第14話 殿下のお世話役

 翌日の朝。

 私は早朝に起きて身支度を整えます。世話役の朝は早いのです。

 侍女に用意された衣装は帝国のものですが、それは申し訳ないと思いつつも変えてもらって故郷から持ってきた衣装を着ました。


 正直、正解がわかりません。


 人質なのだから侍女に用意されるまま帝国の衣装を着たほうがいいのかもしれません。でもどうしても躊躇ためらってしまう。これは人質に対する扱いとしてはあまりに過分なもので、陛下の意図が読めないのです。

 まるでなにかの罠かのように思えて、どうしても着ることができませんでした。

 私はすれ違う女官や侍女に挨拶しながら廊下を歩きます。

 エヴァン殿下の部屋に向かいながら……、いけませんね、無意識にため息が。


「少し気が重いですね……」


 私の世話をしてくれる侍女たちに今までの殿下の世話役がどうしていたのか聞きました。

 それによると前任者もそのまた前任者も殿下が解雇したり、世話役自身が辞表をだしたりと、どの人も長続きしなかったようです。総勢十人を超える世話役が離れていったとか……。


 …………問題児です。どう考えても問題児です。


 相手は殿下なので誰も指摘しませんが、どう考えても殿下が原因で辞めてます。

 しかし陛下の前やおおやけの場ではとても優等生な振る舞いをし、学業も優秀で剣術や体術のお稽古にも真面目に取り組んでいるとか。そのこともあって表立って問題になることはないのでしょう。

 私は殿下の部屋の前にくると深呼吸を一つ。

 失敗は許されません。

 いきましょう! 気合を入れて扉をノックしました。


「殿下、おはようございます。失礼いたします」


 そう言ってゆっくり扉を開けました。

 なかでは殿下が朝の身支度をしています。


「マリス、おはよう。今日もいい朝だね。今日の予定は?」


 白々しいほど優等生の笑顔と挨拶ですね。

 私も白々しいほど良き世話役の笑顔を浮かべてあげます。


「本日は午前中に生物と算術の講義、お昼休憩のあとは体術と剣術の訓練です」

「わかった。それじゃあ、講義の準備をよろしく。教本と資料の箱はそこにあるから」

かしこまりました」


 私は棚から教本やノートを取りだし、資料が入っている箱を手に取りました。

 でも持ち上げた、次の瞬間。


 カサカサカサッ。


「わあっ!」


 カシャンッ! 箱からカサカサ音がして反射的に落としてしまう。

 しかも蓋がずれた箱から出てきたのは、大人の手のひらほどの大きな蜘蛛くも

 突然のことに目を丸めると、それを見ていたエヴァン殿下が困った顔で私を見ました。


「あ~あ、せっかく資料用につかまえたのに。逃げないように元に戻してね」


 エヴァンは「こまったな~」なんて顔をしていますが、…………ああそういうことですね。

 こんなのどう考えても嫌がらせです。

 きっと今までの世話役も同じような嫌がらせを受けてきたのでしょう。

 でもね。


かしこまりました、すぐに」


 私は動じることなく、カサカサ逃げようとする蜘蛛を片手で掴まえました。

 エヴァン殿下はギョッとした顔になるけれど、優しくニコリッと笑いかけます。


「箱に戻しておきます。大変失礼いたしました」

「ど、どうして……」

「どうしてもなにも、元に戻せと言ったのは殿下ではないですか」

「っ……」


 ふふふ、困惑してますね。

 ザマア見ろです。

 私が蜘蛛ごときを怖がると思ったのでしょうか。トカゲやヘビだって掴めますよ。

 なにせ前世では電気やガスも止められるレベルの貧しさだったのです。蜘蛛を怖がっていたら暮らしていけませんでしたからね。むしろ同居してましたよ。


「さあ殿下、講義の時間が迫っています。お仕度を」

「わかってるっ……」


 エヴァン殿下は強い口調で返してきました。

 驚きを隠しきれていないのです。

 動揺が口調にでるなんて、殿下といえどまだまだ子どもですね。


「マリス、蜘蛛だけじゃたりないから、ほかにダンゴムシもつかまえといて」

かしこまりました。ダンゴムシ、かわいいですね」

「っ、ミミズもだ!」

かしこまりました。何匹捕まえておきましょうか」

「トカゲとヤモリもつかまえろ!」

かしこまりました。それぞれ捕まえておきますね。エサのコオロギも捕まえておきます」

「ヘ、へへ、ヘビもだ!」

かしこまりました。本日中に捕まえておきます。飼われるならエサのネズミも必要になりますよね」

「い、いらない! やっぱりいらない!」


 おや情けない。

 ヘビで脱落ですか。


かしこまりました。またなんなりとお申し付けください」


 ニコリッ。笑顔を浮かべてあげました。

 そんな私にエヴァン殿下はあからさまに不機嫌になりました。


「ぼくの書庫をそうじしといて。今日中に!」

かしこまりました。おまかせください」


 私はうやうやしくお辞儀じぎして答えてあげました。

 気分がいいですね。あっさり答えた私に悔しそう。

 人質とはいえ私は王族なので屈辱を与えているつもりなのです。

 掃除ごときが嫌がらせになると思っているなんて、ほんとうにかわいらしい。

 いいでしょう。受けて立ちましょう。


 こうして殿下のお世話が始まるのでした。





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