鳶沢甚内 江戸に古着の町をつくった盗賊
浜村心(はまむらしん)
第1話 忍者くずれの盗賊
時は慶長八年(1603)、場所は江戸市中でのこと。
町が寝静まった丑の刻(午前一~三時ごろ)、複数の者が街道を駆け抜けていた。
影は家々の塀にわずかに映るだけ。足音は木々の騒めきに埋もれている。昼間は人通りの絶えない街道も、ただ闇に沈んでおり、彼らの姿を見た者は一人もいなかった。
やがて、彼らは通りに面した、ある屋敷の前へとやってきた。
塀越しにのぞくと、広い庭に、手入れの行き届いた松がいくつも佇んでいる。
つまり、裕福な家庭なのだ。確信した彼らは頷きあうと、塀を乗り越え、
そして、廊下の板戸を打ち破ると、中で寝ていた若い夫婦に太刀を突きつけ、低く凄んだ。
「騒ぐんじゃねえ。何しに来たか、言わなくても分かっているな。さあ、金目のものの在りかを教えな」
「ひっ、ひいいっ!」
飛び起きた夫は、盗賊の一人に壁ぎわまで追い詰められ、股間を濡らしたまま凍りつく。
一方、妻もおののき、鍵と貴重品の在りかを呆気なく漏らしてしまう。
他に家族や下人が居合わせていれば騒動になっただろうが、二人以外は離れで寝入ってしまっていた。ゆえに、居間や蔵はたちまち押し入られ、荒らされてしまうのだった。
盗賊たちの手際の良さは、目を見張るものがあった。
まず、居間で見つけた
続いて蔵に向かい、貴重品や銭などを衣服に包み、丁寧に詰めてゆく。
中の物を壊さない、音を立てないための配慮である。夫婦に逃げ出す隙を与えず、隣家にも喧騒を悟られないまま、彼らは所持してきた袋へどんどん収めてゆく。
破られた板戸の向こうから、月明りがやさしく差し込んでいる。
それを頼りに、ふたたび居間に集まった盗賊たちは、膨らんだ袋を見て頷き合うと、ふたたび夫婦に太刀を突き付けた。
「よし、じゃあ、最後に着ている物をよこしな」
「へっ?」
「男のは汚ねえから要らん。お前に言ってるんだ、さっさと脱げよ」
「いやっ、いやああっ!」
盗賊の一人が、怒声とともに妻の喉元に刃を突きつける。
その間に、仲間が背後から彼女を押さえつけ、着ていた小袖をはぎ取ってしまったのだ。
「ほぉ、幅広の帯に、袖には刺繍が施されてやがる。下着まで上物とは、お前らいい暮らししてるなァ。 気に入った、また来るぜ」
捨て台詞を残して、盗賊たちは主屋から離れてゆく。
軽い足取りは風の如し。へたり込む夫婦を尻目に、庭にあった巨石や木を伝って塀を越えると、あっという間に姿をくらましたのだった。
※ ※ ※
さて、略奪を働いた盗賊たちは、日が昇る頃になって、市中の商人町にやって来た。質屋に赴き、盗品を金銭に替えるためである。
「蒔絵がほどこされた
「そうだな、弥七。でも、お前の太刀、鯉口がすり切れているから、一振りはもらっといたらどうだ?」
「いいんですかい? 俺みたいな半人前がこんな立派なものを差しても?」
「誰が咎めるんだよ。むしろ、御頭から一人前として認めてもらうには、格好の材料じゃねえか」
「へへっ、そうですかい。じゃあ、遠慮なく……」
「しかし、鞘から柄まで本当に秀麗だな。腰に差して色街に繰り出せば、客引きの女がぞろぞろ寄って来るぞ」
「じゃあ、後で行ってみましょうぜ、兄貴! ちょっと前、
弥七と呼ばれた、あどけなさが残る青年が声を弾ませる。
盗品を入れた袋は重たかったが、気分は軽快だった。仕事終わりに金が無くなるまで遊び倒すことが、彼らにとって何よりの活力だったからだ。
やがて、当時、発展いちじるしかった日本橋へとやってくる。
薄汚れた素襖に袴をたくし上げた姿からは、貧相な暮らしぶりが漂う。
それが、黄ばんだ歯を見せて笑いつつ、我がもの顔で闊歩しているのだから、周囲の人々が苦々しく思わないはずがなかった。
「ねえ、父ちゃん、またあの怖い人たち来てる……」
「盗賊どもが、昼間からでけえ面しやがって。目ぇ合わせるんじゃねえぞ」
兄貴や弥七たちの姿を見つけるや否や、町家に住む親子はののしって格子窓を閉めた。
当時は、戦国の世が終わってから、まだ日が浅い。略奪・放火・強姦など、いわゆる乱暴狼藉の気風は色濃く残り、犯罪は日常的に起きていた。人々から忌々しいと思われながらも、盗賊は堂々と生きていられたのだ。
さらに、この時の彼らは、盗品が入った袋を背負っている。
乞食を
つまり、身なりと素性の両面から、彼らは嫌われるべくして嫌われていたのだった。
彼らはなじみの質屋に押しかけると、声を荒げて吹っ掛け、盗品を次から次へと銭へ替えてゆく。
そして日本橋を離れ、江戸郊外の屋敷へと帰ってきたのだが、すぐに異変に気付いた。屋敷の近くで、道を塞ぐほどの群衆に出くわしたのだ。
「何だ、人ん
顔をしかめた弥七は、群衆の中に割って入ろうとする。
だが、中から漏れ聞こえてきた会話が、彼の脚をすぐに止めた。
「屋敷に出入りしていたのは、忍者くずれの盗賊どもだ。おそらく敵対していた者たちに密告されたに違いねえ」
「俺も聞いたことがあるぞ。北条と武田の残党が縄張り争いしてるんだろ?」
「へっ、俺たち庶民から略奪を繰り返した罰が当たったんだ。ざまあねえ」
屋敷の者などいるはずがないと思ったのか、話し声は嘲笑を交えながら大きくなってゆく。
つられて、弥七の眉も吊り上がらずにはいられなかった。
「おい、誰がざまあねえんだ、ああ?」
あざ笑っていた若者の胸倉をつかみ、凄んでみせる。
もちろん、相手の反応を推し測った上でのことだ。若者が弥七を屋敷の者だと知っていれば、ひるんで謝罪するはず。知っていなくても、後ろにいる無頼姿の兄貴たちを見れば、おののいて逃げ出すだろう、と。
だが、予想に反し、若者は弥七の手を払いのけると、ふんぞり返ってみせた。
「分かってんのか、お前。威張ってる場合じゃねえのによ」
「なにぃ⁉」
「目ん玉よぉく開いて、あれを見ろ!」
若者は人ごみの中をかき分けて、屋敷の方へと進み出る。
指し示した先には、簡素な具足をまとった足軽たちが、屋敷をぐるりと取り囲む姿があった。
数は、ざっと見ても百を超えている。それらが喚声を上げながら突入している最中で、屋敷内は怒号や悲鳴が飛び交っていた。
そこに、火縄銃の轟音が虚空に響き、悲壮感を駆り立ててゆく。
騒めいていた群衆が静まり返る中、弥七も一時、口をあんぐりと開けてしまっていた。
「ど、どうして、幕府の役人どもが⁉」
「分からねえのか、お前ら風魔は調子に乗りすぎたんだよ。略奪と殺人を繰りかえす社会の屑は、始末されて当然じゃねえか!」
「てめぇ……」
「おっと、恨むなら屋敷の場所を密告した奴を恨めよ。まあ、お前らが縄張りをさんざん荒らした、どこかの一味の仕返しなんだろうがな」
「うるせえ! 俺は御頭の下に流れついて、やっとまともな暮らしにありつけたんだ。役人ごときに潰されてたまるか!」
鯉口を切り抜刀する弥七に、とっさに間合いを取る若者。
さらに、まわりの野次馬たちも、どよめきながら二人の周りから一斉に離れてゆく。
ただ、騒ぎを役人に気付かれてはならない。察した兄貴分の男は、二人の間に割って入ろうとした、その時だった。
「お武家様ぁ、ここにも盗賊がおりますぜ!」
したり顔で若者が声を上げてしまう。
すると、取り囲んでいた足軽のうち、数人が振りむいて、足早に迫ってきた。
「まずい! 弥七、すぐに逃げるぞ!」
「けどっ、屋敷にはまだ御頭が残ってるんですぜ!」
「救出に向かったところで俺たちも捕まるだけだ。生きてりゃ日の目を見ることもある、堪忍しろ!」
「い、嫌だっ……!」
「おい!」
「兄貴の命令でもそれだけは聞けねえ! 御頭は貧しかった俺に忍びの術を教えてくれた恩人なんだ。どうしても助けてえんだよ!」
睨みあう弥七と兄貴との間に、一陣の風が吹き抜ける。
弥七の瞳は手にしていた盗品の太刀と同様、曇りなく真っすぐなものだった。彼は振り返って深呼吸すると、上段に構えた姿勢で駆け出そうとする。
ところが──
「あ、がっ……!」
「頭に血が昇ると、背中ががら空きになっちまうか。やはり、まだ半人前だな」
弥七は激痛を覚えて気を失うと、足元から崩れ落ちていた。
兄貴が盗品の太刀、その鞘の先端で、彼の後頭部を突いていたのだ。
崩れ落ちゆく弥七をすぐに介抱し、肩に担く。
質屋で替えた銭が懐からこぼれ落ちるが、拾おうとはしない。
逸品ものの太刀も、若者にこっそり奪われていたが、見向きもしない。
命あっての物種、群衆の手薄な所に当たりをつけて、一目散に逃げ出そうとする。
ただ、舐められたままというのは、彼の面子が許さなかった。
「おい、そこの若けぇの!」
「ああ?」
「風魔は終わりかもしれねえが、一味すべてが滅びるわけじゃなねえ。俺たちは必ず蘇ってみせる、必ずな」
「へっ、
「興味ねえのなら、持たせるまでさ」
「なに……?」
すると、兄貴は弥七を担いだまま立ち上がると、駆け出していった。
両の脚でしかと地を踏みながら、速度を増してゆく。
男一人の重さにも身体の軸が揺らぐことはない。土埃が上げながら、風を切り裂きながら、やがて彼自身が風となってゆく。そして──
「ばっ、馬鹿な!」
若者の手から、奪われた太刀がするりと零れおちる。
兄貴は民家の塀をつたって跳躍すると、門の上に軽々と着地してみせたのだ。
当然、門は人より高く造られている。しかも、民家の門は
なのに、彼は人を担いで軽々とやってのけた。
まさに常人にあらざる所業。屋敷に向けられていた群衆の視線は、たちまち彼に注がれ、ざわめきが広がってゆく。
その中で、兄貴は振り向くと、キッと若者を睨みつけて宣言するのだった。
「胸にしかと刻んでおけ! 俺の名は飛沢甚内。いずれ江戸に名を轟かす大盗賊だ!」
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