大和
「大和にい、起き──えっ! ど、どうしたの、もう起きてたのっ」
いつものように大和の部屋を勢いよく開けた葵葉は、ベットの側で既に身支度を終えている大和に一驚した。
「はよっ。どうだ、俺だってやれば出来るだろっ」
シルバーのフレームを所定の位置に装着しながら、自慢げに大和が片側の口角を上げた。
「へえー、大和にいも早起き出来たんだ。それなら明日からは起こさなくていいよな」
「いや、それは困る」
「何でだよ。もう一人で起きれるだろ──って、この会話、俺小学生としてんの?」
呆れ顔をワザと協調させながら、葵葉は両手のひらを上に向け、肩を竦めて見せた。
「それは葵葉に起こしてもらわないと、俺の一日が始まらないからだ」
「何だよそれ。俺は大和にいの目覚まし時計じゃないっての。もー、用意出来てるなら俺行くよ。早くメシ食わないと遅刻す──」
「いやー、今日から葵葉と一緒に出勤出来るかと思うと、嬉しくて早起きしちゃったんだよなー」
大和の浮かれた声で言葉を遮られると、部屋から出ようとした足がピタリと止まった。
「もしかして、俺が今日バイト初日だからって早起きしたの? で、なに、その一緒に出勤って……」
「そりゃそうだろ。可愛い従兄弟の初出勤となれば、おちおち寝てなんていられないからな。お前と肩並べて会社行くと思うと、昨夜は興奮して寝れなかったし」
鼻歌混じりにネクタイを首にかける大和を一瞥すると、葵葉は眉頭をググッと眉間に寄せた。
「あー、はいはい。お世話かけますね」
辟易した顔を残しながら上機嫌の大和を残し、葵葉は先に一階のリビングに向かった。
目に見えて葵葉を甘やかすのも、心配してくれる態度もずっと変わらない。本当の兄のように頼れる、大和はそんな存在だ。
水畑の家に引き取られてから、葵葉に対する大和の態度は極上に甘かった。
一人っ子の大和が幼い頃から兄弟が、それも特に弟が欲しがっていたと、水畑の叔母さんに聞いたことがあった。
葵葉の生みの母が生きていた頃は、水畑の家とも交流があり、よく大和に遊んでもらった記憶もある。
叔母が実の妹、葵葉の生みの母を失くしてからも、暫く付き合いは続いてはいた。だが、父が義母と再婚してからは、水畑家の人間とは次第と疎遠になり、会う機会はぐんと減ってしまった。
数年ぶりに再開したのは、皮肉にも家族が殺された日だった。
涙を流すことすら出来ずにいた葵葉の側に、ずっと寄り添ってくれたのは大学生になっていた大和だった。
養護施設に行くしかなかった葵葉を、水畑の両親は訃報を聞いてから引き取ることを既に決めていたらしい。だが、それを聞く前に、大和の方から一緒に暮らそうと言ってくれた。その言葉が幼かった葵葉にとって、どれほど嬉しかったことか……。
一生かけても恩返ししないと……。
朝食の配膳をしながら、陽だまりのような家で過ごせていることに心から感謝をしていた。だからこそ、自分で出来ることは自分でやりたい。その第一歩が、今日から始まるバイトだ。
「おっ、ちゃんと俺の分も用意してくれてるじゃん。さすが、俺のかわいい葵葉だ」
「何言ってんだよ、叔母さんがちゃんと作ってくれてたんだ。いっつも適当にしか食べないけど、今日は絶対早起きしてちゃんと食べるはずだからって」
「さすが母上、俺のことよくわかってらっしゃる」
ネクタイを絞め、すっかり用意を終えた大和がわざとらしく母親を褒めると、「あんたは単純だからね」と、洗面所から戻って来た叔母が褒言葉をあっさり《翻》して不敵な笑みを浮かべている。
「だって嬉しいだろ。あの小さかった葵葉が働きに行くんだから。心配するやら嬉しいやらで、もう、ここ最近寝不足だったわ」
「ったく。ブラコンも程々にしてさっさと食べちゃって。母さんも家のことしたらパートに行くんだから」
「叔母さん、俺洗い物やっとくよ」
率先して家事の一部でも担おうと、葵葉は白飯を頬張り言ったものの、笑顔の彼女に首を左右に振られ、背中を少々強めに叩かれた。
「葵ちゃん、あんたは今日からバイト。初日に遅刻したらどうすんの。それに、もっと子どもらしく甘えなさい」
負担にならないよう、迷惑をかけないよう、それを心掛けて過ごしてきた。でもそんなことは不要なんだと、これまで何度も言ってくれた人達。
それはとても感謝しているけれど、『目指せ、自立』と、掲げた葵葉の目標は揺るぎないものだった。
「母さんの言う通りだぞ、葵葉。もっと甘えろ。でも俺の世話は手を抜くな──痛ってっ」
最後まで言い終わらないうちに、後頭部を思いっきり叩かれ、大和が背後にいた自分の母親を恨めしそうに見上げている。
「いい大人が高校生に世話焼かさないっ。ほら、もう七時半よ、二人共さっさと済ませちゃって」
手のひらをパンパンと叩いて煽りながら、水畑家の軍師は二人に喝を入れた。
図体のデカい子ども達は朝食を早々に済ませると、先に終えた葵葉は洗面所にダッシュした。
鏡を覗き込みながら、相変わらずの癖っ毛が耳の横で半円を描いている。そこを指で摘んで溜息を吐くと、何度もその髪を濡らしては修正を試みる。
「この髪が俺を童顔に見せるんだ。冬亜みたいにサラサラな黒髪だったら、もっと大人っぽくみられるのに」
「冬亜って?」
「わっ! 大和にい、急に後ろに立つなよ」
最終チェックに余念がない顔の横から、ヌっと現れた大和を鏡越しに睨むと、葵葉は二人が鏡に映るように少し体の位置をずらした。
「だから冬亜って誰なんだ。男か女か?」
葵葉の肩に甘えるよう顎を乗せてくる大和の視線から少し外し、「男。友達だよ」と、言ったが、そう思っているのは自分だけだろうなと眉が八の字になる。
葵葉の僅かな仕草を見抜いたのか、大和が跳ねる毛先ごと耳朶に息を吹きかけてきた。
「ひゃっ! 何す──」
「ほら、行くぞ。隠岐さんは変な人だけど、時間には厳しいからな」
耳から受けた刺激に背筋をゾワっと反応させ、反撃の証に葵葉が大和の脛を足蹴にした。
「分かってる。俺、あの人にめっちゃ汗の匂い嗅がれたし」
「それマジか! ったくあの人ホント変態だからな。マジで気をつけろよ。お前ボーッとしてると、隠岐さんのおもちゃにされるからな」
「はいはい。気をつけまーす」
手のひらをはためかせ、軽口の返事を残して葵葉は洗面所を離れた。
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