第7話 捕縛
「それがし、逃げも隠れも致しませぬゆえ、如何様にもなされませ!」
捕縛せんと迫る役人を前にして、甚内は堂々と告げた。
そして、脇差を手放して平伏すと、態度でも恭順の意を示したのだ。
ただ、店の者達は事の成りゆきに理解が追いつかず、狼狽えるばかり。
弥七も役人の動向を気にしつつ、あわてて甚内のそばへ駆け寄ってきた。
「ど、どうしちまったんですかい、兄貴⁉ 殺人なんてあからさまな濡れ衣。平伏してる場合じゃないでしょうに⁉」
「やかましい! 奉行所の方々がそう仰ってるんだ! 弁明なら白州で幾らでもできる。今は逆らうんじゃねえ!」
甚内の怒声は、弥七を黙らせてしまった。
幕府の取り締まりに気を配りながら、盗賊としての生き方を変えてゆく。柔軟さが甚内の良さであり、自分達が生き抜けてこられた秘訣だった。
しかし、今回のような身に覚えのない捕物にまで、平身低頭で従うのは度が過ぎている。
まさか、泰平の世に慣れ、かつての反骨心を失ってしまったのか。
だとすると、共に暮らしながら、彼の変貌に気付けなかった自分は何て浅はかなんだろうか。
そんな推測と反省が弥七の頭をよぎり、胸を締め付けてゆく。
一方、甚内は弥七を睨みつけたまま動こうとしない。
店の者達も、二人の対峙を固唾を飲んで見守るだけ。
それは役人たちにとって好機だった。隙を突き、一気呵成に襲い掛かっていったのだ。
「今じゃ、一人残らずひっ捕らえい!」
役人たちの奥で指揮を執る与力が、十手を付きつけて声を荒げる。
裏口は、たちまち喚声と絶叫が入り混じる修羅場と化した。大きな流血こそなかったものの、役人たちの繰り出す得物に、店の者たちは次々に押さえつけられ、捕縛されてゆく。
辛うじて逃れた者も店の中へと引き返すが、店正面から押し入ってきた役人たちの手に掛かってしまっていた。
ただ、弥七は孤立してゆく中にあって、なお足掻き続ける。
彼は諦める訳にはいかなかったのだ。甚内と交わした、商いで名を上げるという約束のために。
役人たちの得物は、刺股や
いずれも間合いの広さが売りだが、懐に入ってしまえば優位は失われる。
それを知っていた弥七は、敵味方入り乱れている所めがけて駆け出した。他の者に気を取られている役人を死角から襲い、倒れた隙から退路を開こうとしたのだ。
しかし、その最中、目に飛び込んできた光景が、彼の気力を奪っていた。
(兄貴、どうして……⁉)
かつて「飛」沢と名乗っていた様に、甚内は跳躍に優れていた。
すなわち、店の者の中では逃げ切れる可能性が最も高いのだ。
ところが、どういう訳か彼は無抵抗のまま、みすみす縄に掛かっている。無様に思える姿を目の当たりにすれば、弥七が戦意を失うのも無理はなかった。
「がはっ……!」
不意に横腹に食い込んできた刺股に体勢を崩され、地面に這いつくばってしまう。さらに、頭を押さえつけられると、もう身動きはとれなくなってしまった。
(どうしちまったんだよォ、兄貴……?)
土にまみれ、髪を乱しながらも、弥七は甚内の変貌ぶりを案じていた。
だが、甚内が返答するはずがない。後ろに手を組んだ状態で縛られ、おずおずと連行されてゆく。
大黒柱を失えば、どんな組織でも瓦解は避けられないものだ。店の者達は戦い慣れた元盗賊が多かったが、結局ことごとく捕らえられ、店は制圧されてしまったのだった。
※ ※ ※
翌朝、甚内と弥七はそれぞれ別の牢屋敷に拘留される。
そして数日後に白州へ呼び出されていた。今の裁判でいうところの初公判が開かれたのだ。
捕縛された時の憤懣やるかたない表情から一転、弥七はむしろの上でしおらしく正座していた。
なぜなら、捕らえられた翌日から及んだ、数度にわたる取り調べで真相を知ってしまったから。殺人や略奪の証拠として挙げられたのが、質屋に流していた盗品だったからだ。
(くそっ、確かに俺も加担したことがある。けど、なぜ今になって目の敵にされたんだ?)
訴えられた事件とは、弥七が風魔にいた頃のものだった。
風魔が瓦解してから、すでに数年の月日が経っている。その間、捕らえようと思えば、いつでも捕らえられたのだが、奉行所は動かなかった。
そのため、弥七を含め、元風魔の盗賊であった店の者たちは、見逃してもらえたと思い込んでいたのだ。
訴状には、推定日時、場所、容疑の内容まで、ほぼ正確に記されている。
さいわいだったのは、ゆえに弥七があっけなく自白し、厳しい取り調べを受けずに済んだこと。当時は有罪の決め手が自白であり、拒む者にはむち打ちなどの厳しい拷問が課せられていた。
とは言え、それも拘束中の苦しみが、少なく済むだけの話だ。有罪判決が下れば、無念なのは変わらない。
果たして、自分たちをおとしれた訴人は誰なのか。
弥七には目星が付いていた。質に流した数々の盗品より犯罪が明るみになったことから、一人しかないと断定できたのだ。
そして、その訴人は弥七たちに遅れて白州にやってくる。
訴人の席である白州の左脇に、店の者達と視線を合わせないで、どっしりと腰を下ろした。
(やっぱりか。最初に会った時から怪しいと思っていたけど、とんだ糞ったれだったのかよ!)
弥七だけでなく、居合わせた店の者達も色めき立つ。
訴人として現れたのは、相模屋の主人、梶原寅五郎であった。
相模屋は盗品を流してもらうかたわら、江戸市中の情報を教えるなど、長らく甚内たちと繋がりを持っていた。
ところが、誰にそそのされたのか、寅五郎は裏切って、風魔の時に働いた甚内たちの所業を、幕府に密告していたのだ。
店の者たちの苛立ちは、次第にざわめきへと変わってゆく。
すると、町奉行は「静まれ!」と一喝。甚内たちのそばで監視にあたっていた同心(町奉行において庶務や警察を担う下級役人)も、彼らに棒を突きつけて警戒する。
そうして、力づくで場を収まると、町奉行は罪状をつらつら読み上げて、寅五郎に向き合った。
「寅五郎、これらの罪状に相違はないか?」
「ははっ、間違いございませぬ。どうか厳粛な裁きをお願い致しまする」
寅五郎が語ったのはこれだけ。甚内への批判や誹謗中傷は口に出さず、平静を保ったまま平伏する。
ただ、上体を起こす時に本性を露わした。役人たちに気付かれない様に弥七たちの方を振り向き、ニヤリとしてみせたのだ。
下手な挑発だったが、余裕のない弥七にはてきめん、ギリギリと歯ぎしりして睨みつける。
さらに、彼の心に鬱憤を溜めさせたのが、甚内の答弁だった。
寅五郎への尋問が終わった後、町奉行は甚内に対し、申し開きがないかと問いただす。
すると、甚内は淡々と罪を認めて、謝罪の言葉を口にしてしまったのだ。
(終わった。死罪か獄門か。へっ、死んじまうからにはどっちでもいいか。せめて、島流しで勘弁してくれねえかなァ……)
引っ立てられて白州を後にする弥七の胸の中には、絶望とわずかな希望が去来していた。
ちなみに、死罪は首を斬られた後、遺体を刀の切れ具合を試す、いわゆる試し切りに使われる。
対して、獄門は死罪より一段重い刑で、斬られた後、その首は三日間さらし物にされる。名誉の問題なのだが、身寄りがなく、下賤の身の弥七にとっては、些細なことに思えたのだ。
彼らは再び牢屋敷に押し込められてゆく。
当然、寅五郎への怒号と非難が渦巻くが、それは牢屋の同心による叱責や懲罰で、たちまち鎮静された。
吐き出す場を失えば、鬱憤はもう涙へと変わるしかない。弥七も牢の端で、誰の目にも映らない様にうずくまる。そして、数人のすすり泣きに釣られ、ひっそりと涙を浮かべるのだった。
※ ※ ※
ところが、さらに数日後、判決が下される日のこと。
白州の場で町奉行が下した判決は、弥七の想定とは全く異なっていた。
「大庭嘉兵衛捕物に尽力したこと。加えて、このとおり市中取り締まりに協力するとしている」
居合わせた者たちに対し、町奉行は一通の書状を広げてみせたのだ。
弥七と店の者達は、困惑の表情を浮かべ固まっていた。
白州からでは、書状の文字が小さすぎて読めない。なので、彼らに出来たのは、「直前に甚内だけには話があって、同意を得たのだろう」という推測だけだった。
ただ、甚内本人は平然としたまま、無言を貫いている。判決の場なので、訴人である寅五郎もおらず、詳細が掴めない店の者たちは互いの顔を見合うばかり。
そんな中にあって、奉行は彼らの動揺に気を留めることなく、毅然と判決を下したのだった。
「本来なら、死罪もしくは獄門のところなれど、以上をかんがみ、鳶沢甚内および店の者たちの罪は咎めず、釈放とする!」
釈放⁉
弥七は口をあんぐりと開けてしまっていた。
罪を認めて自白したにもかかわらず、いきなり釈放とは如何なることなのか。
「ははーっ! ありがとうございます!」
甚内が即座に御礼を述べるが、後に続く者はいない。
当然、場は静まり返る。すると、甚内がキッと睨んできたので、店の者たちはようやく御礼を述べたものの、表情には納得していない様子がありありと浮かんでいた。
やがて、一人ずつ縄をほどかれると、白州を後にしてゆく。
そして奉行所の門を抜けると、久々に陽の下に立ち、日差しの目映さに目を細める。日常に戻ってきたことを実感していた。
ただ、感動も一時だけのこと。、互いに喜び合ったものの、彼らはすぐに素面に戻ってしまう。
甚内と奉行所の間で、犯罪取り締まりの証文が交わされた理由や経緯は何か。なぜ、自分たちが選ばれたのか。釈放の詳細が明らかになっておらず、もやもやしたものが心に溜まり続けていたからだ。
「よおっ、皆、お疲れさん!」
すっきりとした顔つきだったのは一人だけ。彼らの背後から、甚内が声を弾ませて呼びかける。
彼は、店の者全員が釈放されていることを確認すると、姿勢を正して声を張った。
「みんな、今回の裁きについて疑問に思っているだろう。けど、これは機密だから今は話せねえ。詳しくは店で話すから、先に帰っててくれ」
「先にって、兄貴はこの後何かあるんですかい?」
「ちょいと所用がな。弥七、お前にも聞いてほしい話から一緒に来い。あとな──」
すると、甚内は店で一番若い奉公人を呼び寄せた。
「今からひとっ走り花街に向かい、貸し切りできる料亭を探して、予約を取って来てくれ」
「へえっ」
「夜は出所祝いだ。皆で盛大に楽しもうじゃねえか!」
と、全員にあっけらかんと宣言してみせたのだ。
固唾を飲んで聞いていたのに、甚内の話は何の説明にもなっていない。肩透かしを食らった店の者たちの中には、唖然としたり、あからさまに不満気な表情を浮かべている者もいる。
ただ、甚内の判断が釈放に繋がったのは事実であり、信用が失われたわけではない。
加えて、久々に帰宅できる嬉しさと、出所祝いの楽しさに勝るものはなかった。
場はたちまち歓声に包まれる。そして、皆、喜色を浮かべながら奉行所を後にしていった。
その去り際を甚内は手を振って見送る。
そして、街道の四つ角を曲がり、彼らの姿が見えなくなると、真顔に戻って弥七に告げた。
「よし、じゃあ、行くか!」
「……どこに向かうんですかい?」
「決まってるじゃねえか。寅五郎の所に乗り込むんだよ!」
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