懸念
良い話しと良くない話し。どっちを先に聞きたいか、そう三国に問われ、冬亜は迷わず「良いはなし」と、返した。
先に悪い方を聞くと、その内容次第であとの話しが頭に入ってこないかもしれないからだ。
「お姉さんのことだけど、いい方向に行くかも。俺の元同期の知り合いが、在留資格以外にも、非正規滞在外国人達たちの相談できる団体にいてさ、そこで沢山の外国人相手に相談相手になっている。お姉さんのことも話したら、協力してくれることになったよ」
潜めた声で始まった『良い話』は、以前も利用したファミレスで、向かいに座る三国から聞かされた。
「……じゃあシュエリンは日本に住めるってことか」
「ああ。発達障がいのこともあるし、現状のことも話した。そしたらそこの団体がお姉さんを受け入れてくれる施設を探してくれるって話になった」
「じゃあ、シュエリンは中国に……あのクソ家族の元に帰らなくていいんだな」
「多分大丈夫だろう。まだまだ日本では、不法滞在者イコール犯罪者のイメージが強いが、その施設は、過去に外国人同士でも日本で結婚し、非正規滞在外国人家族を在留できるようにした実績もある。この団体は信頼できるよ。彼らを管理の対象とみるだけじゃなく人として社会に溶け込めるようにしたい、そう思って活動している団体なんだ。だから安心できると俺は思ってる」
三国の自信ありげな言葉を聞き、冬亜は胸を撫で下ろした。
今すぐ姉と一緒に住むことは出来ない。でも、自分が社会人になり、檜垣の家を出れば姉弟二人で暮らせる日が来る。それが夢ではなく、現実になり得ると分かり、冬亜は日本に来て初めて嬉しさを実感した。
「……ありがとう三国さん。あんたに出会えてよかった」
自然と口にしていた、言いなれない言葉は、音にするとこそばゆくて気恥ずかしい。 三国の顔を真っ直ぐ見ることができずに、冬亜は俯いた。
「俺が動くのは前も言ったけど、罪滅ぼしだ。関係のない人たちが俺の身代わりになって命を奪われてしまったんだ……。今、元嫁や息子が生きてることに感謝もするし、申し訳なくも思っている。俺がこうやって生かされているのもな。だからこそ、できるなら犯人を見つけて法で裁きたい。それがせめてもの償いだ」
三国が二杯目の珈琲を口にし、ポツリと言った。
「人違いで殺されたなんて、生き残った被害者は普通だったら恨むよな。犯人に対しても、代わりに生き残ったあんたらのことも」
「水久里さんの──冬亜君の友達か……」
「友達、じゃない。けど、まあそうだな。俺、この間あいつに会ったとき、つい言っちまったんだ、お前の家族は身代わりに殺されたんだって」
「ちょ、冬亜君、それは言わない約束じゃなかったか! その子は君と同い年でまだ未熟なんだ。そんな話しを聞いて、平静でなんていられないぞ」
思わず叫びかけた三国が、慌てて声を抑えた。夕食前で店内は僅かな客しかいないとはいえ、一斉に冬亜たちの席へと視線は注がれた。だがそれはすぐ逸らされ、我関せずと自らの世界に戻って行く。
他人の厄介ごとに関わりたくないのがひしひしと伝わる、嫌な空気だ。
「やっぱマズかったか」
「マズイさっ。その残された息子さん、話を聞いて大丈夫だったか。もしかして危険なこと考えたりしてない──」
「大丈夫だ。あいつは聖人君子か知らないけど、復讐したら不幸はずっと続くとか、つまらないこと言ってやがった。憎む心も自分が先に忘れるんだとさ」
両手のひらを上に向け、肩を竦めて冬亜は戯けた口調で言う。その話に三国は大袈裟ではない安堵の溜息を吐いていた。
「そうか……。きっと水久里君には、今大切にしたい人がいるんだろう。その人を悲しませるようなことはしたくないんだな」
「大切な人、ね。俺にはそんな人間は一人だけだ。それに俺はまっとうな人間じゃない。そりゃそうだよな。元の父親も、今の父親もハイエナのような人間なんだ、葵葉みたいに真っ直ぐ綺麗に育つわけ……ない」
思いっきり吸引したストローを、コーコーと空気の音をさせながら、冬亜は口に咥えたままのストローを上下に振って雫を飛ばした。
「ガキみたいなことやめろ。でも君も檜垣がハイエナってわかるんだ。それが分かってりゃ、この先は普通に生きてけるさ」
「普通ね……。あ、それより良くない方の話って何?」
忘れていた問いかけに、三国の双眸に翳がさす。
「里古さんから聞いてるかも知れないが、檜垣が海外の組織と繋がっている証拠は手に入らなかったそうだ。どのブローカーに君ら姉弟を売ったのか、それに檜垣がどこまで関与してるのか証拠もない」
「ああ、そう言ってたな」
冬亜が自分の姉の子どもだと分かったあと、二人だけで家にいるときの里古は人が変わったように明るかった。
失った姉の忘形見とでも思っているのか、自分と里古との間に生まれた温度差に歯が浮きそうだった。
「相手があんなにデカいと、刑事でもない、ど素人の俺には太刀打ちできない。思い知らされたよ」
「何だ、じゃあ結局あいつを陥れるネタはないってことか。三国さんはそれで平気なのか。仕事を辞めされられ、家族も失った。あいつのことを恨んでないのか。それとも葵葉と同じで、復讐は何も生まないって綺麗事でも言うのか」
「いや……復讐はしたい。でも俺も君の友人の気持ちと同じなんだ。ただ、この件だけはやり遂げたい。水久里家に申し訳ない気持ちもあるし、真面目に勤めていた仕事で陥れられた悔しさもある。それに復讐の方法は他にもある。檜垣がしてきたこと、やってることを法律やメディアに託すことだ。水久里家の人たちを殺害した実行犯はきっともう、この世にはいないだろうけどさ」
「死んでるのか? なんでそう言い切れるんだ」
冬亜の質問に対し、三国がポケットから出した新聞の切り抜きをテーブルの上に置いた。
「これ、少し前の記事だけど、お姉さんのことを頼んだ施設の人が見せてくれたんだ。その人は熱心に調べててね、不法滞在の末、悪烈な環境で働かせている企業を警察に報告したりとかもしてる」
「ふーん。で、この記事はそれとどう関係あんの。身元不明の外国人男性、遺体で発見って。この人もその団体に世話になってたとか」
「そうだよ、感がいいな冬亜君。その遺体になった人が窓口に相談しにきたことがあって、それを覚えていて記事を保管してたそうだ」
冬亜は記事を手にし、新聞の片隅にしか載らないような小さな字面を辿った。名前も年齢も国籍も不明の外国人男性。彼の所持品は僅かな日本円だけだったと記載がある。
「この外国人が殺人犯かどうかの証拠はない。けど十中八九、実行犯はこの記事のように国籍不明の人間だろう。日本で暮らせるようにしてやるとか、大金をチラつかされたかだな」
「で、やることやれば殺して証拠隠滅か。死人に口なし、だもんな。檜垣が手を下したことも永遠に表には出ない。それにあいつも馬鹿じゃないから、もう一度三国さんらを襲わせるとヤバいと思ってるだろうしな」
「そうだな。また不法滞在者を使って殺人を犯させても、その人間を通じて自分に辿り付くと困るだろう。彼ら外国人を低賃金で雇用している会社も、檜垣に繋がるかもしれない。二度も外国人を使って危険なことはしないはずだ」
やるせない表情を全面に出す三国が、カップを持ったまま首を左右に振ってため息を吐く。
「じゃあもう何もすることはないのか?」
「檜垣に直接的な物的証拠はない。でも吉織んとこの研究員の話は中々面白かった」
「研究員?」
「ああ。吉織の会社は、そんじょそこらのブラック企業顔負けの会社だった」
「何それ、その社員の愚痴でも聞いたの?」
「ハハハ。まあそうだな。でも彼──芳賀さんは俺に大事なものを預けてくれた。俺はそれを警察に届けたんだ。檜垣が子どもを見殺しにして、俺を狙っていたことも全てな。ま、警察が信用したかどうかはわからないけどね」
「何、大事なモノって」
「吉織は新薬の研究に治験者を必要としていた。それも一人や二人ではなく結構な人数をな。加えて新薬を使用するのには、その疾病の症状がないと意味がない」
「症状って、癌とか?」
「いいや、鬱病──いや認知症の薬か」
「へえ、じゃあボケた年寄りばっか集めたのか」
軽口で言う冬亜に怪訝な顔をしつつ、三国が続きを話してくれる。
「そんな症状の人間が大勢、都合よく集まらない。芳賀さんの話では、吉織が十数名の健康な不法滞在者に、まず症状を引き起こさせたらしい」
「へえ、どうやって?」
「未研究の危険な薬を使って精神に異常を起こさせ、そのあとに、窓もない密閉された空間に閉じ込めて正常な意識を壊した……とかさ。それで
三国の話を聞き、さすがに冬亜も背筋をゾッとさせた。そうまでして薬を作って金儲けがしたいのかと。
「新薬が完成し、国に認められたら、需要は日本意外にまで及ぶ。ましてや他の製薬会社を出し抜けば、市場では引く手数多だ。でも芳賀さんはそれを知って怖くなったそうだ。同僚に相談もできず、一人でずっと抱えてたらしい」
「で、そこに都合よく三国さんが現れたのか」
「都合よくかどうかは置いといて、彼は証拠になり得る動画を撮ったものの、それを持て余してたんだ。俺の魂胆を察した芳賀さんに素性を話したら、彼はその証拠を俺に託してくれた。で、警察に行って全てを話した。けど……」
「警察が信用してるかわからない?」
「そうだ。医者も言い含められる相手だ。警察内にも檜垣から甘い汁を吸ってる人間が存在しているかも知れない。だからこれは賭けなんだ。一応、保険もかけたしな」
「保険?」
「そう、保険。警察全部を信用できないからな。知り合いのツテで週刊誌にネタを託した。マスコミが騒げば、それを見て警察がどうするか。ま、こっちもカケだけどな」
「やっぱ、またあんた命狙われるんじゃね?」
冬亜の一言に、三国のこめかみがピクリと反応した。
「……かもな」
「いいの?」
再びカップを口に近づけた三国が中身のないことに気付き、テーブルに戻しながら、「一度死にかけたしな」と、笑っている。
彼のその言葉や表情が、どこか懺悔のように見えたのは考えすぎかと頭の中で、ないないと手で払った。
「夜道は一人で歩くなよな」
「へえ、心配してくれるんだ。俺に死なれちゃ困るってか。でも大丈夫だ、俺に何かあっても、君のお姉さんのことは心配いらない。心強い団体に重々頼んでるから」
「そんなこと──いや、まあ、その……助かる……よ」
助かる……か。
他人に縋るような言葉を口にするなんて、これまで想像もしていなかった。
自分の不幸な生い立ちを基準に考え、一方的に日本人をぬるい人種だと、絶望のどん底を知らない連中だと思ってきた。
だってそうだろ?
飛び抜けた考えや行動をすれば、異端だと枠から弾かれる。俗にいう『イジメ』がそうだ。誰かを標的にし、大した理由もないのに攻撃する。
何も成さず、自分のことしか考えないくせに。それを、周りで眺めているだけの人間も同罪だ。人と同じでないと不安になり、同系色に染まることで安心する。そんな性質から成り立っているような人種に、お前らは愚かなんだ教えてやった。自分の言葉がきっかけで心が崩壊したり、命を落とすまでにもなることを。それが滑稽で、落ちていく姿を見て清々していた。
この国でぬくぬくと生きてきた奴らは、言葉で誘導するだけで不幸の始まりとは知らずに簡単にこちらの思惑通りに動いてくれた。
いいきみだ……そう何度も思った。
でも今の自分はどうだ?
大事な姉を愚かだと罵った人種に助けてもらい、感謝して礼まで言った。
近い未来か、もっと先に、いつか誰かが気付くかも知れない、
『報復』は、回り回って自分へと返ってくるんだと。
難なく自分が非を逃れたとしても、大切な家族──シュエリンに『報復』は牙を剥くかもしれない……。
仕掛けた行為が大きければ大きいほど、陥れられた相手の傷が深けりゃ深いほど、自分に跳ね返ってくる禍いも大きく深い。それが自分にならまだしも、大切な人に降りかかってしまったら……。
以前、葵葉が言っていた言葉は、なんて言ったか……。ことわざみたいな言葉は……。
まあ、今度会った時に聞けば──って、俺はあいつに会うのか? 学校以外で? それとも……会いたいのか……。
葵葉の微笑む顔が浮かぶと、どこかホッとしている自分に気付く。
一緒に図書館へ行ったあの日を境に、監視されているような不安定な感覚が拭えなくても、そこに含まれる、背筋が凍りつくような視線や空気を時折感じても、葵葉のことを思い出すと、安定剤を摂取したように落ち着くことができた。
けれど、この怯えの原因がもし誰かからの『報復』だったら……。
沼の中からボコボコと浮かんでくる猜疑心から逃げるよう、冬亜は心の中で葵葉の名前を呟いていた。
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