第5話 決別

「お前の活躍を見てて目が覚めたんだよ。俺たち盗賊が生きる道は、やっぱり略奪を重ねるしかねえってな」


 店の玄関で二人きり、甚内は嘉兵衛にはっきりと告げた。

 己の耳を疑ったのだろう。嘉兵衛は思わず目を見開いて問いただす。


「今、目ぇ覚めたって言ったな。どういうことだ?」

「俺は商いで一旗揚げるつもりだった。けど、実際やってみたら客相手に不愉快ばかりで悟ったんだよ。やっぱり得物を手にして暴れていた方が、性に合ってるってな」 


「本気なんだな? じゃあ、店閉めて俺の屋敷に来いよ。お前が加われば百人力、皆歓迎するぜ」

「そりゃあ、ありがてえ。御頭を討ち取った役人どもにも、吠え面をかかせてやらねえとって思ってたんだ。一緒に江戸中を荒らし回ってやろうぜ!」

「よぉし、よく言った! よく言ったぞ、甚内ィ!」


 嘉兵衛は喜色を浮かべ、甚内の両肩をバンバンと叩いていた。

 対して、甚内も嘉兵衛の肩を力強く握り返す。野心をたぎらせた二人は、視線を交して不敵な笑みを浮かべると、笑い声を響かせてゆく。


 ただ、会話が柱の影から立ち聞きされていたのを、彼らは知らなかった。



※ ※ ※ 



「兄貴、店閉めて、嘉兵衛と合流するって本気なんですかい?」


 嘉兵衛が帰った後、弥七は二人きりになれる頃を見計らって、甚内の元に押しかけていた。

 話を隠れて聞かれていた事を知り、甚内の表情に戸惑いの色が一瞬浮かぶ。

 それでも、弥七の瞳には曇りがうかがえない。罪悪感よりも真意を知りたい気持ちが勝っていたからだ。


「何か考えがあるんですよね? せっかく歯くいしばって続けて、お得意様を増やして、いつか支店を出そうって話もしてたじゃないですか」

「…………」


 すると、甚内は無言のまま回れ右、店の奥へと引っ込んでいく。

 弥七が背後霊の様に後を付いてくるが、気に留めない。裏口から外に出ると、隣に建てられていた蔵へと進んでゆく。

 そして、蔵の扉の前で脚を止めると、小声で他言無用と釘を刺した上で、ようやく心の内を明かしたのだった。


「安心しな。お前と商いを始める前に、二人で凄いことをやってのけようって約束したじゃねえか。今はその道半ば、放り出すわけねえだろ」

「じゃあ、どういうつもりなんですかい?」

「方便だ。だけど、店の者全員に真意を打ち明けるつもりはねえ。嘉兵衛に心を寄せつつある者もいるしな。だから弥七、お前を見込んで頼みがある」

「えと、何でしょう?」

「今日中に俺は書状をしたためる。それを明日、行商に出かけるふりをして、ある所に持っていってほしいんだ」



※ ※ ※ 



 数日後、下弦の月がよく見える夜。

 甚内は弥七と数人の者を従えて、郊外にある嘉兵衛の屋敷を訪ねた。合流した後の方針を話し合うためである。


 屋敷の前で合言葉を伝えると、警護に当たっていた嘉兵衛の仲間が慇懃に頭を下げる。

 彼の先導のもと、甚内たちは主屋へと踏み入れると、居間から手を振る嘉兵衛の姿を捉えた。


「よく来たな。見てのとおり狭い所だが、まあ上がってくれ。おいっ、お前ら甚内の座るところを開けねえか」


 囲炉裏を中心に車座になっている数人の仲間に対し、嘉兵衛は声を張って自分の隣を開けさせる。

 彼の後ろには、酒樽やかわらけの盃が乗った膳が見え隠れしている。話し合いが終わったら、歓迎の意を込めて共に一杯やるつもりなのが窺えた。


 ところが、甚内は彼らの好意に応えようとしない。柔らかな笑みを浮かべたまま固まっている。

 聞こえてないのかと、嘉兵衛が手招きしたものの、彼はなお態度を崩さない。弥七など供をしてきた者達もせかす様子がなく、場には白けた雰囲気が漂い始める。 


 すると、甚内は懐から包みを取り出すと、布を開いて、中の物を手のひらに載せてみせた。


「話し合いの前に質問がある。嘉兵衛、これを覚えているか?」

「ああ? 何だ、そのガラクタは?」

「あちこちで略奪を働いてきたから、もう覚えてねえか。これは一月ほど前、お前が初めて盗品を見せびらかしに来た時、俺が貰ったものだ」


 甚内が手にしていたのは、平らな銀のかんざしだった。

 金箔の飾り部分には梅鉢の家紋が彫られ、わざわざ注文して製作してもらった希少品である。ただ、先端が擦れており、質屋に持っていっても良い値は付かないと思われた。


 それをいたわる様に握った甚内は、表情を一転、険しいものに変えた。


「俺はな、お前からもらう前、これを何度も見たことがある。行商している時にな」

「何言ってんだ、ありえねえだろ。ただの記憶違いじゃ──」

「分からねえか。これは俺のお得意様がよく差していた物だ。数年前、俺は弥七とふたりだけで行商を始めた。当時から贔屓にしてくれた、旗本の奥方の物なんだよ」


 灯明皿の灯りが隙間風にゆらめき、甚内の双眸がくっきりと映る。

 彼の瞳には紅蓮の炎が宿っていた。


「お前は初めて盗品をみせびらかした時、旗本を零細役人とあざけり、家の者を侮辱した。けどな、俺にとっては掛け替えのない恩人だ」

「お前、まさか──」


「……その恩人を、お前は殺した」

 

 一歩、また一歩と嘉兵衛へ歩を進めてゆく。

 そして、彼は袂を分かつ事を鮮明にした。足を止め、かんざしを嘉兵衛に投げつけたのだ。


「うっ……!」


 切り裂かれた嘉兵衛の頬から、鮮血がじわりと滲んでゆく。

 彼は事実を受け入れられず、一時頬に手を当てていたが、鮮血を目の当たりにして形相を変えた。


「そうか。てめえ、復讐のために乗り込んで来たんだな!」

「お前の事は嫌いじゃねえ。だが、今後も店の上客を殺しかねないのなら、ここで消えてもらうぜ!」


 甚内の決別宣言と抜刀、それが合図だった。

 直後、悶絶の声が主屋の外から漏れ聞こえてくる。合図を受けて、弥七が警護にあたっていた嘉兵衛の仲間を、背後から袈裟斬りにしていたのだ。


 目の当たりにして、嘉兵衛の仲間たちが色めき立たない訳がない。次々に抜刀すると、甚内たちに正対する。

 場はたちまち血みどろの斬り合いになる──と思われたが、甚内の供一人がそれを阻んでいた。

 彼は外に出て所持していた鐘を叩き、音を空へ響かせてゆく。

 すると、数十人の男達が、応して主屋へ押し入ってきたのだ。


「な、何だ、てめえらは⁉」


 彼らの姿を目の当たりにして、嘉兵衛の声は上ずってしまう。

 男たちは皆、半纏はんてんの下に鎖帷子かたびらを着ており、籠手や脛当などの武装をしている。手には捕縛縄や、棒や槍などの得物が握られていて、明らかに盗賊や浪人の類ではない。


 その中で代表とおぼしき初老の者が進み出て、嘉兵衛に十手を突きつけた。


「奉行所の者である! 大庭嘉兵衛およびその一味の者達、市中における数々の傷害と略奪の罪により召し捕らえる! 神妙に致せ!」


 宣告に従い、役人達は居間へと押し寄せる。

 ある者は長柄の得物で取り囲み、またある者は太刀を構えて、包囲の隙間を埋めていく。


 もはや、自分たちは袋の鼠。

 想定を超えていた役人たちの迅速さに、悟った嘉兵衛の仲間はおののき固まるしかない。

 その無様に嘉兵衛は舌打ちすると、怒りの矛先を事態を招いた者に向けた。

 

「甚内! てめえ、役人に魂売りやがったな!」

「一足先に地獄に行ってな、嘉兵衛。いずれ追いついたら、恨み節はいくらでも聞いてやる」

「ほざくなぁっ!」


 嘉兵衛の傍にいた側近が鯉口を切り、やけくそで甚内へ斬りかかってゆく。

 しかし、甚内はひらりと後退してかわすと、下から斬り上げて一閃。側近の右腕は血飛沫と共に宙を舞っていた。


 のたうち回る側近の絶叫に、他の仲間たちからのどよめきが重なってゆく。

 敵前であっけなく動揺を漏らしてしまうのは、追い詰められた経験が少ないことの何よりの証だ。甚内は構えを崩していなかったが、表情は憐憫の念を浮かべていた。


「良かったのは威勢だけか。随分ぬるい生き方してきたんだな、嘉兵衛。誰と手を組むかでその者の器量が知れるって、御頭が教えてくれてたのを忘れたか?」

「だっ、黙れ!」

「お前は風魔という組織があって身を律していられた。それを失った今じゃ、糸の切れた凧みてえなもんだ。彷徨さまよって墜ちるしかねえんだよ!」

「ええい、何してるんだ、お前ら! 裏切り者をさっさと始末しろぃ!」


 と、嘉兵衛はわめいたものの、従う仲間は一人もいなかった。

 所詮、欲で繋がっていた者達である。我が身かわいさに走れば、瓦解は必然であった。


 たちまち襲い掛かってくる役人の突棒つくぼうに体勢を崩され、刺股で動きを封じられてしまう。

 辛うじて逃れた数人の者も裏口から逃亡を試みるが、すぐに悲鳴を上げて逃げ戻っていた。裏口にも役人が回り込んでおり、大挙して押し寄せて来たのだ。


 闇夜の中で行われたこの捕物を知る者は、江戸でほとんどいなかった。

 なぜなら、郊外にて短時間で決着し、喧騒が広がらなかったから。

 しかも、誰一人取り逃がすことなく、犠牲少なく収めてみせた。市中にはびこっていた盗賊集団の一つを、作戦どおり壊滅させ、奉行所は大いに面目を保ったのである。


 捕縛された嘉兵衛たちは白州での尋問を受けた末、身柄を牢屋敷へと移された。

 そして、裁きの結果、市中引き回しの上獄門と決まり、首を市中にて晒されたのだった。



※ ※ ※ 



 一方、襲撃が終わった後も、甚内は屋敷の居間に残っていた。

 喚声と悲鳴が消え、がらんとした空間の中には虚しさだけが漂っている。

 彼は投げつけたかんざしを見つけると、しゃがんで手にしたままじっと動こうとしなかった。


 そんな彼に、役人たちを率いた初老の男は、背後から近寄って、慇懃に声を掛ける。


「奉行所与力(※町奉行の下で同心(庶務や警察を担う下級役人)を指揮する者)の生田いくた荘八だ。鳶沢、今回の捕物での案内大儀であった。そなたの助力がなければ、手際よく終えられなかった。いずれ褒美の沙汰もあるだろう」

「そりゃ、どうも」


 甚内の非礼と受け取られかねない返事に、場は再び静まり返っていた。

 だが、彼は意に介さない。かんざしの先に付いた血を、懐紙で丁寧に拭きとって懐にしまうと、軽く一礼して去っていこうとする。


 そのやるせなさが満ちた表情を、横目でうかがった荘八は、真意を尋ねずにはいられなかった。


「そのかんざし、敵討ちのためにわざわざ持ってきたのか。律儀者だな、そなたは」

「褒められるほどじゃありませんよ。嘉兵衛からもらった時に驚いて、後で調べて回ったんです。そしたら、奥方の遺体には幾つもの斬られた跡があったって分かって」


「寄ってたかって斬られたのか。むごい所業よ」

「せめて、一太刀だけでも仕返ししてやりたかっただろうに。彼女の心中を察したら、ああやって投げつけずにはいられなかった。それだけですよ」 


 甚内は以後無言のまま屋敷の外へ、そして夜闇の向こうへと消えてゆく。

 さらに、弥七たち供の者も整然と後を追っていった。

 盗賊は利でつながる集団である。ゆえに褒美をねだる者がいてもおかしくはなかったが、彼らは口に出さなかった。甚内の心情を思えば、しゃしゃり出るのははばかられたからだ。


 そのため、荘八は颯爽と去っていった彼らの姿を眺めながら、顔をほころばせていた。


(鳶沢甚内、仁義の男か。もしかすると、江戸のために役立ってくれるかもしれぬな……)

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