29.野望

 

 イリーナコーストの要塞、その別棟の2階、石の一室に様々な機材が所狭しと並べられていた。、蒸留機と硝子ガラス容器、粉砕機、濾過器。机の上には無数の書物。棚には籠に入った宝石と鉱物、並ぶ薬品の瓶。床には壺に入った炭。硝子ガラスの入っていない窓には花の苗が並べられている。これら全て、錬金術に使用する物だった。


 濾過器に取り付けられた雫のような形の硝子容器の中、ゆっくりとゆっくりと滴る、液体とも固形ともつかないドロリとしたものが下に溜まっていくのを、メリッサは椅子に座って見ていた。それは魔力を多く含んでおり、窓からの斜陽を蓄えて所々赤く光っている。この赤は精霊サラマンダーの炎。メリッサは先の古城攻略の反省を活かし、さらに強力な魔導弾の研究を行っていた。ドロリとした赤く光る物質は炸薬さくやくに使用する。


 窓の外、西に沈みゆく太陽が海上に光の道を作っている。風は少ない。漣の音は寝言を言うかのように曖昧だった。


 メリッサを手伝っていた13歳の若い侍女が、その夕日を見ながら書物を本棚に戻そうとして、部屋の片隅にある布を引っ掛けてしまった。それで、はらりと床に落ちる。出てきたのはイーゼルとカンバスだった。


「失礼しました」


 完成途中の油絵。そこに描かれているのは、大窓のある部屋、光の中で8人の男女が集まって、錬金術を行っている姿である。1人は大人で、後の7人は少年少女だった。


「うん? ああ、懐かしいな」


「これは姫様が……?」


「いつかは完成させたいと思っているのだが、中々」


 メリッサは懐かしそうに目を細め、侍女に寄った。


「……ここに立っておられるのは、姫様で?」


 油絵の中、全く目立たない場所で、背景に溶け込むようにして紙に記録をとっている女子がいる。今よりも幼く見えるが、メリッサによく似ていた。


「そうだ」


「この者たちは、ご学友ですか……? となると、ここが姫様が学ばれていた聖隷カタリナ学園……」


「いや、カタロニアの学舎まなびやだ。といっても、ただの家だがな」


 一般的に、学舎や学校と言えば教員の家のことを指した。生徒は直接家に出向き、授業を受けるのが普通である。もちろん、特別に用意された建物や教室などはない。それはカタロニアでもカレドニアでも変わらない事で、聖隷カタリナ学園のような都市機能を持つ教育機関は珍しく、カタロニアには存在しなかった。


「宮中に錬金術を極めた者がいなくてな。それでこの教師、アブラーンに教えを乞うた」


 メリッサは、長髭を蓄えたターバンの男を指差す。


「宮中に入りたがらない頑固者であったから、妾が直接そこに出向いていた。泊まり込みでな」


「姫様が自ら……」


「私たちは"賢者の石"を作ろうとしていた。それをもってして、瘴気を止められないか……、もしくは瘴気の中でも生きながらえる事が出来ぬものかと、挑戦を続けていた」


「この者たちは、今は……」


「学舎はハルハンにあった」


 ハルハンは4年前に瘴気に飲まれたオアシスの街である。


「あっ……」


 侍女は口を噤んだ。ハルハンを含むいくつかの街が、三つ首の魔物冥犬ケルベロスの群れによって滅ぼされた。その事を、侍女は知っていたのだ。今ではこのケルベロスの強襲を、狗惨こうざんと呼ぶ。ハルハン中央の泉は赤黒く染まり、臓物と脂が浮いた。太陽の熱でそれらは腐り、凄まじい死臭を発して、臭気は国中に漂ったと言われる。


 メリッサは死の街から逃げ仰せることが出来た、数少ない人間だった。それは、絵の中の学友たちが盾となり、囮となり、彼女を逃したからだった。


「……今でも目に焼きついて離れぬ。逃げろと言ってくれた時の彼らの頼もしい笑顔が。今でも耳にこびりついている。逃げる最中、遠く、背中から聞こえる『ママ、助けて』という彼らの悲鳴が。それらは夢に出てきて、毎日、毎日、同じ惨劇を繰り返す」


 メリッサは思うのだ。もし、己が王の血を引いていなかったら、彼らは命を投げ打つことなく今も生きているだろうか。もし教えの通り、天に神の国があるとするならば、彼らは今もそこで錬金術にのめり込んでいるだろうか。ついに、賢者の石を見つけたろうか。あの時、己も共に逝ったなら、ずっと永遠に彼らと過ごせたろうか。仮に今、神の国へと昇って、初めて学舎に足を踏み入れた時のように『仲間に入れて』と言ったら、また笑って受け入れてくれるだろうか。そう言えば、あの日は緊張していた。自分は王族だから、隔たりを生んでしまうのではないかと。仲良くなれないのではないかと。


「美しい思い出は胸に残ると言うが、そんなものはまやかしだ。歳をとれば、指先から崩れるように、徐々に徐々にと忘れよう。妾が死ねば、ついには残らぬ。絵の中でなら永遠に生きられると思って描き始めたが……」


 絵の中の少年少女たちは楽しそうであった。メリッサは一歩引いた場所で、彼らを眺めるように記録をとっている。その表情は羨ましそうでもあり、幸せそうでもあった。


「……やはり、国は残さねば意味がない。彼らが息づいた全てが残っていてほしい。あの地、あの丘、あの風、あの建物、あの会話、皆で泳いだ泉、語らった絨毯、買い食いをした市場、そして彼らの墓跡。いや、彼らだけではない。我が民たちが息づいた全て、歴史の全てが残って欲しい。こんな時代であっても」


 メリッサは続ける。


「土地が残らぬなら、せめて新たなる国を。新たなる歴史を、作りたい。それすらも成し得なかったら、国のために死んでいった民の全てが無意味だった事になる。妾はそれを受け入れる器は持ち合わせていない」


 そして掌を見る。ペインティングナイフで少し指を切ると、じわりと指から血が出た。そして直ぐにそれは固まり、光り輝いて、小さな赤い水晶となった。チリンと音を立てて落ちたそれを見て、侍女は驚く。


「奇怪だろう。体に結晶が流れているんだ。過去を思い出して流れるのは涙ではなく、代わりに水晶が溢れる。──もう妾はではない」


 侍女は焦りながら首を横に振った。どうしてそれを肯定することが出来よう。


「やがて、この力がさらに覚醒して瘴気を祓えると言う。果たしてそれがいつになるかは分からない。国が滅びてからでは遅い」


 メリッサは十字を切った。その表情は、儚い笑顔だった。


「この体を人の理から外しておいて、なお国をも失ったらば……。妾は獣物けだものとなってリュカを喰らおう」


 部屋の外から声がした。女官長である。


「姫様、礼拝のお時間が」


「うん。……そうだ、捕らえてきたロングランドの男はどうなった。何か情報は掴めたか」


「先ほど、兵士が口を割らぬと漏らしておりました」


 □□


 砦内にある礼拝堂で祈りを捧げた後、女官長と共に天守キープの地下室に赴く。そこに捕らえられたがいる。メリッサが地下室に着くと、廊下の兵達がみな跪き頭を下げた。


「……この者たちは?」


「運び屋が運んでいた女にございましょう」


 階段から直ぐの小さな詰所に3人の娘がいた。凡そ、10歳前後に見える。どうやらこの者たちも拷問官の取り調べを受けているようだった。とは言え拷問が行われているわけではなく、椅子に腰を下ろして、彼女たちのペースで話が進められている。捕らえられて早々は衰弱していたのだが、日が経って多少体力が回復したので、彼女たちからも情報を聞き出しているのだった。


「まだわっぱではないか」


「なにやら、生贄であったと」


 娘たちはみな、目の下にクマを作って、気落ちしているように見えた。この様子では一睡も出来ていないのだろう。また、頬にアザがある者もいて、乱暴の痕もある。


「もう大丈夫だ。この砦にいる限り誰にも手出しはさせぬ」


 メリッサはそう言って微笑み、1人ずつ声をかけて抱きしめていく。すると、最後の1人が言う。


「……あの、村は。村は、無事なのでしょうか?」


「村……?」


 拷問官が調書をメリッサに渡した。次いで、説明する。


「東にある村での儀式があり、その生贄だったよしにございます。付近を巡っていた聞者役ききものやくの話によれば冒険者の一行がその村のクエストを受けた、と」


 調書にクエストを受けた人間の認可番号が書いてある。ギルドに問い合わせれば、それくらいを知ることは訳もなかった。番号を見てメリッサは直ぐに気がついた。己の連番であるから、つまり、共に試験を受けた聖女5人の内の1人。となると、付近で行動が確認されているリトル・キャロルに違いない。


「案ずるな。ここ数日晴れ渡っているし、どうやら妾の友人が一策講じたようだ。無頼だが信用できるぞ。妾より頭も切れるし、強い。絶対に村は無事だ」


 メリッサが頭を撫でてやると、3人とも揃ってわんわんと泣き出してしまった。生贄に出されて怖かったのと、誘拐されて困惑したのと、家族が無事かも知れないのと、生きていて嬉しいという気持ちが、不安の蓋が外されたことで一気にわっと湧き出て、涙が溢れてしまった。それで、メリッサはまとめて肩を抱いてやった。


 □□


 拷問官は廊下の先にある土の扉までメリッサと女官長を案内し、ゆっくりと扉を押し開けた。


 その部屋は凄まじい臭気に満ちていた。血と糞尿の臭い。部屋の中央、鎖で吊るされた裸の男が1人。髭面で薄汚い。その男は、革の仮面を被った筋肉隆々の拷問官に鞭で打たれていて、離れた所には女性の薬師もいた。男の背は張り裂け、大量の血が滴り、床は赤く染まっている。


「姫様……! こ、こんな所、お見苦しゅうございまする」


 色白の薬師が声を上げて立ち上がるが、メリッサは構うなというように掌を見せて制止し、静かに言う。


「首尾はどうか」


 拷問官が答える。その声は仮面でこもっている。


「さしたる情報も聞き出せず……」


「自白剤は」


 今度は薬師が申し訳なさげに答えた。


「使うておりますが、いささか効果が薄うございます。酒精エタノールの毒に耐性があるのか、余程、意思が硬いのか……」


「妾が直接問うてみよう」


 メリッサは捕らえられた男の髪を掴んで、顔を寄せた。そして、目をじっと見る。


「お前のあるじは誰か」


 男は不敵にくつくつと笑った。


「カタロニアの姫さままで出てきたのか……。はは、噂通りの美人だなぁ……。なあ、教えてくれ。もう男とはのか? その股から血が出るか、俺が試してやろうか?」


 拷問官が激昂して男の頬を殴った。


「貴様ぁ……ッ‼︎ 姫に対して何たる物言いッ‼︎ 断じて許す事は出来んッ‼︎」


 さらに女官長が平手打ちをしようと手を振り上げて男に寄ったので、メリッサは彼女の腕を掴んで止めた。


「よい。大した胆力、褒めて遣わす」


「しかし、姫……ッ!」


「ミランダ、あいかいなを」


 女官長は怒りを抑えるように一つ息を吐き、その手に持っていた2フィートに満たないくらいののようなもの、それに硬く巻かれた包帯を解き始める。包帯には血で呪文が書かれていた。徐々に姿を現し始めるの気味の悪さに、男はゾッとして思わず声を上げた。


「……な、何だよそれは」


 包帯から出てきたのは、左腕のミイラである。奇妙なことに青金石ラピスラズリで真っ青に染め上げられており、小指に金の指輪、薬指に大粒の紅玉ルビーの指輪、中指に電気石トルマリンの指輪、人差し指は存在せず、親指に金緑石アレキサンドライトの指輪が3つ嵌められている。


 メリッサは腕を受け取り、ミイラの人差し指の部分に開いた奇妙な穴、そこに指を入れた。するとあいかいなの肘あたり、切断部分から筒状に巻かれた布のようなものが押されて顔を出した。メリッサはそれを丁寧に引き抜き抜いていく。どう見ても藍の腕に入らない程に長い布が出てくる。奇妙だった。


「恐ろしいか?」


 男は問われて、生唾を飲み込んだ。


リュカを馬裂きに処した"ウド王"の腕だ。希望を屠った者の体の一部だから、慣れぬ内は見るだけでも体が拒絶する」


 そう言ってメリッサはウド王の腕を女官長に渡し、手に取った布のようなものを、はらりと広げた。見て、男が呟く。


「……何だ、その毛皮は」


 男は引き攣った笑いを浮かべた。この白とも灰色ともつかぬ毛皮、妙なのだ。見た目は粗末なただの毛皮だが、醸し出す異様な圧に恐怖を覚える。先に見た藍の腕の比ではない。


「名を"麤皮あらがわの鏡"という」


「鏡……? これが……?」


 麤皮とは驢馬ロバの皮の事である。聖母カレーディアがリュカと共に見物小屋に売った驢馬のもので、その名はメメールと言った。当時の記録によれば片輪かたわであり、右前足が無かった。メメールはリュカが生前大事にしていた驢馬で、寝食を共にし、良き友であったとされる。


 メメールに関する逸話で有名なのは、馬裂きの際の引き摺り回しである。処される時、リュカの両手足は屈強な馬に括りつけられ、首はメメールに括り付けられた。執行される瞬間、尻を槍で刺され、メメールは走り出した。が、3本足では勢いがない為に首が飛ばず、それで四肢をもがれたリュカは街中を引き摺り回された。冷静になって主人あるじの無惨な姿を見た時、メメールは血のあぶくを吹いて死んだと記録される。


 男は恐怖で息を荒げつつ、麤皮を観察している。注意深く見ても、やはり、薄汚い皮にしか見えない。


「ただの皮じゃねえか……、脅かしやがって……」


 自分に言って聞かせるように、呟く。


にあらず。陸聖の魔力を極める魔道具と心得よ。そうそう拝める物ではないから、目の玉を剥いてしかと見ると良い」


 メリッサは右手、胸の前で十字を切って、麤皮の裏側を男に向けた。


「……?」


 何もない。ただの毛皮の裏側だ。そう思った時、皮がほんのりと光り始めた。すると、毛皮の裏側に水の玉が浮き出てきた。いや、水ではない。血だ。驢馬の血が、滲んで出てきているのだ。それは徐々に玉と玉がくっついていき、やがてボタボタと滴り始めた。次々と、次々と、血が滲む。ついには皮は血にまみれた。


 その皮に映るのは、己の顔。塗れた血が水面のように光を反射して、姿を映している。確かに麤皮は鏡となったのだ。


「──これは、俺の顔か?」


 だが血に映り込む己の顔、人の肌ではない。ゴツゴツとして、無機質。所々が欠けていて、不格好だった。まるで、石像となったように。


「足元を見ろ」


 言われて、男は足元を見る。足が石となっている。


「……うわあ‼︎」


 石の範囲は徐々に広がって行き、上へと伸びる。


「ひいっ! や、やめろ‼︎」


 太腿まで石となり、腰まで石となり、それでも止まらない。


「ガフ……ッ‼︎」


 肺の石化がゆるりと始まって、血を吹いた。腹に激痛も走る。


「お前のあるじは誰か。嘘偽りなく答えよ」


「ゴホッ、ゴポォ……ッ‼︎ ハァハァ、こ、怖い、怖い……ッ」


 体が急激に冷えていくのを感じる。凄まじい耳鳴りがする。


「早くせねば死ぬぞ。脳が固まれば蘇生することあたわず。奇跡が起きたとて障害も残ろう」


 石化は胃のあたりで止まり、今度は手の先から石となって行く。


「わ、分かった! 話すッ! か、閣下だ! 閣下に女を渡しているッ!」


「閣下とは誰か」


「アンデルセン伯だ‼︎」


 女官長が呟く。


「アンデルセン伯……」


「獅子侯か。亡領ぼうこくの主が何を目的に女を集める」


 男を首を横に振る。


「し、知らない」


 メリッサは男の額に指を当てた。すると、その場所から石化が始まる。


「ほ、本当ほんろうらないんだ‼︎」


 男の呂律が回らなくなる。手足も痙攣し始めた。目の焦点も合わない。


「──ふるってしまわれたぁ! 閣下はっはは狂ってしまわれたんだぁ!」


……?」


 メリッサは指を離した。


閣下はっはは、おんはあふめて、拷問ほうほんしている……。い、意図が見えないと、閣下の騎士きひたちは、言っていた……っ。へっ、へへっ……」


 脳の感情を抑制する機能が破壊されて、笑いながら涙を流している。口からは血と共に胃液が漏れる。


「領がほほんで、おかしくなっちまったんだぁ……」


 メリッサは顎に手を当て、少し考え込む。


「……獅子侯は何処にいる?」


「ナットウォルズの、廃城はいひょうを、使ふはっても良いと、マール伯から許可を、得た。復興ふっほうし、自分ひふんひほを、持とうとしている」


 ナットウォルズとはマール伯領北部にある丘陵地帯である。交通の要所になると注目こそされていたものの、大きな開発を行っては来なかった。と言うのも、あの辺りには竜の巣があるからだった。


「竜を倒して城を貰ったか。して、城を持ってどうする。マール伯に従属するのか」


「わ、わからない。5日後ふかほに、完成はんへいの披露式典ひひへんと、うはへがある。マール伯も、参列はんへふするから、悪い関係はんへいでは、ないと思う」


 □□


 天守キープ屋上、凹凸状の胸壁きょうへきに囲まれた場で、絨毯の上、メリッサと爺は将棋シャトランジに興じている。盤と駒を照らすのは4日目の月と夏の星空だった。


「ほう、狂ったと?」


 爺に問われる。メリッサはピールを左斜めに2歩進める。


「うん」


「ロングランドは領によって通貨もまちまちでありますれば、他領の姫を嫁に取るなどして、関係を固める事も好みませんからな。瘴気でくにを失えば、領民共々ロングランドに留まることは出来ますまい。難民は魔物の囮になるか、奴隷になるか。はてさて究極の二択にございまするな」


 爺は戦車ルフを動かして、メリッサの陣に入った。


「とは言えどもマール伯の信頼を得ているようだから、完全に気狂きちがいとなった訳では無いだろう」


 メリッサは駱駝ジャマルを動かしたが、防戦一方となっている。凡そ、あと十手程でメリッサはシャーを取られるだろう。


「真の狂人は、己を狂人とは認めず、他人をもあざむくものにございまする。獅子侯も表向きは騎士でありますれば、恐らく、マール伯はその事に気づいてはおりますまい」


 爺はファルズィーンを動かし、攻撃の手を緩めない。


「……」


 メリッサは手を止めて、考える。


「姫が長考とは珍しい。降参ですかな」


「……のう、爺。知っているか」


 爺は髭をさすって、メリッサを見る。


「獅子侯の率いる軍は"百獣軍"と呼ばれる。その所以ゆえんを知っているか」


「アドラー家の焼印でござろう。魔物や獣を操るというそれを用いて、獣の大隊を作りまする。瘴気が遠かった時代には、怒涛の勢いでいくつかのくにを攻め滅ぼしたとか」


「して、改めて爺に問う」


 メリッサは盤から目を離し、爺を見る。それは虎の眼であった。


「──人間は、獣か」


 爺は言う。


「これは異な事を申される。人も動物なれば、獣にございましょう」


 メリッサは胡座を組み直し、頬杖をついた。


「仮に、妾が盤の上で焼印を使えば、どうなる」


「……それは、こうなりましょうな」


 爺は盤上の駒を全て自分の方へ、くるりと向きを変える。象も馬も駱駝も、将も戦車も歩兵も、すなわち全てのがメリッサの手駒となった。爺のシャーには、誰1人とて味方がいない。それを見て、メリッサはふっと鼻で笑った。


「攻めてみようか」


「さて、何処いずこを攻められますかな」


「──アンデルセン伯が居る、ナットウォルズを攻める」


 メリッサは爺の歩兵ピヤーダを動かし、王を討ち取った。


「式典にはマール伯他、領の重鎮達が集まると言う。であれば全てを葬り、この領も焼印も我が物と出来よう。どう思う、爺」


 爺は盤を指でトントンと叩きながら答える。


くにを手にすれば故郷が広がるのは言わずもがな、焼印があれば不足する兵を補え、象や駱駝の投入を早められる。……姫は斯様に仰せか」


「左様」


「大義名分は如何なさる。聖女の行いとて、他領や正教会が黙ってはおりますまい」


「女を虐げて慰み者とする輩、それに賛同し商売とせんとするマール伯と諸侯を討ち取り、聖女として領に安寧を齎す」


「それは事実無根では、ごさいませぬか」


「全てが終わってからそういう事にすれば事実となろう」


 爺は笑って言う。


「なるほど。全く、姫は恐ろしゅうお方だ」


 メリッサもまた笑う。


「爺がそう育てたのだぞ」


「分かっておりまする。ならば故郷カタロニアの為に、老骨に鞭打って支度しましょうぞ」


 メリッサは討ち取った王の駒を摘んで星空に翳した。水晶で出来たそれは、降り注ぐ幾億の星を蓄えて、中に宇宙を宿した。


「出立は明朝とし、マール領を貰い受ける。──リトル・キャロルとライナス・レッドグレイヴには用心しろ」

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