ」
コータ先輩の方を見ないでそう言った私は、足早に席を離れてトイレに向かい、用を足し終わった後も席に戻るのが憂鬱で、ぼんやりとトイレの前に立っていた。
そんな私に、「樹理ちゃん」と声が掛けられたのは、数分してからのこと。
声のした方に視線を向けると、そこにはヨウちんがいて、
「ヨウちん! 何してるの?」
知り合いがいたことの嬉しさから、私は声を弾ませ近付いた。
「地元の集りだからね。俺は最近ここらいないけど、一応顔は出さないとね」
「あ、そっか。ヨウちんコータ先輩と地元一緒だもんね」
妙にはしゃぐ私に気付いてるのか、「ケンたちも来てるよ」と言いながらヨウちんはクスクスと笑う。
だけど、
「……直人は来てないけど」
付け加えられたその言葉は少し小さかった。
「……そう。……でも、関係ないし」
つられるように小さく答えた私に、「うん。そうだね」とヨウちんは優しく微笑み、
「後でケンちゃんたち探してみようかな? 驚くかなぁ?」
話を変えようと思って口にした私の言葉に、スッと表情を暗くする。
「ケンたちも樹里ちゃん来てるの知ってるよ」
「本当!?」
「うん」
「じゃ、じゃあ、後で――…」
「でもコータ先輩と一緒だし、声掛けらないなって、さっき話してたんだ……」
「あっ、……そっか」
「みんな、樹里ちゃんが元気そうで良かったって言ってたよ」
「……うん」
「また会う機会はあるよ」
「……うん。……杏子は? 来てる?」
「いや、女が来るとこじゃないし」
「……そっか。杏子……元気?」
「……俺も知らない」
そう言ったヨウちんの声は低くて、余計なことを聞いてしまったかと思ったその時、
「何してんだ?」
背後からコータ先輩の唸るような低い声が聞こえ、私は少し体を強張らせて後ろに振り向いた。
振り向いた先にいたコータ先輩は明らかに不機嫌な顔で、
「友達と会ったから喋ってた」
私のその説明にヨウちんは頭を下げたのに、コータ先輩はそれを無視して、一直線に私に向かってくる。
そして、
「じゃあ、樹里ちゃんまたね」
ヨウちんがそう言って、もう一度コータ先輩に頭を下げバーの方へと戻って行くと、コータ先輩は何も言わず私の肩に腕を回し、そのまま男子トイレに引っ張り込んだ。
予想していなかった出来事に、何が起こったのかと目を瞬かせていると、コータ先輩はガシャンとトイレの鍵を閉め、私を壁に押し付けて無理矢理唇を押し当ててくる。
「……んんっ」
強引に、捻じ込むように口の中に入れられるコータ先輩の舌を、必死に拒絶しようとしたけどどうにも出来ず、
「んんッ」
コータ先輩は何度も何度も私の口の中を強く掻き回した後、首筋に吸い付き、右手でスカートを捲り上げた。
「ちょっ、……コータ先輩……?」
その言葉を無視して、コータ先輩は力づくで私の下着を下ろし、首筋に舌を這わせる。
「な……に……? ……コータ先……輩……?」
訳が分からず困惑の声を出した私に、
「黙ってろ」
コータ先輩は冷たく言い放つと、何の躊躇いもなく私の中に指をうずめた。
「んッ」
突然の与えられた衝撃と僅かな快感に漏れた吐息が、他に誰もいない静かな男子トイレに響き、その吐息はすぐに甘いものに変わり、湿気を帯びた水音と共鳴する。
訳が分からなくても慣らされた体はコータ先輩を受け入れられる状態になり、コータ先輩は指を抜くと、私を後ろに向かせて両手を壁につかせた。
パニックになる頭は、コータ先輩が何を考え、何をしようとしてるのか理解しようとない。
でもそれは分からない訳じゃなく、分かりたくないと思っているからで、だからこそ体は強張り、膝が震える。
そんな私のスカートをコータ先輩は腰まで捲り上げる。
そしてすぐに自分のモノを後ろからグッと私の中に押し込み――…
「――…やッッ」
私は悲鳴にも似た声を上げた。
だけどコータ先輩が動きを止めることはなかった。
息が吸えないほどに激しいその動きは、いつもと全然違った。
優しさなんて微塵も感じない、激しいだけのその行為に、
――こんなのレイプと変わらない!
心の中でそう叫び、私は下唇を噛み締めた。
それからコータ先輩が動き続けている間ずっと目を閉じ下唇を噛み締めていた。
コータ先輩が小さく体を震わせ動くのをやめた時には、やっと終わったと、安堵の息を吐いた。
欲望を吐き出すだけの行為の後はとても静かで、私の中からコータ先輩が出て行くと、私は黙って肌蹴た服を整えて、足に引っ掛かっていた下着を穿き直した。
虚しさと悲しさが一気に押し寄せてくる。
泣きたいのか怒りたいのか自分でもよく分からない。
それでも一刻も早く男子トイレから出たいという思いはあるから、コータ先輩の方を一度も見ないでドアに手を掛けた私を、
「悪かった」
コータ先輩は突然抱き締め、耳元で囁いた。
「うん」
ぶらりと手を真下に下げたまま、抱き締めるコータ先輩に応えず返事をする私に、
「……悪かった」
絞り出すようにそう言ったコータ先輩の声が少し震えていたから、私は「……うん。平気」と、ソッとその背中に両腕を回した。
「もう二度としねぇ。絶対ぇこんな抱き方しねぇ。マジ悪かった」
何度も何度もそう言いながら、コータ先輩は抱き締めている腕に力を入れる。
そしてしばらく私を抱き締めた後、いつもの優しいキスをした。
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