第43話 皇帝陛下の寵愛

◆◆◆◆◆◆


「マリスはどこへ行った」


 シャーロットと踊ったあとヴェルハルトはマリスを探していた。

 大広間を探して回ったが姿が見えない……。

 ヴェルハルトとしてはマリスと踊りたいのだ。

 今夜のマリスはとても綺麗だった。いつも綺麗だが、今夜は普段とは違う雰囲気でまた良いものだった。

 夜会中はずっと隣にいてほしい。自慢して歩きたい。


(……いや、見せびらかすのはよくないか……。マリスに近づく不届き者が現われるかもしれない……)


 心配だ……。

 だが自慢したい……。


(……いや、自慢はかっこよくないか? 信条に反する……。だが少しくらいいいだろ、自慢したい……)


 心配だ。だが自慢したい。心配だ。だが自慢したい。

 悩ましいところだ。


「陛下、陛下、お待ちください!」


 踊りが終わったというのにシャーロットがついて回ってくる。

 ヴェルハルトは内心苛立ちを覚えながらも振り返った。


「なんの用だ。もう曲は終わっただろ」

「マリス様をお探しですか? でもお姿が見えない様子。疲れて部屋に戻られたんじゃないかしら」

「ならば俺も戻る」

「ま、待ってくださいっ」


 シャーロットは慌てて引き止めた。

 せっかくマリスがいなくなったのに好機を逃したくない。

 シャーロットは陛下の袖の端をぎゅっと握りしめた。無礼は承知だ。でも袖の端をぎゅっと握りしめ、いじらしさを演出する。そして陛下の腕に顔をうずめて涙声で訴える。


「陛下、今宵はどうか、どうかわたくしを一人にしないでください。最近の陛下は後宮にも足を運ばれず、わたくし寂しくて、寂しくて……っ」


 弱々しくそう言ってシャーロットはゆっくり顔をあげる。

 男なら誰もが手を差し伸べたくなるような切なげな表情でヴェルハルトを見つめたが。


「離せ。誰が俺に触れていいと許可した」


 冷ややかなヴェルハルトの声。

 そしてシャーロットを見下ろす目は睥睨へいげいの目。


「あっ、……陛下」


 シャーロットの背筋に冷たい汗がつたう。

 掴んでいた袖を離し、一歩、二歩と後ずさった。


「も、申しわけありません。……でも、わたくしは……」

「お前と踊ったのはマリスが願ったからだ。マリスに感謝しろ」

「っ……」


 シャーロットが唇を噛みしめて青褪めた。

 だが、ヴェルハルトの目は冷ややかなままだった。

 そもそもヴェルハルトがシャーロットと踊ったのはマリスに願われたからだ。そうでなければ踊っていない。

 本当はマリスの願いといえど拒んでしまいたかったが、『私のためを思うなら』と乞われてしまえばヴェルハルトは従うしかない。

 マリスが後宮に気をつかう気持ちは分からないではなかったのだ。

 そんな細やかな気遣いができるマリスが愛おしい。マリスの慈悲深さは不遇ふぐうな子どもたちだけでなく、後宮で暮らす女たちにも注がれるのかと。さすが俺が惚れた相手だと誇らしくすらある。


(マリスはどこに行ったんだ。マリスの願いを叶えたのだから、マリスだって俺の望みを聞くべきだろう。そろそろ二人きりになりたいんだが……)


 もはやヴェルハルトの視界にシャーロットは入っていない。

 周囲を見回してマリスの姿を探している。

 そんなヴェルハルトにシャーロットは怒りがこみあげた。何年も後宮でヴェルハルトを愛し続けたというのに、あっさり奪われてしまったのだから。


「陛下っ、陛下……! どうしてですか!?」


 シャーロットが大きな声で嘆いた。

 その声に周囲の人たちが何ごとかと振り返る。

 しかし激昂したシャーロットの視界には入っていない。


「あんな人質の男なんかよりも私のほうが陛下を愛しています! わたくしは同盟国の王女シャーロット、私のほうが陛下に相応しいはずですっ……!!」


 シャーロットは叫ぶように訴えた。

 だがヴェルハルトの心には響かない。


「お前が俺を愛するのは自由だ。好きにしろ。だが、俺がマリスを愛するのも自由だ」

「で、でもわたくしは同盟国で、陛下に相応しくてっ……!」


「お前は勘違いをしている」


「……か、かんちがい?」

「俺に相応しいかいなかを決めるのは俺だ。お前でもなければ他国の王や女王でもない」

「しかし……」

「俺は皇帝だ。法も秩序ちつじょ退しりぞけるぞ」

「っ、陛下……」


 シャーロットは愕然とした。

 突きつけられた言葉に打ちのめされたのだ。


 ヴェルハルトはもう用はないとばかりに立ち去ろうとしたが、その前にグレゴワールが姿を見せた。


「取り込み中に悪いが火急の用件だ。失礼するよ」

「なんの用だ。俺はマリスを探している。見かけなかったか?」

「そのマリス殿に関わるかもしれない件だ」


 不穏さを感じさせたグレゴワールにヴェルハルトの顔が険しくなる。


「なにがあった」

「例の人身売買組織に動きがあった。どうやら国境をすり抜けたのも、帝国内から手引きがあったようだ」

「なんだと?」


 ヴェルハルトがスッと目を据わらせた。

 グレゴワールは厳しい顔で報告を続ける。


「帝国に侵入した犯罪組織が今まで見つからなかったのは、連中が貴族の迎賓館に潜んでいたからだよ」

「なるほど、貴族がらみというわけか」

「そういうことだ。しかも手引きした者とかくまった者は別だ。この一件には複数の貴族が絡んでいると見て間違いないだろう。そして潜伏せんぷくしていた場所からこんな物が見つかったよ」


 そう言ってグレゴワールはハンカチの小さな包みを取りだした。

 包みをゆっくり開いて、中から出てきたのはマリスのブローチ。そう、エヴァンがマリスに贈ったものだ。


「これはマリスのブローチ……。まさかっ」

「そのまさかだよ。このブローチはヘデルマリアの迎賓館で見つかった。だが、ヘデルマリアが人身売買組織を帝国に手引きするのは不可能だ」

「なるほど、複数関わっているとはそういうことか」


 ヴェルハルトは黙り込む。

 今や夜会を盛り上げていた楽団の演奏は止まり、大広間にいる者は固唾かたずを飲んでヴェルハルトを見ていた。いつにない皇帝の様子に困惑しているのだ。

 シンッと静まり返る中、ヴェルハルトはシャーロットを見据える。


「シャーロット」

「へ、陛下……」


 シャーロットは青褪めて全身がカタカタ震えていた。

 恐怖のあまり顔を引きつらせ、哀れなほど怯えきっている。

 だがヴェルハルトは冷ややかに言葉を放つ。


「人身売買組織を帝国に手引きした者がいるらしい。関係していないと俺の前で誓えるか」

「うっ、うぅ……、申し訳ありませんっ。申し訳ありません! どうかお許しを! 陛下、お許しを!!!!」


 シャーロットがわあああああっと泣き崩れた。

 泣きわめくシャーロットの姿に遠巻きに見ていた人々がざわめく。

 しかしヴェルハルトは淡々としたままだった。


「連れていけ」


 ヴェルハルトの命令に兵士がシャーロットを連行していこうとする。

 シャーロットは「無礼者っ、離して!」と声を荒げて暴れながらも、ヴェルハルトに哀れみを乞う。


「陛下、お許しください! で、でも陛下だって悪いのですっ。あんな人質の男ばかり夢中になって、わたくしのことを見てくださらない! 酷いではないですか! もし陛下がわたくしを……!」

「お前は俺に命令するのか?」

「あっ……」


 シャーロットは目を見開いた。

 そこに慈悲はない。一切の情もない。

 シャーロットは力なく崩れ落ちる。

 兵士がシャーロットを強引に立たせて大広間から連れだした。

 こうしてシャーロットが連行され、ヴェルハルトはマリスのブローチを握りしめる。


「マリスの救出を急げ。馬を出せ、俺も行く」


 ヴェルハルトはグレゴワールに命じると大広間を出て行く。

 大広間は静まり返り、物音一つしなかった。今のヴェルハルトに声をかけることは誰にもできなかった。


 そう、ここにいる誰もが見た。知った。


 皇帝陛下の寵愛の深さと、そしてそれを一身に受けているのが誰なのかを。


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