第10話 閑話 凜風という女・4(皇帝・梓宸視点)
凜風はやはり凜風だった。
地元で『老若男女殺し』と恐れられた腕前(無自覚)は健在だった。いやしかしまさか孫武の野郎まで落とすとは予想外だったが。お前嫁さん一筋じゃなかったんかい。
「伴侶がいようがいまいが、いい女がいるならば口説くのが
悪びれない孫武の様子に呆れてしまう。凜風も呆れていた。なにやら共感が得られたところで俺は改めて凜風に向き直った。
「凜風。俺の妃となり、宮廷へ来てくれないか?」
「え? 嫌よ今さら。私にも仕事があるもの」
「お、俺と仕事、どっちが大事なんだ!?」
「うざっ」
「うざっ!?」
容赦のない言葉に愕然としていると張の爺さんが訳知り顔で顎髭を撫でた。
「ふむ、皇帝としての
うっさい元凶の一人。
ええいもはや小細工無用! 真っ正面から頼むのみ!
「凜風! 結婚しよう!」
「え~?」
「結婚してくれ!」
「ん~?」
「けっこん!」
「そうねぇ……」
俺の情熱に感動したのか凜風は深く深くため息をついた。
なぜか一度は立ち上がった床にふたたび座る凜風。そのあまりにも凜とした正座に、思わず俺も正座してしまう。
膝がぶつかるほどの距離で向かい合う俺と凜風。
「少し真面目な話をしましょうか」
「お、おう?」
「私が仙人になったという噂くらい調べてあるわよね?」
「……よく分からんが、そうらしいな」
「…………」
凜風が無言のまま頭纱(ベール)を取った。まだ見慣れない銀色の髪が露わになる。
そして。
顔を覆っていた面纱(フェイスベール)も剥ぎ取られた。
その下にあったのは、もちろん凜風の顔。
見慣れた。とても見慣れた凜風の顔。
そう、見慣れた。
あまりにも、
12年経っているのに。
相応に年を取っているべきなのに。
同じだった。
12年前。
俺たちが15歳だった頃。
あの日。
結婚の約束をしたあの日、あのときと。
凜風の顔は、同じだった。
12年の歳月を経た変化は見受けられず。まるで時が止まったかのように……。
そういえば。
12年ぶりに聞いた凜風の声色もまた、12年前とまったく同じだった。
……巷間にいわく、仙人は不老不死であるという。
不老不死。
それは、絶対に、人間が至れぬ境地。至ってはならない極地。
凜風は微笑む。
妖艶に。
怖気がするほどの美しさで。
「私が
「…………」
凜風が、人間じゃない?
……そうかもしれない。
そもそもが人知を越えた美少女だったし、人の心を読んだような受け答えをするし、普通の人間は一度読んだだけで本の内容を丸暗記することなんてできない。神霊妖魔の類いと説明された方がまだ納得できるというものだ。人知を越えた美少女だったし。
まぁ、つまり、どういうことかというと……。
「凜風は、凜風だろう?」
「…………」
凜風が無言で見つめてくる。おそらくはすべてを見抜く金色の瞳で。
いやしかし、相も変わらずの美少女だな。見つめられていると改めてその美しさがよく分かる。
不老不死ってことは老いないのか? ずっと美少女のままなのか? なんだそれ最高か。いや凜風ならすっごく可愛らしいお婆ちゃんになると思うしそれはそれで楽しみなのだが、若さを保ってくれるならそれはそれで――ぐふっ!?
殴られた。
昔のようにまるで本気じゃない拳で。
「少しくらい成長しなさいよ、ばか」
やれやれと凜風は肩をすくめた。
「ちょっとでも怖がったら婚約破棄してやろうと思ったのに、色々と台無しじゃない色々と。あなたに真面目な反応を期待した私が馬鹿だったわ」
言いながら右手を伸ばしてくる凜風。また殴られるかなと反射的に身構えると――
「――
名前を呼ばれた。
12年ぶりに。
皇帝劉宸ではなく、梓宸と。
「よく頑張ったわね」
頭が撫でられる。あのときと同じ顔で、ほんの少し大人びた風に笑う凜風。
「私はあなたが皇帝になるって
「凜風……」
頭を撫でるのを止めた凜風が立ち上がり、右手を差し出してきた。
手を引かれて起き上がる。
そのまま、手を握ったまま見つめ合う俺と凜風。
なんだかいい雰囲気だ。
これはもう一押しすればいけるのでは? 「しょうがないわね。今まで頑張ったご褒美よ?」と受け入れてくれるのでは?
よし行くぞ。
気合いを入れ直した直後、凜風は真面目な顔で俺を見つめてきた。
「皇帝のお約束としてそういう系の仙丹とか霊薬を求められても困るからね。一応断っておくけど、私は不老不死じゃないわよ? 年を取っていないように見えるのは単に童顔なだけで」
この国は先代皇帝が不老不死の妙薬を求めて色々とやらかしたからな。凜風が心配してしまうのも分かる。
しかし、童顔ねぇ……?
凜風の顔から胸元へと視線を落とす俺。童顔だと胸部の成長も止まるようだ。少しも。微塵も。まったく。12年前から成長していな――ぐふっ!?
殴られた。
けっこう本気で殴られた。
歯が折れるかと思った。
「折らない私って優しい人間だと思うのよね」
本当に優しい人間は『折る』ような行動をしない――いえなんでもありません。
『……まったく
と、凜風の義理の息子である浄が凜風の両肩を掴み、俺と距離を取らせるかのように後ろへ引き寄せた。
それはまぁいいとしても、どさくさ紛れに抱きしめるのはどうかと思うぞ?
『真面目に求婚するのかと思って見守っていれば
「…………」
この浄という凜風の義息は明らかに凜風に惚れている(俺も惚れているからよく分かる)のだが、それでも俺の求婚を見守ってくれたらしい。なんだこの子いい子だな? 凜風の義理の息子なら俺の息子も同じだし、ここは親交を深めておくべきか?
俺が握手――かつて凜風から習った西洋風の挨拶をするために右手を差し出すと、浄はその手を打ち払った。ぱしーんと。貴様となれ合うつもりはないと宣言するかのように。
『貴様となれ合うつもりはない』
宣言されてしまった。真っ正面から。
なるほど、あくまで凜風を狙う男として対立すると? ならば俺も容赦はしない。男らしく拳と拳で決着を付けようじゃないか。
同じ女に惚れた者同士。浄も俺の心積もりを理解したようだ。言葉もないまま拳を鳴らしたり、肩を回したりして準備運動する俺と浄。
そしていよいよ凜風を賭けた一大決戦が始まるというところで――
「――喧嘩したら、怒るわよ?」
「…………」
『…………』
凜風の警告によって俺たちは近くにあった机の元へ移動。正々堂々と、喧嘩にならない範囲の腕押し(腕相撲)で雌雄を決することにした。
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