第3話 帝都へ


 神仙術士とはいえ、不老不死の仁丹(霊薬)なんて作れないし、皇帝陛下に水銀を売りつけるわけでもない。というか、そんな薬を作れるなら今ごろ大金持ちの楽隠居だ。


 仕事としては仙薬と呼ばれる薬の配合や、鍼灸整体、回復術。少し特殊な『瞳』を使った鑑定士の真似事といったところ。


 あとはまぁ、個人的な趣味として西洋の科学や『魔術』に関する知識が豊富なので、その知識を活かした仕事を任されることも多い。井戸の滑車修理とか、雑草の根絶とか、壁の塗り直しとか。


 ……うん、よく考えなくても神仙術士の仕事じゃないわね。どちらかというと便利屋扱いのような……。


 まぁ、とにかく。

 神仙術士とはいえ万能じゃないし、日々勉強して知識を更新しなければならない。これはどんな仕事でも同じだ。つまり私が銀貨18枚で『最新版 回復魔法大全』を購入したのは必要経費であって――


「――姉さん。趣味を否定するつもりはないですけど、本1冊に銀貨18枚は高すぎるのでは?」


「ぬぐっ」


 弟からの至極真っ当な指摘に軽く心が折れた私だった。この子年々毒舌になっていないかしら?


「いえ姉さんが稼いだお金ですからどう使おうと勝手ですけれど……。そのような散財を重ねていては一人暮らしなどできないのでは?」


「むぅ、」


 いつまでも私(小姑)が実家にいては弟の結婚に差し障るし、私は近々実家を出て一人暮らしをするつもりなのだけど……。我ながらこの浪費癖は何とかしなければならないかもしれない。


「い、いやでも回復魔法が上達すれば医師としての仕事も増えて、結果として何倍にもなって返ってくるのだから、そう考えれば必要経費だと思うのよ私」


「姉さん、後ろ暗いことがあると視線を横に流す癖、直した方がいいと思います」


「ぬぬぅ、」


 五歳も年下の弟にしてやられる私だった。こんな優秀な弟が跡取りなのだから、我が許家の未来は明るいわね……くすん。


「まぁ姉さんが一人暮らしを諦めてくれればこちらとしても嬉しいので別にいいですけど。あ、そうそう。帝都の張さんから書簡が届いています。往診を早めて欲しいとか」


「あら、また腰をやっちゃったのかしら? じゃあちょっと行ってくるわね。おみやげはなにがいい?」


「もう子供じゃないのですからお土産はいいですよ。それより今日は肌寒いのですから厚着をしていってくださいね。『仙人』だからといって油断してはいけません」


「……弟が立派に成長してくれてお姉ちゃん嬉しいわぁ……」


 もはやどちらが年上か分からない。

 いっそ思い切り豪華なお土産を買ってきてあげよう。そして姉としての威厳を取り戻さねば。そう決意した私は神仙術の一つ『縮地』を用いて帝都へと移動することにした。


 縮地。

 欧羅オウロ(西洋)の魔術においては転移魔法と呼ばれる移動術。

 師匠であればそれこそ大華国から欧羅にまで瞬時に移動できるみたいだけど、私はそこまで非常識じゃないので実家から帝都まで移動するくらいがせいぜいだ。


 ……なにやら愛しの弟が「いえ帝都までの距離を瞬時に移動するのは十分に非常識ですが」という指摘ツッコミをした気がするけれど、きっと気のせいにちがいない。


 せっかくの帝都だから神仙術士っぽい格好で出向くか、ということで頭に頭纱(ベール)を被り、顔も面纱(フェイスベール)で覆う。普通の漢服や胡服を着て「神仙術士です」と名乗っても説得力がないからね。まずは見た目から入らないと。


 それと切実な問題として、私は童顔なので顔を晒していると説得力が薄くなってしまうというのもある。子供より大人、ただの大人より神秘的な大人の方が『神仙術士らしい』のだ。


「さて、いきますか」


 神仙術は大きく分けて薬草などから薬を精製する錬丹術と、『気』を用いて様々な事象を引き起こす仙術に区分することができる。まぁ人に説明するときはひとまとめに神仙術と言っちゃうけど。


 今からやろうとしている縮地は仙術の一種だ。


 気とは大気中などに含まれている『力』のこと。それは『大いなる気』であると同時に『うつろな気』であり、そのままの状態では何も成すことはない。


 大気中の『気』を呼吸でもって体内という器に納め、方向性を定めた後、形ある術として出力する。


 基本的な考えは西洋の魔法も同じだ。大気中の『魔力』を体内に取り入れ、魔法として出力する。


 出力の方向性を明確にするために呪文詠唱をする人もいるけれど、私は無詠唱で術を行使する。だって『急急如律令!』とか叫ぶのは恥ずかしいから。


 もちろん呪文詠唱をしないと難易度が跳ね上がるけれど、問題はない。術の行使において大切なのは想見イメージ。どのような術でどのような事象を起こしたいのか明瞭に思い浮かべ、気、あるいは魔力でそれを実現させるのだ。


 だからこそ重要なのは想見と、それをするための集中力となる。『縮地』なら行きたい場所の光景を脳裏に思い浮かべ、『今この場所』と『目的地』を重ね合わせ、そして――


「――は、くしょんっ!」


 肌寒さのせいか、くしゃみをしてしまう私だった。

 そう、術を起動させる直前に。集中力が途切れることを。


「あ、やっちゃた」


 後悔してももう遅い。

 くしゃみのせいで予定よりも少しズレた形で術は起動し、私の身体は地元から帝都へ向けて転移して――



 ――ばっしゃーん、と。



 まず認識したのは水に何かを落としたような音と、全身の冷たさ。

 これは水の中に落ちたなと察し、溺れないうちに何とか水面にあがらなければ、と藻掻いていると気がついた。今いる場所の水深はずいぶん浅いわねと。


 地面をしっかりと踏みしめて立ち上がり、とりあえず水に濡れた前髪を掻き上げる。


「……おや、何かと思ったら凜風かい。また術に失敗したんだね?」


 そんな声を掛けてきたのは帝都の下町で食堂を営んでいるシンさんだった。この国では珍しい赤茶色の髪が特徴的なおばさ――おねえさんだ。


 どうやらここは帝都、下町の食堂近くにある『噴水』らしい。百二十里を飛ぶことはできたけど少しばかり着地地点がズレたみたいだ。


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