第十七話「恋とジェット燃料」


がしゃんがしゃんがしゃんがしゃんっ


 深夜に〝林檎が齧られたフォン〟に届いた雨美うみちゃんからのメッセージ。実家に帰るという内容のメッセージに、独りで悩み込む前に、悠希ゆうきさんと亜希あきさんに相談しようと思い、家の玄関戸を叩いた。独りで悩んでいても仕方がない、頼れる人がいるなら頼ればいい。そう悠希さんにも、亜希さんにも、魚人のおっちゃんにも、雨美ちゃんにも、みんなに教わった。二階の窓が激しく開き「オイィッッ!!! 何時だと思ってんだあッあ゛!!? うっせぇえんだよォオオァアッ!!!」と天から降る悠希神の怒鳴り声。深夜に訪ねたのは悪いと思う。でも、あなたは玄関戸をもっと激しく叩くじゃないですか。


湖径こみちは、チャイムって文明の利器を知らんのかァアあ゛ッ!?」


 ごもっともです! 悠希さん、あなたも玄関のチャイムって文明の利器を知っていますか!?


〈 こみちさん、こんな時間にごめんなさい。

 今日、実家に電話をしたら…………その、私、田舎に帰る事になっちゃいました 〉


「これが石井ちゃんから送られてきたのか?」


 第三の選択戦線総司令部であるぼくの家に参謀兼戦略家、及び、女性陣代表の悠希さん、亜希さん姉妹を筆頭にあおいさんと絵深えみさんが集ってくれた。雨美ちゃんのメッセージに「いやあ。これは、これは深ーい意味がありますなっ」と、腕を組む悠希さん。ぼくには皆目見当のつかない意を解読し、女性陣四人衆で、ひそひそと話し合った結果、総合的な意見として伝えられたのは〝駄目だ、こりゃ〟であった。


「みんなっ、いきなり酷いっ!!」

「まあ……お姉さん達はな? 湖径にショックを与えないように言っているが」

「この文面からして大学を辞めると取れる、しかし」

「まあ、この手の〝別れましょう〟っていうのは定石よねえ」


 そう言って悠希さん、葵さん、亜希さんの順にため息を吐いていく。いや、待って、どうして? 確かに〝女性の気持ちと秋の空はなんとやら〟という言葉もあるけれど、今日、陽が沈むまでは仲良くしていたのに? いや、逆に激しく仲良くし過(夜の湖径は鬼)のか!?


「マジで何かあったんじゃねえの?」

「しかし、こんな急に大学を辞めなきゃいけないなんて、あるのですかっ?」

「はいっ、絵深さん! 不祥ながら、ここに大学を辞めろと、急に実家から圧を掛けられた者がいます、我が名は湖径っ! ヨロシクなっ!」


 ああ〜、という皆の反応に、ここに引っ越してきた理由なんか忘れられているんじゃないかという寂しさと、不安に襲われる。ただ、遊びに引っ越してきた訳じゃあないんですよ? でも……もしかしたら、雨美ちゃんにもそういう事が起こったのではないかという悲しさに、涙が出そうになる。窓から入ってくる冷えた夜の空気に、煙草の匂いが乗っているような気がした。ぼくは、


 ぼくは魚人のおっちゃんに〝逃げない〟と宣言したんだ。

 もう〝どうせ、ぼくだから〟なんて言わない。


「湖径さんは、どのように返信したのですか?」


 絵深さんの真剣でいて落ち着いた声に、よくぞ、聞いてくれました! と、本来なら全二十集に及ぶ『湖径機械音痴奇譚』をかいつまんで謳った。その気になる内容は、このメッセージに返信をしている間に朝となり、向かいの家々の瓦が朝陽に光る。そうなる前に、まず皆を頼る事にしたのだ。今までのように、悩みを抱えるのは良くないと判断した。確実に湖径は成長していたのである!


「He's a clunker and completely useless.」

「え……っと、絵深さん。発音が良過ぎて聞き取れなかった……です」

「ポンコツで使えねえ男だなって言ったんだよっ。多分なっ」

「こんな時に適当な事を言わないで下さい! 悠希さん!」

「いいえ、湖径さん。そう言ったんですよ?」


「「えっっ」」


 絵深さんは真顔、悠希さんは適当に言った翻訳が当たっていて驚き、口を開いている。そこに最年長お姉さんである亜希さんが、深淵のように深く、元素記号Rn、元素番号86、ラドンのような重いひと息を吐いた。


「湖径くん、石井さんから何か聞いたり、知っている事はある?」


 彼女、石井雨美。年齢は、ぼくのひとつ下で十九歳、文学科。元〝読書部〟部員。いつからか、ぼくに懐いていて、大学でよく一緒に過ごすようになった女の子。ぼくが廊下を歩いていると、必ず後ろから現れる……忍


「「「「忍者ッッ?」」」」

「そう忍者です。戸惑いますよね? ぼくも戸惑いました。ええ。でも、忍者です。〝くノ一〟です」


 四人の眼差しが冷たく痛い。それもそうだろう。この世の中に忍者なんて存在は………、


「湖径ぃ、言い難いんだが」

「はい。やっぱり、ぼくを……」

「湖径くんの家は……お金持ちなの?」

「うん? は?」


 悠希さん、亜希さん姉妹の見立てはこうだ。ぼくの実家がお金持ちだとして、その情報を元に、雨美ちゃんは近付いてきた。だけど……、


「お前、全然お金持ってないぢゃん」

「ゔっ!!」

「悠希さん! 言い方がありますよっ! 湖径くんが貧乏人で部屋に何も無くてアルバイトばかりで悠希さんによくラーメン食べさせてもらってるだなんて!!」

「ごふっ!!」

「いつもぼろぼろのスニーカーを履いていて、ださーい」

「葵さんに至ってはストレートに悪口!」


「「「「それで、ご実家は?」」」」




「ただの農家です……ケド」


 どうして、話の流れを作ってやったのに、損をしたみたいな空気が流れるんだろう………。やはり、実は貴族でしたとか、元財閥の家で、名前は湖径ではなく〝なんちゃら院 瑠輝るき〟です、とかみたいな流れを期待されていたのだろう。ぼくにそんな秘密があるわけがないじゃないか。だって、性格の悪い【ヲトブソラ】という作家が、そんな展開を書くと思っているのか……。うちの実家は代々農家。畑と田んぼが3㌶、貸し出している農耕地が5㌶。本家という事もあって広い土地を持ち、高度成長期で町が大きくなった時に建った住宅地のほとんどが、うちの土地で貸し出している。大手企業が主力工場の建設を打診してきた時も、祖父が〝代々守り抜いた大地だ〟として売却せず、十五年単位で契約を更新するという形で大人な決着をした。母方の実家は林業もしていて、小学生の時に友達と所有している山に遊びで入って、案の定、遭難。三日後に捜索隊に見つけられるという、コメディ体質はこの頃から発揮していましたよ。ええ。後々、母に聞かされたのだが、遭難すれば命の危険があるレベルの山々を所有しているとの事。そこに国道や高速道路、大きなトンネルが通っているから、そちらも大金が動いたらしい。さらに毎年、国や県からの〝色々なお金〟も落ちてくるとかなんとか。何故か市議会、町議会議員や町役場には親戚が多いし、父も元県議会議員だ。町の銀行や郵便局にまで親戚だらけ。生活に必要なところには従兄弟や親戚のおじさん、おばさん! どこに行っても「湖径ぼっちゃん、湖径ぼっちゃん」と、農家の長男の呪縛、農家の長男の呪縛! やはり、農家というだけで、いつもこんな扱いをされる、この世界は酷く寒い。たかが農家なのに!!


「湖径、結婚しよ?」

「はっ!!? 悠希さんアンタ既婚者でしょ!!」

「湖径くん、金や権力で態度を変えるような女は駄目だ。ところで秘密基地が建設出来る土地は貸し出してくれるのか?」

「あんな田舎で大掛かりな工事が始まったら、秘密どころじゃないですよっっ」


 さあ、みんな遊びはお終いにしましょう、という亜希さんの号令に「はあい」と静かになる。


 ぼく、もしかして……遊ばれている?

 ああ、そうか! 相談に乗ってもらっている人を間違えたんだな!

 今からでも遅くない。

 魚人のおっちゃんに相談しに行こうか。


「湖径くん、仮に石井さんが忍者だとしたら、彼女のご実家は伊賀ね」

「でも亜希さんっ、甲賀にも忍者はいたとされます。世界には忍者の末裔だと仰っている方がたくさんいます! わくわくです!」

「絵深さん、海外の方々には申し訳ないけれど、あれは偽物ね」

「そんなっ、葵さん! 私の同僚にも忍者の家系だっていうフランス人が!」


「「「うん、偽物だ。そりゃ」」」


 雨美ちゃんは日本にいる。そして、恐らく日本国籍。それと甲賀には〝女性の忍者〟がいないらいしい。甲賀流と呼ばれた甲賀を代表する忍者達の中には女性の忍者、所謂(ぼくの大好きな)〝くノ一〟は存在しない。一人の主君に仕え、普段、甲賀の人達は農業や行商で、全国の情報収集を行い工作活動に活かしていたとされる。一方で伊賀流と呼ばれた伊賀の忍者は、金銭で動く謂わば〝傭兵特殊部隊〟だったようだ。例え同郷の伊賀忍者同士であっても仕える者が違えば戦い、相手を殲滅するような戦闘集団だったと言われている。


「甲賀に製薬メーカーが多いのは、薬の扱いに長けていたからとか」

「まさかの忍者由来の製薬業」


 ぽんっ、と、絵深さんが手を叩き、何かを思い付いたらしい。


「行きましょう! 伊賀に!」

「えっ、いや……ぼくは、実家が農家で引くぐらいの土地持ちで金持ちなだけの貧乏学生なので交通費が……っ」

「大丈夫ですっ。わたくしにお任せ下さい!」


 そう言って絵深さんが〝林檎が齧られたフォン〟を取り出し、話し出す。ここに引越してき「Good evening. I hope ...」深さんの事は、よく分からな「Yes, that's right!」朝、ふらふらと出勤はす「this hour, it's an emergency!」つも、手を飛行機みたいに広げて正「Have my plane ready in 30 minutes!」謎過ぎる。ふわふわとしているし、この長屋一番の不思議系「I'll be flying light from now on.」は鋭いんだけど、どこかズレ「……just grab the money and shut them up.」だ。


「ねえ!? 悠希さんっ!!? 絵深さんはどこに電話してるんですかっ!!? 英語じゃないと駄目な所ってどこですかっ!!?」

「しっ、知るか!! 私を大きな問題になってきたっぽい事に巻き込むんじゃねえ! 湖径の問題だろ!!」

「酷い!!」


 やっぱり相談した相手を間違えたかもしれない。雨美ちゃんの〝メッセージ〟についての意見が聞きたかっただけなのに、話が壮大になっていく! ただ、普通にありそうな恋の相談のどこに、英語で連絡を取らなければいけない事情があるんだろうっ!?


「行きますよ!」

「はひッ!?」

「伊賀に!」

「ハヒッッ!!?」


ぱっぽー、ぴゅん! ぱっぽー、ぴゅん! ぱっぽー、


 絵深さんの指示通りに車を走らせる悠希さん。しかし、信号で停まるのは何度目だろう。車に乗ってから、全ての信号に引っ掛かっている気がする。信号が青になると、教習所の構内みたいな運転と速度感で走る。ちゃんと乗車前の点検及び前後左右車両下を指差し確認して、夏だけど猫バンバンもしていたし……。


「悠希……さん。もう少し〜……飛ばせませんかね?」

「何言ってんだ! 法定速度40キロだろうが!」

「いや……今、35キロ……を、少し切ってます………」

「法定速度40キロってのはなア! 危ないから40キロ以内で走ろうねーって事なんだぞ! 習ったろ!」


 いや、うん。そう……習ったけれど、先程までの展開とのギャップがある上に、ビュンビュンと物理的な速度差で追い抜いていく車って、こんなに怖いんだな。


パァ! パァ!! パァアアアアアッッ!!!


「悠希さん! 遅過ぎて、常識的な運転をしている車から煽り運転受けてますっ!」

「オラァッ! 手前ぇらッ!! 40キロ道路だぞ!! 何キロ出してんだ!!!」


 怒鳴り声は煽り運転常習者、言っている事は道路交通法に則った正論だ……「悠希さんっ、次の信号を左です!」と道案内をする絵深さんの声に「任せろッ!」とルームミラー、左サイドミラー、目視で左後方を確認して左ウィンカーを出し、少し車を左に寄せる。ゆうぅうう………っくり、曲がり始めたかと思うと停止し、こんな夜中に柴犬を散歩……柴犬に散歩させられているおじいちゃんが、横断歩道を渡り切るのを見届けた。


「ヨシ! 行くぜッ!」


ぶーーーぅん。


 今まで追突を受けたりした事は無いのだろうか? もしかして、嫌々運転している? こんなに遅く走っているから、後ろの車が苛々している……。すっごい渋滞にもなってら。夜中なのに。


「絵深さんよ」

「はいっ?」

「本当に……ここから入るのか?」

「はい? はい、そうですよ」


 何か問題でもありますか? と、小首を傾げる絵深さんと〝本当に大丈夫か?〟と思うぼくら。悠希さんが停車しているのは山椒魚町から、そう遠くないローカル空港……。その関係者入り口の厳重な門の前………から、少し離れたところ。屈強な警備員さんが、こちらを睨んでいる。


「進んで下さい? 悠希さん?」

「分かった! 湖径、運転交代だッ!」

「ええっ、どうしてっ!?」

「元々、これはお前の問題だろおっ!」


 渋々、運転席に乗り込む前にシートを思いっきり後ろに、高さを思いっきり下げ、ハンドル位置を思いっきり奥にした。ゆっくり敵意は無いですよーっと、ゲートに進むも、怪しまれているものは、怪しまれている。急にゲート前で停まり五分間も車内で揉める人間が乗る車なんだから……。


「こんばんは」

「こ、こんばーわー」

「ここは関係者入り口ですが、用件は?」

「あ、あーと……? え、絵深さんっ!!?」


 うぃーん、と開く後部の窓と「わたくしです」との一言で大きな警備員が小さくなる。


「準備は出来ているとの事です。どうぞ、奥へ」

「ご苦労様です」


 ぼくを含め、他の三人は無表情に飛行機のシートに座り固まっていた。コクピットから聞こえてくる絵深さんの声。


『Sansyo-Fish Delivery,Oneko-3 Air 1.』

「今、何が起きてるんだ? 湖径?」

『……roger.Cleard to Kansai International Airport via KIX departure,』

「理解はしていません……です。はい。ただ飛行機に搭乗し、着席したと認識してます」


 すると亜希さんが「絵深さんって、飛行機の操縦免許持っているのよ。あれ? 知らないの?」とさらり言い「おねぃちゃあわん! そんなの聞いた事ないよっ! どうして、妹の私に教えてくれなかったのっ?(きゅるりん☆)」と、いつもの悠希さんが可愛い妹(だと思い込んでいる)発言が飛び出した。ふと、ぼくの脳裏によぎる山椒魚町四丁目の情景。


「あの〜……もしかして、絵深さんって飛行機で通勤してます?」

「んな訳ねえだろ! マンガじゃねえんだよ、この馬鹿哲学者が!」

「いや、だって! 絵深さんが出掛ける時と帰ってくる時に……」


 山椒魚町四丁目の上をナメるように低空飛行する飛行機。あれは家を出たり帰ってきたりする家族が、何となく幅寄せしたり、クラクションを鳴らしてくるアレでは?


『Runway 03 Cleared for take-off.Oneko-3 Air 1.』

「確かに……絵深さんならやりかねん……」

「皆さん! ベルトは閉めましたかっ? 飛びますよーっ!」

「はいっ、はい!」


『Contact Departure,Oneko-3 Air 1.Good evening♪』


 飛べ! 長屋の皆を乗せて、たかがイチ市民、小市民、普通の大学生である、ぼくの恋の為に! 雨美ちゃんとの恋を前に、ジェット燃料価格の高騰なんて関係無いッ!!


 ……と、思う!!!


この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。

第十七話、終わる。

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