第15話




§



 とある休日。

「己影さん、よかったら料理作るの手伝いますよ」



 昼食の支度の為、キッチンに立つ己影さんに僕はそう声を掛けると、己影さんはキョトンとする。



「え、いいけど。どうしたの?」



 家事の手伝いを申し出るのはそう珍しい事ではないけれど、料理に関しては己影さんは好きでやってる側面があるから口出ししなかったので、手伝いを申し出る僕に不思議そうな顔を向ける。



「僕も料理、作ってみたいなと思って」

「なるほど! じゃあ一緒に作ろっか」

「ちなみになに作るんですか?」

「ハンバーグだよ。チーズ入りにしようかと思ったけど、難しいから普通のにしようかな」

「お願いします」

「エプロン一つしかないから貸してあげるね?」



 そう言って己影さんは自身のしていたエプロンを外して僕に掛けてくれる。



「や、あの自分で出来るんで」

「あ、ごめんごめん。そうだよね」



 己影さんは手を焼くのが当たり前になり過ぎている。

 僕はエプロン紐を結んで己影さんに向き直る。



「準備オッケーです。まずなにからすれば?」

「先に手を洗おう!」



 流しで手を洗うと、そこから調理がスタートする。



「ではまず、タマネギをみじん切りにします」



 タマネギの皮を剥いた後、己影さんが先に実践して教えてくれる。



「まずはタマネギを半分に切って、ヘタを落とします。それから断面を下に向けて、切れ込みを入れて――そしたら今度は横に包丁を入れる。で、もう一度、縦に切っていけばこのようにみじん切りになります」


「おー。己影さん、綺麗な包丁捌きですね。流石」


「えへへ」



 シンプル照れ笑い!



「じゃあ今度は歩夢くんやってみようか」

「はい」



 さっき己影さんの見た通りに僕は包丁を持つと、隣で己影さんが息を吞むのが分かる。そして僕はタマネギを切っていると「慎重にね? 慌てなくていいからね、本当、怪我しないでね」とかずっと喋りかけてくる・・・・・・。



「うぐ、」



 さっき己影さんの手際のいい切り方を見て僕はすっかり出来る気になっていたけれど、しかし実際やってみると現実と理想のギャップがすごい。



 包丁を持ち慣れていないから、切る時にどうしても慎重になってしまう。



 怖々と切れ込みを入れていくと、隣で「はわわ・・・・・・歩夢くんっ危なっ、はわぁぁ」とかさっきからうるさいなぁもう!



「いだっ!」



 集中力を欠いていると、指の先を切ってしまった。



「あぁ、大変! 歩夢くんのゴールデンフィンガーが・・・・・・!」

「バカにしてんでしょ!」


「してないよ! は、早く絆創膏! 先に水で指を洗って!」



 己影さんは慌てふためきながら絆創膏を取りに行くのでその間に傷口を水で洗い落とすと、己影さんがそそくさと戻ってきた。そして絆創膏を貼り終えると、「ふぅ」と一息吐く。



「もう、気を付けないとダメだよ? 血液だって自分の身体の一部なんだから。歩夢くんが少しでも欠けたら歩夢くんじゃなくなっちゃうかもしれない」


「いや、そんな訳ないでしょ」


「分からないよ、心は身体に合わせて変化するかもしれないんだし。だから自分の身体は大事にしなきゃいけないんだよ」


「そんな大袈裟な。てゆうか隣で己影さんが喋りかけてくるから集中出来なかったのもありますからね?」


「だって心配なんだもん。案の定、怪我してるし!」


「だからそれは・・・・・・」

「いいから、それより続きやろう。次からは気を付けるように!」



 と、言いくるめられて、僕は渋々頷く。

 で、気を取り直して続きに取り掛かると、



「なんとか出来た・・・・・・けど」



 切り終わると、己影さんのタマネギと見比べてみる。すると見た目が全く違っていた。己影さんのみじん切りしたタマネギは均一で細々していたのに対し、僕のは不揃いで粗い仕上がり。



「慣れないうちはこんなものだよ。さぁ、気を取り直して次の工程にいこう」



 次は切ったタマネギをフライパンで炒めていく。サラダ油を敷いて中火で熱した後、タマネギを加える。



 均等に火が通るように時折混ぜながら、色が付いてきたら少し火加減を落としてじっくりと炒めていく。きつね色になったら火を止めて粗熱を取る。



 そしたらボウルにひき肉とタマネギを移して調味料を入れていく。のだけど、

「あ、待って」

「え?」



 ひき肉をボウルに入れると、己影さんから制止の声が聞こえる。



「言い忘れてた。ひき肉は一度、ドリップしてからじゃないと臭みが残るから・・・・・・」

「ドリップ?」


「ほら、容器に赤い液体があるでしょ? これは臭みの元なんだよ」

「そうだったんですか。全部入れちゃいましたよ・・・・・・」


「しょうがないから、このままいこう。ごめんごめん、言いそびれちゃった」

「すみません、僕の方こそ先走って」

「いいんだよ、失敗も経験の元だからね」



 で、具を容器に移した後、調味料を入れていく。

 調味料はあらかじめ己影さんがグラムを計ってくれているので入れるだけだ。



「こしょうだけ少々っていうのは?」

「気持ち程度でいいよ。ソース掛けるからハンバーグ自体は薄味でいいから」

「なるほど」



 という訳で、ほんの気持ち程度振りかけると、



「うーん、少ない気もするけど。まぁいっか。じゃあ調味料を入れたら混ぜていこう。最初はグー、パー、グー、パーって握るようにして混ぜていくんだよ」



 僕の前で手を開いたり閉じたりする己影さん。まるで手遊びを教える幼稚園の先生みたいだ。僕は園児ですか、そうですか。



 で、言われた通りグー、パーしながらハンバーグをこねていくと、手のひらにヌメヌメとした感触が纏わり付いて、何故だか分からないけれどエロいなと思いました。小並感。



 で、かき混ぜた(意味深)後はタネを作る(意味深)。

 楕円形に形を作ると、空気を抜く(意味深)為、片手から片手へ軽く投げていく。で、最後に形を整えたら中央部を軽く押してヘコませる(意味s・・・・・・タスケテ)



 なんださっきから・・・・・・ハンバーグってエロい食べ物なのか!



「てゆうか、なんか柔らかくて形になりづらい」

「ちょっとこね足りなかったのかもしれないね」



 でも既にいくつかタネは作ってしまっているので、とりあえずこのまま焼く事にした。

 フライパンの上に薄く油を敷いて、その上にハンバーグを乗せて中火で焼いていく。その際、形が崩れやすいのでヘラで押さえながら焼く。



 焼き色を付けてから、裏返して弱火にしてフタを閉じて蒸し焼きにする。七分から八分ほど蒸し焼きにしたら完成だ。



「ちゃんと焼けてるか、見てみよう」



 己影さんは言って箸で半分に割って見てみると、



「生焼けだ・・・・・・」



 完全に火が通っておらず、赤身が見えていた。

 一度、フライパンに戻して焼き直すと――、



「うーん」



 今度は焼きすぎてパサパサになってしまった。形もボロボロだし、お世辞にも美味しそうとは言えない・・・・・・。



「でもソース掛けたら美味しくなるよきっと」



 ソースはケチャップとウスターソース、しょうゆをフライパンで混ぜて作る。それをハンバーグに掛けたらひとまず出来上がりだ。

 で、僕らは席に着き食事を始める。 初めての共同作業で作ったハンバーグ。果たして味のほどは・・・・・・、



「うん、美味しいおいしい! よく出来てるよ歩夢くん!」

「・・・・・・はい」



 己影さんの感想がただのお世辞である事は、実際に食べてみて分かった。

 前に己影さんに作ってもらったハンバーグと比べると、このハンバーグは雲泥の差がある。もちろんこっちが泥だ。

 ハンバーグはパサついてるし、ボロボロだし、ソースを掛けてるとはいえ肉自体の味が薄くぼやっとしてる。ドリップのし忘れで臭みもある。



「己影さんが作ってくれたものの方が美味しいですね」


「そんな事ないよ。歩夢くんが一生懸命作ったハンバーグも美味しいよ!」



 気を遣ってるとかではなく本心っぽく言うので、僕は苦笑いを浮かべる。

 ハンバーグを完食し、食器を流しに持っていき、洗い物を手伝う。

 己影さんが洗って僕が食洗機に並べる係だ。

 二人で洗い物をしながら気になった様子で己影さんが問う。



「そういえば、なんで急に料理手伝いたくなったの?」



 と聞かれてすぐに「出来たら料理の手伝いは控えてね」と暗に伝えているのかもしれないと思って僕は「すみません、気まぐれな事言って」と謝ると己影さんは慌てた。



「ややっ、手伝ってくれるのは別にいいんだよ? 歩夢くんと一緒に料理が出来るの嬉しいから」


「そうですか? 僕すごく作業の邪魔だったと思うんですけど」


「慣れないうちは色々と分からない事が出てくるから、要領よく作業出来ないのは仕方ないよ。そんな事より共同作業でごはんを作るのは楽しいよ。味は確かに完璧ではなかったけど、でも頑張って作った料理は美味しいんだよ」


「己影さん・・・・・・そうやって褒めたってほだされませんよ?」


「そんなつもりじゃないよっ? 本当にホントなんだってば!」



 と慌てるので僕は「冗談です」と付け加える。僕は話を戻して、さっきの質問に答える。



「色んな事に挑戦してみたいと思ったんですよね」

「挑戦?」



 小首を傾げる己影さんに、僕は頷く。



「自分がどういった事に向いてるのか、興味があるのか知りたくて。それで色んな事に挑戦してみたかったんです」


「料理もその一つなんだね」

「まぁ、結果は散々でしたが」


「それは仕方ないよ。でもそっかぁ。色々やってみるのはいい事だし、そういう事なら私も全力で応援するよ! じゃあ今度から一緒に料理作ろっか」


「いいんですか? 己影さん、料理作るの好きだし、邪魔なら別の事でもいいんですけど」


「邪魔なんて事ないよ! 歩夢くんと一緒に料理作るの楽しいよ! 包丁の使い方は心配だけどさ」



 そう言って己影さんはクスクス笑う。端的に、からかっているのだ。



「そう言ってもらえて嬉しいです。それに後に一人暮らしに戻った時に調理スキルは役に立ちますからね」


「やっぱり歩夢くんはキッチン出禁ね。包丁持つのはまだ早いよ」


「えっっ? さっきはいいって言ってましたよねっっ?」


「気が変わりました。歩夢くんは料理なんて作らなくていいよ。黙ってごはんが出来るのを待ってればいいの」


「高圧的な態度で甘やかしてくる!」



 変わり身の早さに呆気に取られつつ、洗い物を片付け、話は途切れる。後日改めて手伝いを申し出たところ、キッチンに立つ事を許してくれなかった。

 あれ、冗談じゃなかったんだ・・・・・・。

 どうやら僕を自立させたくないらしい。僕をこの家に留めておくつもりか。

「しっし」と手で払い除けられ、僕はキッチンを出禁になった。



§



 己影さんが料理している間、僕は暇を持て余していた。

 趣味がないと、とにかく暇だ。惰性でテレビを見るも今は正午を過ぎたところで、とくに面白い番組もやってない。



 僕はソファーで横になりながらぼんやりしてると、ふとセンターテーブルに置かれた買い物袋に目が留まる。中にはスケッチブックと鉛筆と鉛筆削り、消しゴムなど画材道具が揃って入っていた。

 自然と手を伸ばしていて、一年ぶりにスケッチブックを開いてみると、厚紙の手触りが懐かしい。



「己影さん、このスケッチブックどうしたんですか?」



 キッチンで調理する己影さんに訊ねてみると、調理の手を止めて振り返る。

「あぁ、それ? 久しぶりにアナログでも絵を描いてみようかと思って買ってきたんだ。歩夢くん、使うなら使っていいよ?」



 と言うので、僕は気が向いて鉛筆を一本手に取ると、中に入っていた鉛筆削りで先を尖らせる。

 デッサンであればカッターで芯を尖らせるけれど、あくまで暇つぶしなので鉛筆削りでいい。



 スケッチブックを開くと、僕は題材を探す。部屋を見渡すとキャットタワーで眠りに就く雪ちゃんが目に留まり、即決。

 雪ちゃんの可愛い寝顔を描く事にし、鉛筆を動かした。



 鉛筆を握るのは久しぶりで、手先を動かすのは新鮮な気持ちだった。描いてみると、意外と手の感覚は鈍っていないようである程度、絵は形になる。と言ってもそんなに上手い訳ではないけれど。

 己影さんが料理を作っているまでの間、僕は黙々と鉛筆を動かし続ける。

 すると不意に――、



「歩夢くん、絵上手だねぇ」

 と声が掛かった。

「っ、己影さん」



 虚を突かれ少し驚くと、己影さんと目が合った。



「ごはん出来たから声掛けようと思ったんだけど、歩夢くん絵描けるんだね」

「まぁ、高校は美術部でしたから」

「へぇ! 道理で! 絵描くの好きだったんだ」


「まぁ、それもありますけど。美術部は可愛い女の子が沢山いますからね」

「え」


「冗談ですよ。雰囲気が楽しそうだったから入っただけです」


「そっか。でも美術部って三パターンくらいに分かれるよね。物静かな人が集まる系と、ワイワイ楽しむ系と、本気でやる系と」


「ですね。僕の美術部はワイワイ系でした。明るめの女子が多かったので談笑多めの部活でしたね。でもやる時はやる、メリハリは利いてましたね」


「私も高校は美術部だったけど、そんな感じだったなぁ。二次絵が上手くなりたくて美術部入ってる子も多かったから、漫画やアニメで盛り上がれたのがよかったなぁ」


「リア充と陰キャの垣根がないんですよね美術部って」


「やっぱり共通の話題があるって大事だねぇ」



 しみじみと己影さんは言うので、僕も頷き同意する。



「てゆうか、ごはん出来たんだ。早く食べよ」



 話を戻して己影さんは言うので、僕はスケッチブックを置いた。見てみれば、右手の腹が鉛筆で黒ずんでいた。懐かしー。



「それにしても歩夢くん、絵描くの好きなんだね」



 食事をしながら、己影さんがさっきの話題を再開する。そして付け加えて、

「猫好きなのもそうだし、私たち共通の趣味が多いね」


 と余計な事を言う。



「まぁ、猫好きってこの世に沢山いますし、その中から絵を描くのが好きって人も相当数いるでしょうねそりゃ」


「なんか私との繋がりを遠ざけようとしてない? そんな寂しい事言わないでよ・・・・・・」


「己影さんと同じ感覚だと思われるのが不服なんです。コスプレして手錠掛けるのが好きな人と一緒の感覚ってそりゃイヤですよ」


「そ、それは無闇に言わないで!」


「ともかく、そういう趣味の人は世の中沢山いますから」


「そう言えば前に自分の向いてる事、興味のある事を探してるって言ってたけど、絵を描く趣味があるんじゃない。今は絵描かないの?」



 前の事を引き合いに己影さんは言うので、僕はかぶりを振った。



「僕がやりたい事や趣味を探してるのは、自分に合った仕事を見つける為の取っかかりを掴む為です。絵を描くのは確かに好きではありますけど、それを続けても職に繋がる事ってまぁないですからね」


「そっか、歩夢くん。将来の事を考えてるんだね」


「上京してきたのもそれが理由なんです。人やモノが溢れるこの場所は、他よりもきっと、出会いの数が多いと思って、それで実家を出たんですよ」


「へぇ、歩夢くんって意外とそういうとこあるんだね」


「まぁ、計画性もなくやって来たので苦労の連続ですけど」

「若さ故の過ちだね」



 そう言ってクスリと笑う。

 決してそれを美化していいとは思わないけれど、考えるだけで行動しないよりはずっとマシだとは、今も思っている。ここに来て苦労は絶えないけれど。



「でも急な事に家族もビックリしてるんじゃないの?」



 と言うので、僕は「どうでしょう」と肩を竦める。



「まぁ、母と妹はそうかもしれないですね」


「え、歩夢くん妹ちゃんいるの?」

「いますよ。今、高校二年生です。人懐っこくて可愛いんですよこれが」

「へぇぇ、仲良いんだ。見てみたいなぁ」



「や、それはちょっと」

「なんでっ?」

「うちの妹は素直な子なんで、己影さんと会わせて歪めたくないんで」「ヒドい! 私をなんだと思ってるのっ?」

「頭のおかしいお姉さんです」

「南無三!」



 まぁそもそも、会わせる機会なんてものがあるのかどうかという話だけど。

 僕はそうやって気を抜いていたけれど、しかしお盆休みが近付いた頃、知らせは急にやってきた。

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