第28話 陛下と私①


 その日、私は夕食を自分の部屋でいただきました。

 休養中ということになっているので、そのまま部屋で休んでいるように命じられたのです。

 エヴァンが一緒に夕食を食べられないことを寂しがっていたと侍女から聞きました。不謹慎ですが嬉しいと思ってしまって少し申し訳ないです。


「マリス様、就寝の準備が整いました。おやすみなさいませ」

「ありがとうございました。おやすみなさい」


 私は世話をしてくれた侍女たちを見送ると、窓辺のチェアに座って就寝前の紅茶を楽しみます。

 昼間は意識を失っていたからか、まだ眠くないのです。

 今日はいろんなことがありました。殴られたことも驚いたけど、エヴァンには特に驚かされました。

 思い出すと自然と頬がゆるみます。明日からのお世話役が楽しみになりました。

 紅茶をひと口飲んで、口内にチリッと痛みを感じてしまう。

 思わず手で頬を押さえてため息をつく。殴られて口の中を切っていたのです。医師に治療してもらいましたがすぐに治るわけではありません。

 口内以外にも殴られた頬には少し青痣あおあざができていました。テープを貼って隠していますが全治二週間との診立てです。

 でも体の怪我はいいのです。この痣だって二週間で治るのなら構いません。

 でもエヴァンやコリンの心には傷を残してしまいました。それを思うとやるせない気持ちになります。

 こうしてぼんやり就寝前の時間をすごしていると、ふと部屋の扉がノックされました。


「どなたでしょうか……」


 夜も遅い時間です。こんな時間になにかあったんでしょうか。

 不思議に思っていると、扉の向こうから声がかけられます。


「俺だ。入るぞ」

「陛下!?」


 思わず立ち上がりました。

 部屋の扉を開けたのは陛下でした。

 私は急いで駆け寄って出迎えます。


「陛下、お出迎えできず申し訳ありません!」

「構わん。俺が勝手に来ただけだ。入ってもいいか?」

「もちろんです!」


 私は慌てて陛下を迎え入れました。

 夜着のままは失礼なので上に薄手のガウンを羽織ります。


「こんな格好で申し訳ありません……」

「こんな時間だ。気にするな」

「ありがとうございます」


 私は礼を言いつつも困惑してしまう。

 どうして陛下がここに来たのかわからないのです。

 しかも陛下は部屋に入ったものの沈黙してしまって、ますますわかりません。


「あの、陛下、どのようなご用件で」

「見舞いに来ただけだ」

「えっ、見舞い……」


 目を丸めました。

 見舞い……。陛下が私の……お見舞い?

 困惑してしまいましたが陛下が私の顔を見ていることに気づきます。私の頬のテープを。


「あ……」


 思わず頬のテープを手で押さえました。

 なんだか見られていることが恥ずかしくなったのです。


「……ご、ご心配おかけしました。その、大丈夫ですので。医師にも診てもらいました」

「聞いている。全治二週間だそうだな」

「はい。ここ以外はとくに問題はなく、ほんとうに……」


 また沈黙が落ちて、私は視線を落としてしまう。

 あまりに突然の来訪に困惑が隠し切れません。緊張で体が強張ってしまう。

 でも黙ったままでいるわけにはいかなくて今日のことを改めて謝ります。


「陛下、今日のことは本当に申し訳ありませんでした。私の落ち度です」

「そのことは気にしていない。それより聞きたいことがある。お前、貧民区でなにをしていた」

「っ……」


 なんて説明すればいいかわかりません。

 決して後ろめたいことはしていませんが、今回のことを引き起こしたので罪悪感を覚えてしまうのです。


「調べさせたが、服を売って現金に換えているそうだな」

「……」


 服の換金まで知られていました。

 顔が強張っていく。


「…………その、どうしても、まとまったお金が必要になって……」

「貧民区のためか」


 ……無言で頷きました。

 責められることはしていません。でも今、陛下に金欠を知られるという俗なことが恥ずかしい……。

 今までこういったことで羞恥を感じることはなかったのに、なぜか陛下には知られたくなかったと思っているのです。……もう遅いけれど。


「そうか」


 陛下がため息をつきました。

 それが呆れたため息に聞こえて唇を噛みしめます。


「……申し訳ありません。……恥ずかしい真似をしました」


 私は視線を落として謝りました。

 陛下の返事が怖いです。

 許されない行為をしたわけではないけれど、もし陛下を不快にさせることだったりしたら私は……。


「なぜ謝る。お前の行為は恥ずべきことじゃないだろ」

「えっ……」


 ハッと顔を上げました。

 陛下は私を見つめていました。息を飲むほど真摯に。

 そして陛下の手が私の怪我をした頬に触れます。


「だが、これについては許しがたい」

「こ、これくらい」

「俺はこれくらいだとは思っていない」


 そう言いながら陛下の親指が私の頬をそっと撫でました。

 睨むように頬を見ているのに、触れている指の感触はひどく優しいもので。


 ……だめです。これ以上は。


 これ以上は勘違いしてしまう。


「へ、へいか……」


 声が微かに掠れていました。

 このままではいけません。

 理性では逃げなければと思うのに、体が動かない。逃げたくないと思ってしまう。

 陛下が私の頬に触れたまま徐々に近づいてきます。

 呼吸が交わる距離まで迫ってきて、視界いっぱいに陛下の整った顔が映って……。


 唇に触れた感触。


 それは、まぎれもなく陛下の唇でした。

 最初は触れるだけですぐに離れて、でも呼吸が交わる距離で見つめあって、今度は奪うように唇を重ねられました。


「ぅ……」


 重なる唇に吐息が漏れる。

 でもその吐息すらも奪うような口付けに、もうなにも考えられなくなっていく。

 封じていた恋心が胸いっぱいに痛いほど広がって……あふれでてしまう。

 離れなければという理性なんかすでに擦り切れていました。もうどこまでも触れあっていたくなる。

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