第30話 後宮の夜会への招待

 この後宮の女性たちの白々しく哀れむ態度は私への攻撃なのです。

 ならば私も白々しいほど優しい笑顔を浮かべてあげました。


「ご心配ありがとうございます。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。なにぶん帝国へきてから本殿で暮らしていますので、後宮の方々へのご挨拶が遅れていました。どうぞお許しください」


『本殿』その部分を強調して言いました。

 本殿は王族が日常生活をおくる私的な場所です。たとえ後宮の王女や令嬢であったとしても本殿に立ち入ることは許されません。嫌味には嫌味で返してあげます。

 しかしベアトリスも嫌味なほどの笑顔を浮かべました。


「殿下のお世話役をしていらっしゃるとか。敗戦国の王子がどうやって陛下とお近づきになったのか、ぜひお伺いしたいわ」

「特別なことをしたわけではないので、お教えできることがあるかどうか……」

「ご安心を。言葉でなくご尊顔を見ただけで充分でしたわ。お顔はとても綺麗でいらっしゃるから。それにしても楽しみだわ。もちろんマリス様も今度の夜会に参加してくださるのよね」

「夜会……?」


 夜会があったなんて聞いたことがありません。


「あらごめんなさい。マリス様はお世話役だからご存知なかったのね。ここでは月に一度後宮主催の夜会を催していますの。わたくしを含めた同盟国出の王女や令嬢がそれぞれ順番に主催していますわ。今度の夜会はわたくしが主催ですの。ぜひマリス様もご参加ください」

「そうでしたか、そんな催しがあるんですね。お誘いありがとうございます。でも私は」

「もちろんご参加くださいますわよね。後宮の他の方々もぜひマリス様にお会いしたいと話していますわ」


 遮るように言われました。

 有無を言わさぬそれ。なんとしても私に参加させたいようです。

 でももちろん私にそんな気持ちはありません。

 きっぱり断ろうとしましたが、その時。


「マリス! こんなところにいたのか!」


 エヴァンが庭園に姿を見せました。

 エヴァンが私に向かってまっすぐ駆けてきます。

 庭園にいた王女や令嬢たちがいっせいにお辞儀しました。


「殿下、ご機嫌麗しく」

「殿下、お会いできて光栄です」


 美しい女性たちが笑顔で挨拶しますがエヴァンにとっては当たり前のことなんでしょうね。「みなはらくにしろ」と八歳とは思えない堂々とした振る舞いです。

 でも私には年相応の無邪気な笑顔を向けてくれます。


「探したんだぞ! もうお昼の時間だ!」

「誘いにきてくれたんですね。ありがとうございます」

「マリス、お腹すいた! もう行くぞ!」


 エヴァンが私の手をぎゅっと握り、ぐいぐいと引っ張りだします。

 ムスッとした顔のエヴァンに苦笑してしまう。

 せっかく午前中の講義を終わらせたのに私がいなかったので拗ねていたようです。


「はい、行きましょう。今日はどこで食べますか?」

「うーん、今日は天気がいいから本殿の植物園がいい」

「それは楽しそうですね」


 私はエヴァンに笑いかけると、ベアトリスたちに向き直ります。


「それでは失礼いたします。みなさま、ごきげんよう」


 私は丁寧にお辞儀すると殿下とともに庭園を立ち去りました。

 さすがに殿下の前で私に嫌味を言う者はいません。無事に離脱することができました。

 手をつないでいるエヴァンが私を見上げて話してきます。


「マリス、午後からまた貧民区にいくのか?」

「はい、そのつもりですが」

「そうか……」


 エヴァンは頷きつつも黙り込みました。

 不思議に思って見ていると、おずおずと口を開きます。


「……ぼくもまた行きたい。つれていけ」


 それはとてもかわいいワガママでした。

 あんな怖い思いをしたのに、それでもまた行こうと思ってくれるのですね。

 あなたはとても勇気があるんですね。


「分かりました。陛下から許可をいただけたらまた一緒に行きましょう」

「ん! 約束だぞ!」

「はい」


 私は小さく笑うとエヴァンと手をつないで植物園に行きました。




 午後からは貧民区へ行きました。

 貧民区の畑に姿を見せると農作業をしていた子どもたちが嬉しそうに出迎えてくれます。


「マリスさま、こんにちは!」

「ようこそ、マリス様!」

「みなも元気そうですね。お疲れさまです」


 駆け寄ってくる子どもたちの目線に合わせてひとりひとりに挨拶を返します。

 貧民区の畑を見回すと他の子どもたちも大きく手を振ってくれていて、私も手を振って返しました。

 そうしていると今度は貧民区の大人が近づいてきます。畑を手伝ってくれている子どもたちの親です。


「こんにちは、マリス様。もうすぐ収穫です」

「マリス様、東にある荒地を畑にしました。よかったらまた見に来てください」

「それはすごいですね。畑が大きくなると実りも増えます。お疲れさまです」


 大人たちは照れくさそうに笑うと、新しく耕作した畑へと歩いていきます。

 その大人の中にはコリンの父親もいました。

 コリンの父親は私に向かってぺこりと頭を下げると、他の大人たちと一緒に歩いていきました。

 そう、今まで畑仕事をしていたのは子どもたちが中心でしたが、コリンの父親が釈放されて帰ってきてから貧民区の雰囲気が変わったのです。

 私が敗戦国の人質だということは知られましたが、そんな私が釈放を直談判したことで貧民区の大人たちの心が動いたようでした。

 それ以降、大人たちも前向きに畑仕事を手伝ってくれるようになったのです。

 子どもだけでなく大人も一緒に働きだしてから貧民区全体が心なしか活気だちました。明るい笑い声も聞こえるようになって、疲弊した生気のない顔する者がだいぶ減ったのです。


「マリス様、こんにちは」

「コリン、いつもありがとうございます」

「僕たちこそ、マリス様のおかげで畑を大きくすることができました。ありがとうございます」

「そんなにかしこまらないでください」

「いいえ、マリス様はその、王子様なのに……」

「今はただの人質ですよ」


 私は苦笑して頭をあげさせました。

 正体を知られてから畏まった態度をとられるようになってしまいました。この身分だからコリンの父親を助けることはできたけど、他人行儀に畏まられるのは面白くありません。


「コリン、変わりはありませんか? なにか足りないものは?」

「お気遣いありがとうございます。もうすぐ収穫なので大丈夫です。あ、でも赤ちゃん用のミルクが少し足りなくなってきて……」

「赤ちゃん用のミルクですか?」

「はい。貧民区に双子の赤ちゃんが生まれたんですが、ミルクがなかなか手に入らなくて……」

「分かりました。ではすぐに用意しましょう」

「ありがとうございます。ミルクを飲ませてあげられるなら、あとは人攫ひとさらいから守ってあげるだけです!」

人攫ひとさらい……?」


 不穏な言葉に目を丸めました。

 コリンが困った顔で頷きます。


「噂で聞いたんですが、人身売買をしている悪い人たちが帝国に入ってきたみたいです。子どもを攫って金持ちに売ってるんだって聞きました。ここでも自警団をつくって夜回りもしています」

「そうですか、気を付けなければいけませんね」

「はい。僕たちで畑も赤ちゃんも守ってあげるんです」

「頼もしいですね。よろしくお願いします」

「はい!」


 コリンが力強く返事をしてくれます。

 初めて出会った時の、雨でずぶ濡れになりながら小さな芋を守っている姿を覚えているからか、今のコリンの姿を誇らしく思いました。





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