第44話 リリアンの旅日記から アリーチェリーナとラヴィ①
黒の街へと赴く途中に通る街はどうしても興味があって通りたいとわがままを言いだした。
花の都アレサマーキュリー。
世界最大最古の歌劇場があり、音楽を志す者にとって憧れの舞台だという。
それを俺が行きたいと言い出すならまだしも、何故リリアンがあんなにゴネるのか分からない。
「なぁよ。
なんか思い入れでもあんのか?
アレサマーキュリーに。」
「アプリードは知っているでしょうか。
アリーチェリーナの話を読んだことがありまして、どうしてもこの眼で見てみたかったんですよ、劇場とか、彼女が育った街をね。
結構面白いですよ、アリーチェリーナの逸話は。」
「あー、流石に知ってるよ。
確かステージネームだっけか、アリーチェリーナってのは。」
「そうです。
本名はノラ。
ノラ・フランクリンです。
彼女にはシンパシーがありましてねぇ。
なんでも、昔は音楽信仰の宗教がありまして、そこの司祭の子供として産まれたそうでね、産まれる前から音楽に囲まれて生きてきたらしいのですよ。」
「あぁ、成程な。
自分に似た境遇だって話ね、シンパシーって。
リリアンもそんな感じだもんな。
産まれる前どころか、この形になる前から資料漁りを趣味とした本の虫だったんだから。」
「そういう訳ですね。
彼女のハミングは妖精さえ黙らせ、彼女の歌声は退屈な愛の歌を人間讃歌にさせる、なんて言葉が残っている程の歌声だったらしいですね。
是非聴いてみたかった。」
「俺もだよ。」
歌劇場の周りには大勢の人がおり、屋台や露天が立ち並ぶお祭り騒ぎだった。
名物だというハチミツベーコンをパンに挟んだものを買うとき、店員はこれは特に何かある訳ではなく毎日こうなのだと言う。
アリーチェリーナに憧れ人が集まり、憧れを持った人の中に才能があるものがおり、また憧れが産まれる人が集まる。
ただそれだけのサイクルで結果的に世界中の音楽家と観客が歌劇場を特別な場所に感じ、彼らが実際特別な場所にした。
「にいちゃん…その持ち物はヴァイオリンだろう?
コンクールに出場するのかい?」
コンクール。
歌劇場では通常有名音楽家のリサイタルが催されているが年2回大きなコンクールがあり、それぞれ10日間ほど続く長いものだ。
一つは歌声や演奏の技術の高さを競うアリーチェリーナコンクール。
男女関係なく歌の素晴らしさを競う大会だ。
そしてもう一つはラヴィコンクールだ。
ラヴィはアリーチェリーナの夫であり、自身もピアニストである。
近代音楽の父という異名の通り、優れた演奏家として知られているがそれよりも彼を有名にしているのは、数多くの名曲を世に残していることだ。
アリーチェリーナが歌う曲はほぼ彼の作品であり、彼の死後はアリーチェリーナも歌うことを辞めてしまった為にデビュー直後の数曲を除けば全てと言って良い。
よってラヴィコンクールは自作曲で争う趣旨を持った大会である。
演奏力はもちろん大切だが、どちらかというと曲の素晴らしさが評価点であり、よって出場者と演奏者が同じではない事がザラである。
まずアリーチェリーナコンクールがあり、そこでの優秀者や自分に合いそうな相手をリクルートしてラヴィコンクールに出場する。
そして毎年元旦に、両方の王者が合作で新曲を発表するのだ。
つまりは一年を使い街を挙げてラヴィがアリーチェリーナに曲を贈るということのオマージュをしているという訳である。
素敵な話ではないか。
とは言え、リリアンに言わせるとその流れには苦笑いしてしまうらしい。
「いやぁ…まぁ、結果的に作品が素晴らしければ何でも良いという皮肉的な意味合いを込められているなら良いんですがね?
それこそラヴィという男は奔放な生活をしており、割と早くに…34歳に性病を苦にして亡くなっておりましてね。
対してアリーチェリーナは歌う事は辞めましたが、そこそこ長生きしていますので、その病気はうつってはいません。
つまりは、彼らは伴侶として生きて行きましたが男女の関係として冷め切っていたと考える者が多いのです。」
成程なー。
いつの時代も民衆に好まれる下世話な噂話だ。
本人が語らない限り話半分として聞くべきだが、広まっている話がそれなのか。
「さっき歴代の優勝者の石碑を見たけどよ、意外と夫婦になってない?
そんな逸話知ってて良くくっつくもんだよなぁ。」
「ははは。
そうですね。
どうなんでしょう、両方とも少なくともその年度最高の音楽家ですからね、離れ難くなるのでしょうかね。」
人として好きじゃなくとも、相手の才能を愛している。
そんな二人の関係を現している様な皮肉的なコンクールと言える。
「まぁ、後世の人間があーだこーだ言うべきじゃねぇよなぁ。
性病を理由に愛し合ってなんてなかったっていう証拠にはならないだろ?
まぁ病気も疑っちゃいるがね、俺は。
それだけじゃねーもん、人間同士が惹かれ合うのなんてさ。
性欲だけが繋がりなら、俺とお前も友人になっちゃいないだろ?
なぁ?」
「えぇ、そうですね。
気が合うってのを優先したのかもしれませんし、そういう可能性もあります。
ただねぇ…。
うーん。
奔放な生活って評価が定着しているのにはやっぱり訳がありますよ。
だってね?
ラヴィは一人では死んでいませんもの。
ヤニスという女性と心中していますから。
病を苦にしてって話ですがね?
それでも妻を置いて他の女とそんな事するなんて、ねぇ?」
「わぉ。
…うーん。
それでも俺はやっぱりラヴィの肩を持つことにするわ。
ラヴィ作曲のアリーチェリーナの曲は、今となっては基本のキというか、音楽家なら誰でも研究し尽くしてるんだけどさ、やっぱラヴィの愛を感じるわけよ。
あぁ、アリーチェリーナの為の曲だなって伝わるんだよな。
アリーチェリーナの歌声は残っちゃいないけど、どの辺りのキーが彼女を一番活かすのか、どういう風に歌わせたら彼女の魅力が炸裂するのかを考え尽くしている感じがすんのよ。
そんな事って歌手としての魅力だけでやると思えねーんだよなぁ。
もっと自分の作曲技術を見せびらかす様にテクニカルな曲を作ると思うんだよ。
それがさ、やっぱりアリーチェリーナに、ノラ・フランクリンに寄り添ってるとしか思えない作り方をしてる。
実際別の歌手に提供した曲も幾つか残っているけど、そっちはテクニカルである意味ラヴィの腕力で成り立っている様な物が多くてさ、いや、それはそれで名曲だってあるんだけどね?
でもアリーチェリーナに向けた物にはそんな曲は一つもないんだ。
愛だろう?
そんなの。」
「私では考えつかない発想ですね。
本当にヴァイオリニストなのですね、貴方は。
革命家の癖に。」
「はは。
やめろよ。
俺だって平和に生きて行けるなら音楽の事だけ考えているさ。
お、丁度楽譜屋があるな。
今の話を解説してやるからラヴィ作曲の奴を幾つか買っていこうぜ。」
「それは本当に楽しみですが、アプリードに何かを教わるのは新鮮ですね。」
「そうか?
お前結構変な偏りがあるから、この旅の間に結構フォローしてたんだけど…気がついてなかった?」
「え?」
「…あ。
面白い楽譜があるな。
これで俺の仮説を証明してやる。
ラヴィはアリーチェリーナを愛していたというな。」
◆
宿に部屋をとり、演奏をしながらリリアンに解説していく。
流石は音楽の街で、宿での演奏は基本的に許可されており、一部屋一部屋の間が広く取られているので、窓を閉めさえしたら良いらしい。
多少漏れ聞こえたとて文句を言う野暮な奴などいない。
ここは音楽の街なのである。
「いいか?
まず前提だ。
ラヴィの全作曲76曲のうち、63曲がアリーチェリーナの為のものだ。
残りの13曲のうち6曲はアリーチェリーナに会う前のものでデビュー直後のイキ散らした若い乱暴な楽譜だが、確かに豊かな才能を感じる。
5曲はアリーチェリーナと共にやっていた時に、おそらく付き合いで作曲した仕事としてのもので、演奏している奴や歌っている奴を見ると、一人以外は貴族なので断りきれないで作ったのだろうな。
一人は有名な演奏者でアリーチェリーナのバックバンドを率いていた男なので、報酬の一つだったのかもしれない。
それで最後に晩年の2曲。
片方は名声を得た為にやらざるを得なかった、チャリティ用っぽい曲だ。
逸話が残されていないから分からないが、なんか分かりやすさがあるし誰でも発声しやすいキーで構成されているのでおそらくそうなのだろうね。
残りの1曲。
これは表に出ているだけでは誰も演奏していない。
死後に発見された楽譜って訳だな。
ここまでは良いか?」
「ええ。」
「よし、ここから演奏を交えるぞ。
アリーチェリーナへの曲のなかに頻出するフレーズがある。」
アプリードはヴァイオリンを用いて特徴的なフレーズを演奏する。
63曲全てに登場するわけではないが、大半に現れる短いフレーズだ。
アリーチェリーナがどう歌っていたのかはわからないが、おそらくラヴィは彼女がこう歌うのが好きだったのだろう。
普通ならば自作で同じ展開はマンネリを招くし、心情的に避けがちだ。
しかし頻出すると言う事は意図的であると断定していい。
狙ってそうしている。
「俺は、これが二人の…なんつーか…。
ほら、普通に生きていて、音楽とかやってなければ汎用的な言葉を使って愛を囁くだろう?
愛してる。
好きだ。
そんな風にな。
だけど、このフレーズが二人にとってそうなんじゃないかって思うんだ。
ちょっとここだけ聴いて欲しいんだけどさ……ほら。
ちょっと不協なんだよ。
歌いにくいし、それだけだと少し気持ち悪い。
でも愛なんてそんなもんだろ?
グロくて表に出しにくい、けれど薄っすら美しさがある。
多分これがラヴィにとって愛だったんだろう。
いや、分からないよ?
分からないけど、俺はそう感じるんだ。
何故ならアリーチェリーナが歌う曲以外には出てこないからだ。
だから手癖でない。
意図的だ。」
「うーん。
私にはただの音の羅列にしか聴こえないですがね…。
でも不協和音が含まれていると言うのは分かります。
違和感はそんなにないですけどね。」
「まぁ、感覚的なものだし正解とは限らないが、汲み取ると、ってだけだからなぁ。
…それでただ一曲だけアリーチェリーナが歌わずにこのフレーズが出てくる曲がある。
死後発見された最後の曲だ。」
「え?
普通にアリーチェリーナに向けて作られた物なのではないのですか?」
「それなら何故、死んだ愛する夫の遺作を歌わなかった?」
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