第19話 決意
夕食後、エディスとカタリナは暖炉の前で穏やかな時間を過ごしていた。
炎の柔らかな光が部屋を包み込み、静寂の中、カタリナが話を切り出した。
「エディス様に検査していただいた遺伝病のことですが…実は、新しい治療方法が見つかりそうなんです」カタリナは穏やかに微笑みながら続けた。
「完治は…まだ難しいようですが」カタリナは一瞬言葉を探した。「それでも、生活の質を大幅に改善できる可能性があるんです。そして、その基礎になっているのは、エディス様の研究成果なんですよ」
エディスは一瞬驚き、そして少し考え込んだ。
弟の姿が頭の片隅にぼんやりと浮かぶ。
彼がこの治療法の恩恵を受けられる未来があるかもしれない。
だが、彼の存在は秘匿されており、ここで打ち明けるわけにはいかなかった。
ふと目を伏せ、胸の奥に抑えていた感情が微かに揺らぐのを感じる。
彼の存在を知られないようにと心の中で呟きながらも、未来の可能性がどこかで彼に繋がることを期待してしまう自分がいた。
「そう…私の研究が?」エディスは遠くを見るような目で言ったが、徐々に微笑みが広がった。「それなら、私もその研究に協力したいわ。少しでも力になれるなら、是非参加したい」
カタリナは嬉しそうに頷いた。「それは素晴らしいことです!きっと多くの人たちが救われます。研究者もエディス様の力が必要だと思っていたんですよ」
エディスはカタリナの言葉にほんの少しの希望を感じた。
状況はまだ何も変わらない。
過去の痛みも、現実の厳しさもそのままだった。
しかし、この小さな一歩が、未来を少しだけ明るくするかもしれない。
彼女は心の中でそっと弟に語りかけた。
「ありがとう、カタリナ」エディスは微笑みながら、暖かい炎を見つめた。
しばらくしてカタリナは「もうひとつ報告がありまして…」と言い辛そうに切り出した。
カタリナは一度エディスの顔を見つめ、息をついた。「これをお見せするべきか迷ったのですが…」と、タブロイド紙を差し出した。「この記事、明日出るそうです」
―――――
**エディス王太子妃、別居中との噂—元婚約者カタリナ邸に連日の訪問者はジュリアン殿下**
王宮内外で密かに囁かれているエディス妃とジュリアン殿下の関係について、新たな事実が明らかになりました。現在、エディス妃がかつて殿下の婚約者であったカタリナ邸に滞在しているとのこと。そして驚くべきことに、ジュリアン殿下がそのカタリナ邸を連日訪れているのです。
カタリナといえば、かつてジュリアン殿下と正式に婚約を発表したものの、短期間で破談に至ったことで一時は話題を集めた人物です。その後、殿下は速やかにエディス妃と結婚し、周囲には順調な家庭生活を送っているかに見えていました。しかし、今回の事態が示すように、この三者の関係にはまだ解き明かされていない複雑な事情があるようです。
「ジュリアン殿下は、ほぼ毎日のようにカタリナ邸を訪問されています。しかし、直接エディス妃と対話する場面は見受けられず、慎重に距離を保っている様子です」と、邸宅周辺に住む者は語ります。
ここで注目すべきは、カタリナとの関係です。かつて婚約していたとはいえ、現在は何ら公式な関係にないはずの二人の間に、何があるのか? そして、エディス妃はこの状況に対してどのような立場をとっているのでしょうか。
「カタリナ氏は、過去に殿下と婚約していた事実があるため、彼女がどのような立場で関与しているのかが非常に気になります。三者の間に複雑な感情の交錯があることは想像に難くありません」と、宮廷事情に詳しい関係者が語ります。
また、周辺住民の証言によれば、ジュリアン殿下はカタリナ邸の玄関で度々足止めされ、邸内に長く留まることなく帰路につくことが多いようです。「あの様子からすると、何か事情があって邸宅内に入れないのではないか」という声も聞かれます。
一方、宮内の公式見解は「エディス妃と殿下の間で問題が生じていることは把握しているが、詳細については明かせない」と慎重な立場を貫いています。しかし、元婚約者カタリナとの接触が続く現状に、多くの憶測が飛び交っています。
これは単なるすれ違いによる夫婦の不和なのか、それとももっと根深い事情が隠されているのか? 今後の展開にますます注目が集まっています。
【次号の続報もお見逃しなく】
―――――
「ひどい…」
エディスはタブロイド紙の記事に目を通すと、胸の奥が少し締めつけられるような感覚に襲われた。
ジュリアン殿下とカタリナ、そして自分の三者にまつわる話題が、まるで誰かの面白おかしい娯楽のように書かれている。
それを見て、不快感はあるものの、今の自分は以前よりも冷静であることに気づいていた。
滞在中、カタリナとのやり取りを通じて、少しずつ感情が落ち着いてきていたのだ。
「ひどい内容ですが、知っていただいた方が宜しいかと思いまして…」
カタリナはエディスの様子を伺いながら言葉を選んでいた。
「教えてくれて、ありがとう…」エディスはそれしか言えなかった。
次の日、ジュリアンが再び迎えにやって来た。
エディスはタブロイド紙のことも思い出し、とうとうジュリアンに会う決意をした。
数日ぶりに会った彼はエディスの顔を覗き込み、穏やかな口調で「そろそろ一緒に帰ろうか」と声をかけた。
エディスは少し迷った。まだ全ての思いをどう伝えるべきかはっきりしていなかったからだ。
それでも、彼の真剣な眼差しを見つめると、言葉にしなくても良いという安堵が心の中に広がっていった。
今は話さなくてもいい。
世間の目もあるし、カタリナの館の迷惑にもなる。
帰ることで、新たな一歩を踏み出すことができるかもしれない、と。
エディスが小さく頷くと、ジュリアンは安心したように微笑んだ。
二人はカタリナに別れを告げ、ゆっくりと車に乗り込んだ。
車内は一瞬静寂に包まれたが、ジュリアンが何かを考えている様子だった。
エディスが視線を向けると、彼は少し迷いを見せながらも、しっかりとした口調で言った。
「エディス、何があっても、僕たちの寝室で一緒に眠ることだけは譲れない。君が何を思っていても、それは僕にとって大事なことなんだ。だから、どうか一緒にいてほしい」
ジュリアンの言葉には、彼の固い決意と深い愛情が滲んでいた。
エディスは一瞬、彼の表情をじっと見つめた。
彼の内心を全て見透かすことはできないが、その真剣さには触れざるを得なかった。
「まだ何を言えばいいかわからないの。でも…わかったわ」とエディスは静かに答えた。
彼女の言葉には、自分の中で少しずつ整理がつきつつある感情が含まれていた。
ジュリアンはその言葉を聞いて、安堵したかのように大きく息をついた。「それで十分だよ。ありがとう」と優しく返した。
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