47.狂気(前)
翌、
午前10時。聖フォーク城の謁見の間に貴族や騎士達が集った。薄暗い部屋だった。広いが、閉塞感もあり重い。これは赤黒い壁紙によるものであるが、実際窓も少なかった。燭台の数こそ多いが、それでもマリアベルは、今までで1番暗い謁見の間であると感じた。隣に立つリアンもまた同じく思い、クララも自身の住んでいた居城の謁見の間を思い出して、随分暗いものだと思った。これは水没したデュダから逃げる形で作られた城であるから、その当時の心理が設計に反映されてしまったのだった。
壇上、壁に沿ってずらりと並ぶ巨大な騎士の像もまた、圧迫感を醸す。その像の前、これまた大きく、酷く重そうな
パトリシアから見て右側に貴族が並び、左側に騎士が立ち並んでいた。正面、戦士の血を意識したであろう真紅の絨毯で出来た道。マリアベルら3人の客人は騎士らの並びにいる。
「マリアンヌ・ネヴィル。あなたがいなければ、ピピン公爵領は崩壊していたかもしれないわ。本当に、ありがとう」
この領には幾つかの街があるが、デュダ以外は総じて小さい。学も経済も何もかもがデュダに頼り切りの状態であるから、デュダの崩壊は領の崩壊に繋がった。
貴族や騎士達も、救世主らに向けて拍手を送った。部屋に楽観的な雰囲気が漂う。彼らの顔もふやけていた。客人はそのまま暫く留まるらしいから、蜂起寸前にまで熱くなっていた民衆の緊張も幾分か解けよう、といった具合である。
拍手鳴り止まぬ中、マリアベルは冷たく微笑みながら辺りを見る。貴族や騎士たちの緊張感のない
「そうだ。今宵は宴でもどうかしら、ロック卿。私、マリアンヌ達をおもてなししたいわ」
パトリシアが興奮に頬を赤らめて言ったところで、マリアベルは一歩前に出て言う。
「
軍を指揮していた騎士達はぎくりとした。彼らの軍人としての働きは
旧市街の領軍はハイドラの復活を認めた後、それが市街に向かわないよう誘導する手筈であった。が、突如の霧に兵達が右往左往。用意していた照明弾の場所が分からず混乱し、撃ちそびれる。焦って砲撃を開始したが弾が命中することはなかった。一つもである。掠りもしていない。何も出来なかったに等しい。
かつてピピン公爵領軍は広く知られていた。牛の変わり兜を身につけ魔物を蹴散らす様は、『白牛軍』と呼ばれた。兵の1人1人が
「そう、なの……。なら宴は諦めましょう……。その代わり、私のお部屋でお茶はどうかしら……? 私、後でお菓子を焼くわ?」
パトリシアはしゅんと肩を落として、そろり、とマリアベルを
「それならば、慎んでお受けいたします」
「良かった……!」
陽だまりの笑顔となって喜ぶ。昨日、助けてもらって以降マリアベルに憧れていた。
「ただ、忠告しておきたい儀がございます」
「え? なに?」
「王を失って以降、王室の威光が隅々に行き渡らず、民の暮らしも不安定になりつつあります。禁軍を名乗る野盗が出たように、この先、国は大いに荒れるでしょう。ピピン公爵領に於いては、それに備えておくことが肝要と心得ます。ハイドラが倒れても、決して緩まず、身を引き締め続けるよう号令くださいませ」
「そっ、それもそうね……。マリアンヌは利口だわ。みんな、よろしく頼むわね」
パトリシアの隣に立つロック卿は『活の入れどころをよく心得ているようだ』と独りごち、羊皮紙を手にした。
「マリアンヌ・ネヴィルの申す通りである。今は我が領も未曾有の危機にあると、
マリアベルは心の中でぐっと拳を握り、よし、来た! 求めていた情報だ! と、
このロック卿、ただの無骨な老騎士かと思いきや、中々に出来る男。水面下ではちゃんと動いていたらしい。この腑抜け軍団の中では群を抜いて優秀なのだろう。無知なお嬢様が頼り切りになるのも分かる。
「坊主の頃の教え子共に文を飛ばした。さて、王都にいる教え子が言うには『王都大ハイランドは王を失っても異様な程に普通』との事である。ただし、王都ならびに王室領に入る事の出来る者は限られているようで、関所では厳しめの問答が行われているらしい。あらぬ疑いをかけられ、拷問を受けた旅商人も少なくない、だそうだ」
日常は異変によって緩やかに侵食され始めている、と言ってロック卿は続ける。
「なお、新王として立ったのが誰なのかは、未だ分からず。王族の動向は以下の通りである」
羊皮紙一枚、めくる。
「第一王子エリック、不明。一節前より王城に姿を現さず。第二王子アンドルー、不明。第一王女リリ、不明。第二王女ソフィア、外遊中。詳細分からぬが、ファルコニア伯爵領に避難したとされる。第三王子リアン、不明。第四王子アーサー、不明。王の子らについては、無事を確認できるのは第二王女ソフィアくらいである」
マリアベルは神妙な顔つきで情報を頭に入れていた。禁軍が動いている以上、王殺しを仕掛けた人間は王の子らであるとは予想している。さて、随分と不明者が多いが、リアンが堂々と命を狙われたことを考えると、新王に味方しない者は内密に処刑されたかも知れない。第二王女ソフィアに話を聞いてみたい所だが、ファルコニア伯爵領は随分と北にあるから、文を飛ばしても帰ってくるのは先か。
「亡き王アルベルト2世の実弟ロブは死亡した。行軍の最中であったとされるが、
目を閉じ、マリアベルは記憶を辿る。ロブは王室領・聖セドナを統治する王族である。アルベルト2世とは関係良好、神に熱心であり、正教会本部教庁との
「その行軍、魔物や野盗の征伐──、では無さそうですね」
「うむ。それではロブ自らが率いるとは考えにくい。仔細は知れずも、相応の理由があったと見る。これについては聖セドナにいる教え子に文を出した。近々返ってくるだろう」
続ける。
「なお、マール伯爵に嫁いだ実妹マーガレット、ファルコニア伯爵に嫁いだ実妹アンは無事だそうだ」
「王城の
即ち、前王に仕えていた家臣団のことを聞いている。
「ほう。先ほどから鋭いな、マリアンヌ・ネヴィル。前王
黙って聞いていたパトリシアが、控えめに言う。
「で、でも……、何だかそれじゃあ、お城の中に
フランベルジュ家とは、リンカーンシャー公爵の名を継ぐ貴族である。今ではジュール・フランベルジュを当主とし、
「今件にフランベルジュ家が関わるかどうか、儂は疑問に御座いまする。触れを出す支度が早すぎるものです」
「そ、そういうものなの……?」
マリアベルの横、クララは深く息を吐いた。フランベルジュ家といえば、焔聖、つまり大切な友達の家。凄く、そわつく。あの子の事が心配だ。
「なお、フランベルジュ家は
改易とは、即ち爵位を剥奪し、平民の身に落とすということである。領主である場合はもちろん所領も失う。
「フランベルジュ家は従ったのですか」
ただし、当然ながらそれに従う諸侯は多くない。
「ユーベル・フランベルジュが挙兵し、禁軍のうち東門騎士団と戦闘に入れり」
ユーベル・フランベルジュは焔聖の叔父にあたる。
「焔聖の情報は?」
「いや、聞かぬ。今件は諸侯も模様眺めをしているから、焔聖も同様ではないか。フランベルジュ家には、それなりに敵もいる。特に近隣の領は煮湯を飲まされておるでな。相手を
「そうですか。破門はありましたか?」
改易より重いのが破門であるとされている。狭まる世界において、正教会こそが信仰の全て。宗門から除かれれば、もはやそれは現世から切り離されるのと同義であった。
ロック卿は
「……斯様な情報はないな。破門されておらぬのではないか」
今件において正教会が関わっていないことが、ここでも証明された。家を取り潰したいのであれば、教皇が破門を宣言すれば良い。兵の士気が下がり、攻略する事容易い。
「とはいえ、状況は最悪であろう。リンカーンシャー公爵領付近、王国南部の諸侯は模様眺めとしつつも、禁軍を迎え入れ、道や砦を貸し、橋をかけ、
「事実上、南部は禁軍の味方ですね」
「仕方あるまい。あそこには
クララは気落ちし、目を伏せた。大切な友達の故郷は、魔物に囲まれ貪り食われる
「良くわかりました。して、未だはっきりと姿を現さない新王は、諸侯に対して何かを言ってきてはいないのですか?」
「……ふむ。王城からの命については、先に騎士達に伝えている事のみ。それ以上はない」
「伝えている事とは?」
「判断に困る事を言ってきている。王の弑逆があって混乱しているのだろう、とは思ったがな」
ロック卿は続ける。
「有り体に言えば、こうである。──王アルベルト2世が無念の
これを聞いたクララは首を傾げた。神を信じる心が足りないから、王が死んだ? それで、領内の教会を綺麗にする? まるで
「まだあるぞ。国の混乱を鎮めるため、諸侯には協力願う。ついては、諸侯の身内等、民人の指揮を取れる人間と、信のおける騎士を幾人、兵を王都に貸し与えるべし」
クララは考えた。つまり、助太刀が欲しい、ということか。まあ、これはわかる。突然王が死んで、慌ただしい日々を送っている事だろうから。
「マリアンヌ・ネヴィルに問い申す。これをどう思う」
マリアベルはロック卿の目を見て、少し待つ。謁見の間にいる全ての人間が己に注目した事を感じたから、冷ややかな笑みを浮かべつつ、口を開いた。
「──新王は敵となり得る全てを排除するつもりです。新王の息のかかった者のみに領地を与え、それ以外は取り潰す。このピピン公爵領も例外ではない」
リアンはハッとして、マリアベルに目をやった。その、冷気漂う青い瞳。
「突飛すぎる」
静かに、力強く言ったリアンに対し、マリアベルは至極冷たい顔付きとなって、
「黙りなさい、アビゲイル」
強烈な殺気。リアン、偽名をアビゲイル・ゼファーは躊躇する。
「──教会を建て直させるのは、各領に金を使わせる為。王都に向かわせる人員は、人質。諸侯を骨抜きにし、抵抗する力を無くしてから、禁軍に攻め入らせる。抵抗する諸侯やその騎士達は極刑とする」
マリアベルの冷気が伝染したように、部屋が冷え込んだ。
「武器を買い集め、諸侯と連絡を取り合い、挙兵に備えるべきです」
謁見の間、騒つく。パトリシアは青ざめてロック卿を見上げた。
「王都から、その命が届いている領、届いていない領があるはず。前者はもはや敵と見做されているものと思いなさい。今から媚びても無駄でしょう。亡きピピン公爵はアルベルト2世個人と何度か狩猟に出かけている」
ロック卿はただ黙って意見を聞いていた。
「もはや禁軍は世界の敵と断じなさい。輝聖を葬る企てもしている」
騒つき、さらに大波となる。
「輝聖を……?」
「降臨したと言う噂は本当なのか?」
「なぜ輝聖を葬る」
動揺の声が謁見の間を揺らす。まるで船上であった。
「王が弑逆されてからデュダの街に入った禁軍は、その犯人を探すのと同時に、輝聖を探していたのも分かっています」
「禁軍に会うたのか、マリアンヌ・ネヴィル」
ロック卿に問われ、マリアベルは目を逸らした。少々、話しすぎたらしい。適当に誤魔化す。
「……ええ、街道で。デュダから撤退する最中の禁軍と。旅をしていると言うと詰問されました。輝聖と疑われたのです。禁軍は女が放浪していれば疑う」
話を逸らしつつ、大袈裟な方向へと舵を切った。
「輝聖は原典における最大の希望。彼女の元に諸侯や民衆が集うのを嫌っているのではないかと、そう推測します」
「何ゆえ嫌う」
「考えても見てください。王朝にとって輝聖は
騒つきの中、パトリシアは眉を下げて口を開く。
「ど、どうなの、ロック卿……?」
卿は沈黙した。突飛であるが、否定の材料があまり無かった。王を失って以降、国は平穏を装っている。が、確かに
「……どうすれば良い、マリアンヌ・ネヴィル」
「先ほど申し上げた通りにございます。同じ境遇にある諸侯と手を結び、挙兵に及ぶべきです」
「戦争か」
パトリシアは息を呑んだ。
「時は待ってはくれない。このままでは、ピピン公爵領は金を失い、兵力も失い、骨抜きにされる。待てば待つほど状況は悪くなる。諸侯と共に速やかに王都を包囲し、諸侯に力がある事を認めさせ、優位な条件を引き出した上で争いを終わらせるのが理想です」
「それについては今ここでは決めかねる」
「勿論です。あくまで、私の意見はご参考までに。しかし、禁軍が光の聖女を狙うのであれば、天命に従って新王を弑逆することも考えるべきと存じます。瘴気の世界にて輝聖を失うことはあってはならない。神に祝福されし土地、ピピン公爵領を失う事も同様と心得ます」
騎士達からも『無茶苦茶だ』『大袈裟だ』『冒険者のくせに』などと声が飛び始める。そして何者かが『禁軍が輝聖を葬るなどあり得ない』と叫んだ。
すると、貴族の列の中から1人の若い男が前に出た。名はポール・ラッセルと言い、爵位は子爵。1年前に父が死に、爵位を世襲した。
「……あの、少し申し上げにくいのですが。禁軍が輝聖を狙うとの事、間違いないかと思いまする」
騒つき、次第に収まり始める。
「ほう。何故そう言える」
「実は私、マール伯爵領と通じておりまして」
マリアベルは目を見開いて、ポールを見た。──マール伯爵領は輝聖がいる場所。
「つい昨日、書簡が届いたのです。それに輝聖の事も書かれております」
ロック卿もまた目を瞠り、驚いた。ポールのその手には丸めて筒にした羊皮紙がある。
「貴様、何故それを言わんか! 相手は誰ぞ!」
ポールはおどおどと説明した。
「か、隠していたつもりはなく……。ジョッシュ・バトラーとのやり取りで、彼は学友でありまして、気兼ねなく連絡を取り合う仲で……。その、元はただ、たわい無い恋愛相談を受けていたに過ぎず、それで……。いや、たわい無いとは不適切か……、想い人は陸聖であらせられるのだから……」
マリアベルは生唾を飲み込み、ゆっくりと前に出た。ジョッシュ・バトラー。噂は聞く。家嫡の
「き、輝聖は……。輝聖は、無事、なのですか……?」
「え、ええ。ただ、これは内密にして欲しいらしいのですが、輝聖を巡っては『大いなる揉め事』があったらしく……」
「お、大いなる揉め事? 読み上げなさい……ッ!」
マリアベルの強い口調に、周囲の騎士や貴族達は驚いた。
「しかし、内容が内容で、お
「構わないッ! 早くッ! 一語一句違えるなッ!」
ロック卿もまた頷いたので、額の汗を拭って、急ぎ羊皮紙を広げる。そして咳払いを一つして、読み上げる。
「……覚え。まず一に、毛皮の贈り物、有難う存ずる。見事な狼を仕留めたようで何よりである。さて、己は海の珍味が好きであるから、いとも珍しき
ポールの声、響く。
「次に。我が麗しの陸聖、日に日に美しさを増し、我が胸は張り裂けんが如し。目を瞑れば、想いが針となって心をちくちくと
騎士達は、なんだこれは何を聞かされているのだと首を傾げ始めた。真面目なパトリシアは"何かを比喩しているのか"とぱちぱち瞬きをしながら必死に考えている。
空気を察したか、ポールはマリアベルを見て、言う。
「あ、あの。この
「
ポールは羊皮紙をなんと9枚もめくって、肝心と思われる部分に入る。
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