『海と毒薬』 遠藤周作
第三の新人と括られる作家のうち、最も知名度が高く、そして今なお最も読まれているのは遠藤周作に違いないだろう。遠藤周作が第三の新人のなかでも読まれるわけは、おそらくわかりやすく組み立てられた小説の展開と、カトリックに根差した明快なテーマがあるからなのだろう。「わかりやすさ」はやはり大衆ウケするために、必要不可欠な要素である。
文壇に登場した時期などを考慮して、遠藤周作を第三の新人として扱うことがしばしば見受けられる。しかし、より厳密な見方では、彼は阿川弘之とともに第三の新人から外れることもある。元々後付けで一括りにされた作家群だから、それぞれの文学性が異なるのは至極当然のことであろう。しかし、こうしたグルーピングを認めた当事者も実際いるのだ。小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、遠藤周作、吉行淳之介、小沼丹、近藤啓太郎らはしばしば集まることもある、実際の文学集団とも見紛うであろう。遠藤周作もやはり「文学の集会」の常連ではあったものの、安岡章太郎に言わせれば、狭い人間関係を好んで扱う大半の作家たちとは異なり、カトリックというより大きなテーマを扱った点において、遠藤周作は仲間外れのようである。
さて、ここからは遠藤周作の初期の代表作である『海と毒薬』について述べていこう思う。「私」は最近関東にやってきたと思われる勝呂という医者のもとに通うようになる。しかし、その医者は妙に信用できなかった。九月の終わり、「私」は義妹の結婚式のために、九州のF市を訪れた。そこで通い始めたばかり病院を話題にすると意外な事実が判明したのである。勝呂は、戦時中F大が行った捕虜に対する人体実験で2年の懲役刑を受けていたのであった。
大杉医学部長が亡くなったことにより、院内では後継者選びで醜い対立があった。勝呂が従った橋本教授が次期部長になると思われたが、対立する勢力が候補として優位についてしまった。結果を残そうと橋本教授らも躍起になったが、死ぬ必要もなかった患者を施術して死なせてしまった。そこから彼らは人体実験に手を染めてしまった……
冒頭は、「もはや戦後ではない」平和な現代社会を舞台に、少しずつ戦争の爪痕をちらつかせている。それからいよいよ隠されていた真実を公にし、「私」を完全に物語から退場させ、戦時中の荒廃した世の中に舞台は移される構図になっている。真の主人公は勝呂であると明確化されるのである。しかし、本作はただひとりの人物だけに焦点を浴びせるに留まらない。勝呂の同僚で、同じく人体実験に加担した戸田と看護師の上田にもフォーカスを置き、事件の真相を三者三様の心理的背景を追うような展開となっている。
カトリック的要素は一体どこにあるかといえば、それは「罪の意識」と「罰の受容」なのだろう。具体的な3人の態度には若干の差異があることは認められよう。しかし、3人の態度は共通して、冒頭部分にある呑気に戦時中の体験を語った男らに象徴される、罪の意識が欠如した日本社会に一石を投じるものとして、読み解くことができる。
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