リリアン

まつり

始まりに

第1話 ロウディア


彼女は憤っていた。

女がてらに郵便を運ぶ仕事をしている彼女なのだが、男社会なので過剰に優しくされるか舐めてかかってくる。


今回は後者だった。


珍しく長距離を移動することとなり、砂漠を縦断する個人用の車両レールを使って突っ切って進むルートを選択したのだが、この道は過酷なことで有名であり、途中に簡易な小屋は建てられているものの、ロクな休憩拠点も無いために一日中進み続ける事になる。


砂漠端の燃料石屋で自分の2輪車にレール用のパーツを取り付けていると、ひそひそと店主の陰口が聞こえてきた。


「女にゃこのルートは無理だってんだ。

どうせ泣いて戻ってくるに決まってんだろ?


そうしたらお前、酒場で慰めてやれよ。

おれぁウチのが怖ぇから辞めておくが、お前はまだ独り身だろ?

旅烏の郵便屋なんてやってる変わりモンだ。


そっちのネジも緩んでいるに決まってんだろ。」


確かに過酷なのは知っているが、縦断するレールがある分マシなルートだ。

砂漠南東部から北西部に抜けるレールなのだが、それを使うと12時間ほどで北側へ抜けられる。

砂漠をまわり道して行くと、山を越えて行かなければいけなかったりで、3日から4日、天候が悪くなれば5日以上かかる場合もあるのだ。


急ぎの割増料金の配達では無いとはいえ、なるべく早く届けてあげるのがプロってものである。


それをあのハゲ。


とはいえそういう扱いは慣れっこだ。

聞こえていないフリをして、パーツを取り付けた際についた、グリス汚れをコインになすりつけて心ばかりの腹いせをチップとし、それで支払いをした。


燃料も満タン。


レールに下向きのコの字になったパーツを噛ませて走り出した彼女は、しばらく走って周りに誰も居なくなってから、とりあえず大きな声で叫ぶ事にした。


慣れたとはいえ、腹が立つのは変わりないのだ。


何時間か走って誰も居なくなると割といつも独り言が出てしまう質ではあるが、今回は何故か盛り上がっていた。


この間、一つ年下の料理人の男デートした際なんかは、あらら、うふふと花も恥じらう乙女の様に大人しくしていた者と同一人物とは思えない程だ。


蒸気の力で走る2輪車では特に意味はないが、立ち乗りをして両手を離して上へあげたりもして、ストレスと暇を解消したり、大きな声で歌ったり、恥じらいを忘れてきたかの様な奇行だが、別に誰も見ていない。


遠くに人影が見えた時は大人しくしていたが、近づくとサボテンだった際にはエスカレートした。


どうせ口元は砂が入るので布で覆っている。

動力音もあるのでどうせバレないだろうが、一応乙女心も僅かに残っているのだ。


彼女は開放的なこの旅仕事を気に入っていた。


婚期は遅れに遅れ、もう25歳。

実家の母からそれとなく催促された手紙を自分で自分に届けたのは涙が出そうになったが、実はそんなに気にしてはいない。


「あー!

あんのハゲ!


ハゲなのに髭の生えてる矛盾ハゲ!


聞こえとんのんじゃ!


事故らない様にな、だって?

事故るか!

こちとら7年無事故じゃ!

違反…は少しあるけど、あれは賄賂で揉み消したからセーフだし、消えてなくなってるから、無違反と言ってもいいな!


うん!


…がっ!」


大声を出す際恥じらい以外にも失っている物は勿論ある。

今回の事故の原因はそれ、集中力の欠如だ。


劣化か野生動物の仕業かわからないが、とにかくレールが捲れていた。


両手放しで立ち乗りをしながら大声を出していた彼女は勿論2輪車ごと空へと放り出された。

下が柔らかい砂地だとはいえ、意識を奪うくらいの衝撃はあり、誰も通らないに等しい砂漠のど真ん中で横たわった彼女はおそらく通常では砂漠に飲み込まれていただろう。


しかし彼女に歩み寄る人影があった。

砂漠のど真ん中でスリーピースのスーツを着て、頭髪と髭は剃り上げた彼女がいう矛盾ハゲでないヒゲのない整合ハゲが彼女を見下ろしていた。


「もしもし。」


はぁ、と一息吐いた整合ハゲはそのまま彼女を抱え上げると、チラッと2輪車を見て歩き出した。


ここは砂漠の真ん中。


通報する人物も居なければ、駆けつける警察もいない。


砂地を歩くサバクトカゲが彼らを見ていたが、さて、何を考えているのか。



目が覚めた彼女はここが何処か、何故ここに居るのか分からなかった。


砂漠用の厚着は脱がされていて、薄手の布を掛けられてベッドにいることに気がついた彼女は、自分の身体に異常がないかを気にした。


脇腹は痛み、ズボンは脱がされて要るがそれ以外に何かされた形跡はなく、安堵すると同時に事故を思い出した。


「鞄!

手紙をの配達が…!」


あたりを見回すがそれらしい物はなく、畳まれた服がサイドテーブルに置いてあるだけだった。


明らかに救助されている。


畳まれた服を広げると砂っぽくなく洗われた様子で、シャツを纏うとなんかパリッとしていた。


時間どきはわからないが薄暗い部屋に目が慣れてくると、奥の机で何かを切っている男がいた。


シャ。


シャ。


シャ。


とても規則正しく手を動かしているので、何年も何年も同じ作業をしているのだろうか、と思った。

集中している様子なので、作業が途切れるまでただ見ているだけにした。


シャ。


リズムは心地よく、澱みない。


シャ。


あれは、何を切っているのだろう。

薄く、白い何か。


シャ。


彼はそれらをひとまとめにすると束ねて持ち、机にトントンと打ち付けた。


「…紙?」


驚きが口から漏れてしまった。

紙だ。

初めて見た。


厳しく作成が規制されているそれは、過去に燃料として使われた挙句大幅に数を減らした木から作られているという。


現在では都市部近くに森が再生されて来ているが、砂漠なんかは顕著で全く無い所がまだまだ多い。


燃料石が発見、利用されるまでは、ほぼほぼ全ての燃料に木が利用されていた。


なので木が少なくなり高値になると、身の回りのあらゆる燃やせるものが使われた歴史があるらしい。


よって紙やそれが使われていた、広告物も容器も全て燃やされた。


そうして消えたものの一つが目の前に大量に並べられている。

壁の様に。


「初めてですか、見るのは。

今は物語も石柱で読みますもんね。」


紙が消えた後も、手紙や物語を残す方法が無くなったわけではない。


オルゴールの軸の様なごく低いピンのついた8センチ程の石柱を専用の機械にセットして回すと文字が浮かび上がるものがある。


本の所持は違法だ。

とある貴族が地下倉庫に紙の本を隠していて首を落とされた事さえある。

その時見つかったら冊数がたったの4冊。


だというのにここにある量といったら。


「3万冊程ですよ。

見える所にあるのは、1万冊くらいかな?

ほら、ここは上のフロアもあるので。」


見上げると夥しい程の本があり、中2階の様になった上段1周全て本棚だった。


「違法…。」


「そうらしいですねぇ。」


呑気な声だ。

たったの数冊で貴族すら殺される大罪なのに。


「まぁ、ここが摘発される事はないですよ。

この砂漠はどの国にも属していないしね。


設立より後に増えている本もありますが、多少ですし、ほら、砂漠のど真ん中の僻地も僻地にありますから。


私の仕事は管理と修復、修繕。

ほら、この整えた紙を使って文字を書き穴を開けて紐で閉じる。

表紙に飾り布をはって…。


それで本を作り直すんですよ。

誰も触れなくとも、本は傷みますから。


これを。


丁度今作業していた本は貴女を助けるのに役立った本ですよ。


医療の心得。

著者は看護師エリーです。


読んで見ますか?」


本を受け取る。

美しい緑色の表紙には、金の箔押しで文字が入っている。


1ページ開くと、一つ一つ丁寧に手書きされた文字が見える。

癖のないお手本の様な読みやすい字で、それだけでも彼の仕事の丁寧さが伺える。


「…読めます?

言語は変化していくものですから、貴女の様な若い女性には、少々読みにくく書かれている部分もあるかもしれませんね。」


パラ、パラとページを捲る音がゆっくり、5回ほど鳴ったあと、ようやく返事があった。


「読める…。

もちろん本は読んだ事がないけれど、石柱で物語は読んだ事があるから、頭の中に想像も沸くわ。

タイトルから想像するに手当の方法とか、医療の知識が書かれているかと思ったのだけれど…。

伝記ね、これ。」


「…伝記。

伝記、伝記。


人の生涯の記録、ですね。


そうですね。

そう。


なるほど。


…ここにある3万冊、全て伝記ですね。」


…全部。

彼女はそんなに読書家という訳ではないが、流石にもう25歳。

著作物に触れて来ているが、それこそジャンルも様々だった。


もちろん伝記もあったが、架空の物語、実用書、教科書、宗教の本、地図や詩や楽譜なんかもあった。


同じジャンル、しかも彼の言葉を借りるなら人の生涯の記録が3万冊、3万人分。


異常だ。


「もしかしたら、私が知っている方の記録なんかもあるのかしらね。

こんなに、建物を埋め尽くすほどの量だもの。」


「どうでしょうね。

実は3万人なんて大した数じゃないんですよ。

例えば、あそこにある本は歌姫アリーチェリーナの著書ですが、これによると彼女が一日で集めた最大の観客は38000人だそうです。


とても大きな歌劇場を庭まで開放して、その全てにパンパンに人を入れてそれですが、街の全ての人間が来た訳ではないでしょう。


つまり街にはもっと大勢がいる訳です。


つまりここにある本が全て生きていたとしても、大きな祭典程度で集まってしまう数なんですね。


ま、その祭典に来た人の人生を追う事なんてしませんので物珍しくはあると思いますよ。」


…アリーチェリーナは聞いた事もない歌手だ。

そんなに人気があったのなら聞いたことがあってもおかしくないのに、古い時代の人なのだろうか。


「アリーチェリーナさんは知らないけれど、芸術家の方なら名前を知っている場合があるかもしれないわね。


ほら、そういう方って名前が残りやすいし、作品と一緒に伝わったりするから…。」


彼は椅子から立ち上がると、なるほどと呟きながら本棚に沿って歩き始めた。

一冊一冊の場所を覚えているのか、澱みのない足取りで移動していき、目的の本棚の高い位置から、車輪のついた梯子を使って一冊抜き取った。


「この本はどうです?

後から増えた本の一つなのですが…。


ヴァロラブリーデリ。

画家なのですが、作品の方が有名ですかね。


黒の街。


知っていますか?」


「…黒の街は知っています。


滅びた街の名前で、天変地異が原因だとか。

…画家とは繋がりませんが、関係しているのですか?」


彼はこちらを嬉しそうに見ながら人差し指を立てて、口を開きかけ、ピタッと止まった。


「おっと、司書は親切であるべきですが、雄弁であるべきではありませんね。

危うく本の中身に触れる所でした。


どうぞ時間の許す限りお読み下さい。


もし用があれば、私に声を掛けてくださいね。

休みたくなれば先ほどのベッドを使えば良いですし、空腹なら食事もご用意がありますので。」


なんとまぁ、至れり尽くせりだ。

彼のいう図書館というものには初めて来たが何処もそうなのだろうか。

どうせおそらく骨は折れているし、痛む。

休息がてら物語に耽るのも良いだろう。


…はて、司書?


「司書ですか?

あぁ、図書館の案内人ですよ。

ここの管理者です。


おっと名前をお伝えしていませんでしたね。

私、図書館司書のリリアンと申します。


貴女は?」


「…ロウディア。」


「そうですか、ロウディアさん。

それでは、どうぞ彼との旅をお楽しみ下さい。


あの机で読んでも良いですし、あっちのソファで読んでも構いません。


あ、読書中は飲食は控えてくださいね。」


目をぱちぱちして同意の意思を表に出し、ロウディアはソファに腰掛け本を両手で持ってみた。


生まれて初めてキチンと向き合う本。


黒い表紙になんとなく手を当てて挨拶をし、捲る。

慣れない文字の並びに目が滑るが、すぐに気にならなくなった。


そうしてロウディアはヴァロラブリーデリの人生を閲覧していく事となった。


知らない人の知らない人生。

耽るには贅沢なものである。

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