第一部

友達①



―――あなたと出会ったのは五月でした。





 暖かい春の日差しに包まれた五月。私は入院していた所為でみんなより一ヶ月遅れて高校に入学した。



 校舎に予鈴が響き渡り、朝のHRの為に生徒が誰もいなくなった廊下を、担任――高原先生――の後について歩く私の耳に、教室から廊下に聞こえてくる微かなザワつき。



 そのザワつきに緊張感が増し、先生が先に入った教室のドアの前で、少し大きめに息を吸い込み中に入ると、教室内が水を打ったように静まり返り、みんなの視線がこっちへと向けられる。



 それはまるで転校生にでもなったような気分だった。



 知らない顔ばかりが並ぶ教室。同中の子は誰もいない。



 でもそれは当然の事で、私はそういう高校を選んだ。



「今日からこのクラスに入る、紺野こんの樹里じゅりさんです。紺野さんは、体調不良の為入院していたので、皆さんより入学が少し遅れました」


 先生の簡単な説明の後、「よろしく」と軽く挨拶をすると、クラスメイト達がコソコソと話し出し、また教室がザワめきに包まれた。



 ジロジロと見られる視線に不快感が生まれる。



 好奇の目に晒されてる気分になる。



 先生に促され一番後ろの窓際の席に着くまでの間、私はずっとクラスメイト達の品定めしているような視線に不快さを感じ続けた。



 席に着きしばらくすると先生がゴホンと咳払いをして、



「中庭の掃除当番の順番だが――」


 ザワついていた教室が静かになり、HRが始まる。



 何やら黒板に書き始めた先生を尻目に、私は右肘で頬杖をつきスッと窓の外に目をやった。



 5月の日差しがポカポカと気持ちのいい日。



 自然と瞼が重くなり、教室に響く先生の声がまるで子守唄のように聞こえる。



 ついウトウトと、窓の外を見ながら、今にも眠ってしまいそうになっていた私は、



「ねぇねぇ」


 不意に声を掛けられ、夢うつつの世界から現実に戻された。



 声のした隣の席へ顔を向けると、そこにいたのは高校生とは思えないような派手な女の子。



 金色の髪にクルクルのパーマ。派手な化粧をした顔の横にある耳には、いくつものピアス。ブレザーのワイシャツは胸の谷間が見えるくらいまで大きく開いている。



――変な子。



 そう思いながらも「何?」と素っ気なく答えると、



「樹里っていうの? アタシ、杏子。よろしこ」


 杏子と名乗った女の子は人懐っこい笑顔を見せた。



 何だか憎めないその笑顔に、無視する訳にもいかないと、


「よろしく」


 そうとだけ返して、また視線を窓の外に戻し、一時間目の授業が始まるまで、窓の外の新緑の景色をただぼんやりと眺めていた。



 一ヶ月もの授業の遅れは相当辛いもので、もう追いつけないんじゃないの?と内心思うほどだった。



 勉強は得意な方じゃない。どちらかというと苦手。



 予習なんて習ってない箇所をどう勉強すればいいのか分からないし、復習なんて習った箇所をもう一度勉強するなんて面倒臭くて仕方ない。



 そんな私の成績は中の下。今じゃ下の上辺りかもしれない。



 午前中の授業が終了すると、クラスメイト達は各々に、食堂へ行ったり、教室内でグループごとにお弁当を広げていた。



 やっぱり一ヶ月遅れの入学は良いものじゃない。



 クラスの中では既にいくつかのグループが出来ていて、とても入り込める雰囲気じゃない。



――出遅れた。



 一瞬そんな思いが頭を過ったけど、本心を言えば楽だった。



 人付き合いは苦手。特に女の子は苦手。



 出来ればみんなとは、距離を置いておきたい。



 だから私は一人でお弁当を食べようと、鞄の中からお弁当箱を取り出し――…ふと、隣の席の杏子が一人でパンを食べているのが目についた。



 杏子も友達が出来なかったのかもしれない。そうだとしても分からなくもない。



 こんなに派手でガラの悪そうな子、みんな敬遠するだろうと思う。



 言えた義理じゃないけれど、教室を見渡す限り、明らかに杏子はクラスで浮いている。



 そんな――杏子にしてみれば余計なお世話な――事を考えていた私は、不意にさっき見た杏子の人懐っこい笑顔を思い出した。



 あの笑顔を見る限り悪いだけの子では無さそうに思う。



 もしかすると見た目が派手なだけかもしれない。見た目の印象よりも本当はもっと――…。



「不良なの?」


 お弁当を半分ほど食べ終わった頃、思わずそう声を掛けてしまったのは、俯き加減でパンを食べる杏子が、何故か寂しそうに思えたから。



 実際はどうなのか知らない。



 ただ私にはそう思えて、思いとは裏腹に声を掛けてた。



 突然の質問に、杏子は一瞬きょとんとしてから、『え? 誰に言ったの?』といわんばかりに辺りを見回す。だから、



「杏子、不良なの?」


 質問を繰り返すと、杏子は突然声を出して笑い出し、「アタシかよっ!」と自分で自分を指差した。



「てかさ? アタシが不良だったらどうしてたの? 『不良なの?』って何! ぎゃはははは! 直球かよっ!」


 ケラケラと目に涙を溜めて笑い転げる杏子は本当に楽しそうで、しつこく笑い続ける杏子に釣られて思わず笑ってしまった。



 きっとあの時の私と杏子は、箸が転がっても笑ってただろうと思う。



 何がそんなに楽しいのか自分達にも分からなくて、分からないその状態すら可笑しかったように思う。



 椅子から転げ落ちそうなくらいに笑っている私達を、他のクラスメイトがどう思ってたのかは分からないけど、その事をきっかけに私は杏子によく話し掛けられるようになった。



 杏子は私が登校すると「おはよう!」と笑顔で声を掛けてくれる。放課後になると「またね!」と手を振ってくれる。



 移動教室の時や体育の時、気付けば隣に杏子がいて、一ヶ月遅れで入学した私と、クラスで浮いていた杏子は、自然と二人で話す事ばかりになり、他の子は話し掛けてこなかった。



 杏子は私を「樹里」と呼ぶ。そして私は「杏子」と呼ぶ。



 同じ年くらいの子に名前で呼ばれるのも、名前で呼ぶのも初めてだった私には、それがとても新鮮だった。



「名前で呼んでいい?」とか、「呼び捨てしてもいい?」とか、最初はそうして始まるものだと思ってたけど杏子は違う。



 最初からずっと――それはもう昔から――そう呼んでいるかのように私を「樹里」と呼ぶ。



 杏子が私を呼ぶ度に、何だかくすぐったいような恥ずかしいような、そんな気持ちになった。





 杏子とは色んな話をした。



 好きな音楽。


 好きな芸能人。


 好きな食べ物。


 中学での事。



 杏子は「アタシ不良じゃないよ。ギャル系だよ」と笑う。



 でも私にはその違いがイマイチよく分からない。



 私にしてみれば、不良もギャルも見た目が派手だという事では変わらない。



 それでも、杏子がいい子だって事は分かる。



 見た目は見た目。



 中身は中身。



 人を判断する基準を間違えてはいけないと思う。



 杏子は私の髪を触るのが好きだった。私のセミロングの髪を触っては、「綺麗な栗色だね」とよく言っていた。



「アタシなんて、色抜きまくりで髪痛みまくりだよ」


 杏子はそう笑いながら、毎日私の髪をセットしてくれた。



 時にはうんちみたいに巻いた髪を頭の上に載せられたけど、それでも二人で笑ってた。



――気が付けば、五月も終わりに差し掛かっていた。





「どこ行ったのかと思った。樹理は小さいから見つけるのに苦労するよ」


 昼休みにトイレから戻った私を、廊下で杏子がそう呼び止めたのは五月下旬。



 杏子はケタケタと笑いながら私に近付くと、目の前で足を止めた。



 身長が150センチ弱しかない私に比べ、165センチくらいある杏子は、時々小さい私をそうからかう。



「私の成長期終わった」


「栄養が足りないんじゃない? ガリガリだし」


 杏子は柱に背をくっ付けてケラケラと笑い、



「胸の成長期も終わった」


 私の言葉に「どんまい」と更に笑い転げる。



 笑い上戸の杏子はいつも、とても楽しそうに笑う。



 そんな杏子の笑顔を見てるのが好きな私も、自然と顔に笑みが零れた。



 その時――だった。



 突然、ふっと頭上の光が途切れ、暗い影が落ちる。



 それと同時に目の前に何かが現れ、



――何? CD……?



 近距離過ぎてボヤけて見えたそれに目を瞬かせた。その直後に聞こえてくる、



「おい、これ言ってたCD」


 背後からの声。



 その声に振り返ると、そこにいたのは知らない男の子だった。



 背後から頭上を通って伸ばされる腕。



 その腕の先にある手に持たれたCDが杏子に差し出されてる。



 男の子の身長は杏子より遥かに高い。180センチはありそうで、金色の短い髪をワックスでツンツンに立てているから、余計に大きく見える。



 キリッとした眉。スッと通った鼻筋。シャープな顎のラインに、口角の少し上がった唇。顔は――格好いいかもしれない。



 でも目つきが悪い。


 更には見た目も相当派手。



 耳に沢山ピアスをして、制服のワイシャツはボタンを留めず完全に、はだけてる。



 見る限り、やんちゃって雰囲気を醸し出すその男の子に、



「サンキュ、直人なおと


 杏子は臆する事なくそう言うと、差し出されてたCDを受け取った。



「そっちが取りに来いよな」


 直人と呼ばれたその男の子は、杏子に向かって気だるそうに言葉を吐くと、ポカンとしていた私の方にスッと視線を移す。



 そして、



「あぁ、悪い。小さいね、あんた」


 フッと小さく鼻で笑うと、差し出していた手をようやく引っ込めた。



――バカにされた!



 そう思った直後に、



「おーい! 直、行くぞぉ?」


 廊下の向こうから聞こえる呼び掛け。



 直人の視線が声の方へと流れ、連鎖的に私も直人の視線を追う。



 声がした方に顔を向けると、十数メートル離れた先に、派手な男の子の集団があった。



「あぁ、行く」


 直人は集団に向かってそう返事をすると、すぐにそっちに向かって歩き出す。



 その足を止めさせたのは、「どこ行くの?」という杏子の言葉。二、三歩ほど歩き出していた直人は、足を止めて振り返り、



「ケンがさ? あの女、家に呼んでるんだわ」


 杏子と同じ人懐っこい顔で笑った。



「マジ? あの女って、あの女?」


「そうそう。やっとこの時が来たぜ」


 何故か興奮気味に質問する杏子に、直人は楽しそうに笑って答える。



 でも私には何の話をしているのか全く分からないから相槌も打てないし、「何の話?」と聞く事も出来ない。



 だから邪魔をしても悪いかと、教室に戻ろうと一歩踏み出した――矢先、



「アタシも行く!」


 杏子が突然大きな声を出して、私の腕を掴んだ。



「この子も一緒にいい?」


 全く状況を把握してない私を指差して問い掛ける杏子に、



「おぅ、いいぞ。でも早くしろ。五時間目始まる前に行かないと見つかっちまう」


 直人はあっさりそう答える。



 何が何だか分からない私は、「え?」という声を上げる間もなく、杏子に教室へと引っ張り込まれた。

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