第8話 アイドルとマネージャー

 「えっと…」


 三浦蓮に手を掴まれたまま、どうすればいいのかわからなくなっていた。うつむいたまま、彼は一向に離す気配もない。このまま手を引っ張って、立ち上がるのを手助けしてほしいのだろうか?いや、いくら疲れているからと言って、自分で立ち上がることができないはずはない。

 私の手を握る彼の右手はとても優しくて、考えれば考えるほど、皮膚がピリピリしてくる。


 「あの…」


 そういった瞬間、掴まれていた手をぐっと引き寄せられて、私は体勢を崩して膝をついてしまった。よろけた私を支えるように、左手で肩をおさえられる。


 なんだ、これは。いったい何が起きている…?


 「三森さん…」

 「…はい」


 うつむいていた彼がゆっくりと視線を上げて、目が合った。彼の柔らかい鼻息も聞こえてしまうほどに近づいていた。肩から伝わる彼の手の熱が、鼓動をさらに加速させる。


 「三森さん、好きになる」


 私の両肩を支えて立ち上がらせると、チョコレートを受け取って「ありがとう」と言って彼は去っていった。呆然としてしばらく動けなかった私は、鏡に映った自分の顔と見つめあっていた。



 集中できないまま仕事を終え、帰りの電車で窓に映る自分を見つめながら、朝の出来事を思い返した。

 あれはいったいなんだったんだろう。「好き」ってどういうこと?私に気があるっていうことなの?

 でも彼はアイドルだ。恋愛なんかにかまけているはずがない。

 いや、でも、アイドルをしながら結婚する人だってたくさんいる。プライベートの時間を好きにする権利は彼らにもある。恋愛をすることだって、あっていいはずだ。

 万が一そうだとしても、私が相手…?

 確かに前世よりも可愛くなっているかもしれないけど、それでも手の届かない存在であることには変わりない。

 冷やかし…?いや、そんなことをする人ではない。


 なんだ…

 なんだったんだ。


 いくら考えても答えが出ないどころか、鼓動が早くなるばかりだった。考えてみれば、前世でほとんど恋愛経験もなく、こんなドキドキ展開は初めてだ。対処法はおろか、現実に起こることだとすら想像していなかった。画面越しのアイドルが「好き」と言ってくれるだけで十分幸せだったのに、これでは心臓が持たない。


 仕事仲間として真意を確認したほうがいいのか、何事もなかったように過ごした方がいいのか…。

 本人に聞いてみたとして、私の勘違いだとしたら恥ずかしすぎるし、こんなことで彼の大切な時間を奪ってしまうのも不本意だ。


 忘れよう。

 というか、彼にそんなつもりはない。


 アイドル活動をしていると、ファンの子たちを喜ばせるために人間としての魅力が増していく。その魅力に私が勝手に勘違いしているだけだ。前世でも、彼らは見知らぬ私に「好き」と何度も言ってくれた。その「好き」と、今回の「好き」は同じだ。

 ただ人を喜ばせたいという彼の人間力から出た言動だったのだ。


 ようやく落ち着いてくると、自分のやるべきことが見えてきた。彼らと話をしなければ。三浦蓮のように、本当はやりたいことがあるのにできていないメンバーもいるかもしれない。彼らの望みを叶えるのも、マネージャーの仕事だ。


 よし、私のやるべきことは決まった。


 三浦蓮の手の柔らかさと温かさを思い出しながら、明日にはすべて忘れようと自分に誓い、眠りに落ちた。

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