第4話 サクラ咲く廃街

柔らかな風が吹く中、エタとスミレは歩き始めた。

 目的は以前幽霊に聞いたがいるであろう西方。

 あいも変わらず静まりきった草原が広がっていたが、2人の間には賑やかな会話の花が咲いていた。

「西に向かうと言っていましたが、この先は何があるんですか」

「元は市街地があったはずなんだが、大体植物に飲み込まれたからな。形を保っているのも何個かあると思うんだが」

「お店とか学校とかないですかね」

「知らねえな」

「あ……もしかして市街地ってあれですか」

 浮遊しているスミレが遠方に何か見つけたようだ。

 早足で近づくと閑散とした植物園がその様相を見せつけてきた。

「これは……すげえな」

「これ全部元々街だったでことですか」

「そうなんだろうな……」

 2人は唖然として変わり果てた街を見上げた。足元のアスファルトは、ハマスゲやカタビラに覆われほとんど色を見せなかった。戸建ては壁や屋根が風化してボロボロになっており、そこにツタが巻きついて既に自然と一体化している。鉄筋コンクリートのビルはかろうじて形を保っていたが、至る所に植物が突き出し屋上は大きな樹冠が広がっていた。建物としての形状を維持しているものはほとんど無く、クズが絡み付いたアーチは寂しそうに手を振っている。

「まあ入るか」

「入るんですか!?」

「ったり前だ、あの霊が言った捕食霊はここを拠点にしている可能性が高い」

「その心は?」

「道中、未練を果たせずに死んだ幽霊の残骸をいくつか見た。まるで核の部分を齧り取るような、汚ねえ食べ残しだ」

「いつの間に……」

「逃げ遅れたのか、ここに近づくにつれその数は増えてった」

「なるほどです、この街を縄張りにしているんですね」

「何にせよ俺は戦争の手がかりが欲しい。1人でも行くが……」

「もちろん私も付いて行きます!」

「良いだろう」

 植物に覆われた街に先に足をつけたのはエタだった。そのままズンズン踏みしめて行くのに置いていかれないよう、スミレも追従した。


 愛用品のナイフを右手に把持し、障害となる植物をバッサバッサと切り分けて行く。形を保っている建造物を探しては、中に何か残っていないかと隅々まで漁り尽くす。スミレは、成人男性が立ち入ると壊れてしまうような脆い部分を探索させている。もちろん、目の届く範囲で。

 街の中に入れば、些細なところまで植物が根を下ろしていることが分かる。家々を倒壊させていたツタやクズは葉が茶色く、蔦部分も細い。辺りの植物の色合いを見るにこの地域の季節はおそらく夏の終わりで止まっている。この土地の栄養はあまり芳しく無いようだ。

 それともう一つ気になることが……。

「エタ〜! ちょっとこっちに来てください」

 土をいじっている時にスミレからの呼びかけがあった。

「なんだ」

「この植物って何ですか?」

 スミレは馳せ参じたエタに窓のガラス片から生えている奇妙な植物を指差した。色味の少ない緑色の葉の見た目はメヒシバに似ている。しかし、メヒシバとは異なる髭根がガラス片に透けて見える。

「これはドコドコっつー雑草だな」

「どこどこ……」

「以前の世界では生えてなかった植物だ」

「どういうことですか?」

「戦争の影響で自然環境が変わっちまった。それで環境に適応するためにいろんな植物が進化だの変異だのしたわけだ。毒持ったり、他の植物食ったり、空飛ぶヤツもいる」

「お米の時に使った火の木の実もですか」

「そうだ。こいつぁどんな環境でも生えるゴキブリ魂の植物だ」

「それで何処何処ドコドコですか」

「食えねえからな」

「分かってますよ」

 冗談めいたことを言うエタにスミレはツッコミを入れる。まるで間を察したかのような緩い風が吹き荒ぶ。風に倣って草木がざわめく。

「……ところで、気になる点が一つあるんだが。何か分かるか」

「え、何でしょうか……」と、一面緑の廃墟を見回す。耳を済ましても何も聞こえない。

「すごい静かってことぐらいしか……」

「そう、静か過ぎんだ。街の前まで散在した幽霊の死体一つ無い」

「それじゃ、もしかして……」

「もしかしなくても捕食霊に核ごとさっぱり食われちまってるだろうな」

 突然、ズゴウ、と鋭い強風が2人の体を刺す。スミレは反射的にワンピースの裾を両手で抑えるが、エタは荒れ狂う自身の白髪を放って風が吹いた方向を睨みつける。

 目線の先には学校が建っていた。遠くから見ても分かるほど外形を保っており、校舎を覆い尽くす夥しい植物群は夜色の空と相まって不気味な雰囲気を醸し出している。

 そして学校の屋上を突き破り、天へ伸ばされる枝葉は広く、季節外れの花開く巨大な妖桜がここからでも確認できた。

 先の頸風で倒壊した建物もあるようだ。閑静な街道が一層開けた感じがする。

「風の送り主はあそこですか」

「知らねえが俺たちを誘ってんだろ」

 エタはおもむろに立ち上がって辺りを確認する。

 ここはおそらく街の中心地だろう。あそこの学校までは3キロくらい離れている。近所迷惑を避けたかったのか、中枢部より郊外を立地として選んだようだ。ここから学校の屋上が見えるということは、台地になっている可能性が高い。スミレあいつに見てきてもらうことも出来るが、敵陣のど真ん中でスミレあいつを野放しなんか絶対出来ない。かと言ってチンタラしている暇もねえ……。

「急に考え込んでどうしたんですか」

 のんきそうなスミレはエタに構ってほしいらしい。しかし、エタは意に介さず口に手を当てたまま思考を巡らしている。

「もう、考えがまとまらないなら私、一人で見てきますよ」

 その言葉を見過ごすほどエタは2人の空気に毒されていなかった。

「ダメだ!!」

 恐喝的な荒げた声で怒鳴りつける。

 無愛想な目には血がほとばしって、スミレを脅すような悪相を顔に貼り付ける。

 軽率な言動でエタを不快にさせてしまったと、スミレは反省するが、怒鳴った本人からの次の言葉は思いの外、弱々しかった。

「頼むから……俺から離れないでくれ……」

 エタは捨てられた子犬のように震えていた。

 クスリと微笑んだスミレはそんな彼を安心させんと頭をゆっくりと撫でる。

「大丈夫です。私はここに居ますよ。それと、不安にさせてごめんなさい」

「謝んじゃねえよ……」

 再びエタの顔が曇る。やはり心は脆いままだ。

「さあ、行きましょう。どうせ長居はできないのでしょう」

「……そうだな」

 腕で口元を拭い、ようやく立ち上がる。

 スミレに背中を押されながら、エタは学び舎の遺構へ歩き出した。


 *


 ーーはるか昔、かの大戦が起こるよりずっと昔、この地は豊穣の大地。其処そこそびえ立つ雄々しくも猛々しい堅固な城こそ下町に暮らす人々の安寧の象徴であった。城主も主人に仕える武士も人徳者で、食物も困らず、永劫の幸せが続くと思われた。

 しかし、千五百××年、隣国の戦に巻き込まれてしまった。人肌はただれ、絶叫が交錯し、安寧の象徴であった立派な城すら崩壊してしまった。戦火の火種は小国のこの地にまで酷く降り注ぎ、多くの者が地獄の空腹に喘ぎながら死亡した。

 その後、戦は終わりしばらくしてその地に学校を建設する計画が打ち出された。建設地はかつての城があった場所。いざ足を踏み入れると原因不明の飢餓感に襲われ、悪霊の噂が止まなかった。計画が頓挫してしまうことを恐れ、当時の僧侶に仰がれた判断は、

「植物には霊が宿る。慰霊として、桜を植えなさい。」

 勧告通りに桜を植え、念を押して鎮めの儀式も行った。すると、原因不明の飢餓感はいつの間にか消え去り、校舎の建設も事なきを得た。僧侶は慰霊の役割を担ったその桜を讃え、特別な名前を与えることにした。

 かつて聳え立った城閣の名前を取って、「巌咲」とーー。


 *


 学徒の城は物々しい雰囲気に包まれている。

 3つある校門と塀は全て形を成してなく、一番大きい正門から繋がるグラウンドは蔓草で荒れ放題になっていた。

 しかし、不気味な外観をものともせず、スミレはどうやらわくわくしている。

「これが学校ですか!」

「何がそんなに面白いんだ」

「だって私、学校というものに初めて来ましたから」

「お前生前は何してたんだ」

「ずっと部屋の中で読書したり、おままごとをしてましたよ」

 言葉を返さないまま、エタは敷地に踏み入れた。

 近くに来ても、学校はやはりしっかりと形を残していた。4階建の小学校は2、3、4、階に教室が並んでいる。窓ガラスは割れているが、壁や床に大きな外傷は見られず、細かい傷さえ直せば今すぐにでも使えそうだ。

 形すら残さず風化する建物が多い中、ここまで綺麗な外型が残っているのは珍しいなんてもんじゃ無い。何か仕掛けがあるのだろう。

 壁はツタやカズラなどのつる性植物が這い回っている。見える範囲の樹木は件のサクラ以外は見当たらず、校庭はドコドコやシロツメクサ、カタバミなどの雑草がひしめき合っている。膝より下の背なぶん足を取られる心配はない。

「桜は校舎の背後から生えてそうですね」

 スミレが肩に手を掛けて、サクラの方を眺めている。

 木の幹は校舎の裏に隠れていて見えないが、樹高だけでも圧倒される気配を漂わせている。上へ伸びる枝は天を掴もうとするように成長している。枝の先に満開に咲く鮮やかな薄紅色の花は、空の一部と見紛うほどまで広がり続けている。四季を知らない花弁は、上空を吹く風に当てられて絶えず舞い散り続けているが、その数が減殺されているようには見えない。この世界に相応しい、永遠に咲き続けるサクラだ。

「校舎の中に入るぞ」

「回り込めないんですか」

「敷地外からの雑草が入り込んで邪魔だ。それに捕食霊がいるなら都合がいい」

「分かりました 」

 エタは愛器を利き手に持ち、スミレは肩に纏わりつき、東側の入り口をくぐって行った。

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