『抱擁家族』 小島信夫

 不倫、家族、アイデンティティ。以上に掲げたものは文学で繰り返し現れるテーマである。それは戦乱や政治的暴動といった社会的現象を背景にして描かれることがある。例えば、トルストイの『戦争と平和』はナポレオン戦争という大きな物語のなかに、家族の在り方を追究する物語ではないだろうか。或いはそうした社会現象を排して、徹底的に個人という狭い範囲に物語を収めることだってある。日本の私小説の系譜、例えば夏目漱石や志賀直哉は敢えて社会の全体像を直接的に描き出すことなく、こうしたテーマに挑戦したではないか。

 野間宏、大岡昇平、安部公房、三島由紀夫ら先立つ者や、第三の新人の登場直後に現れた大江健三郎や開高健、石原慎太郎らは視野を広くし、社会全体に眼を向けた、前者のような方法を取ることが多い。一方で第三の新人たちは、むしろ後者のような、ミクロな範囲で人間を見つめている。

 小島信夫はそんな第三の新人のなかでも、年長の部類に含まれる。生まれた世代をみれば、むしろ第二次戦後派に属したっていいように見える。しかし、彼の作品を読めば、むしろ第三の新人としての分類がより適切であることがわかる。例えば第32回芥川賞を受賞した、日本人臭さの漂う英語教師たちがアメリカ人の授業を見学するという内容の「アメリカン・スクール」では、敗戦国である日本の民であることへの劣等感と、急激な西洋化を要求される焦燥感に揺れ動く日本人の心理を克明にえぐり取っている。『抱擁家族』はこうした初期の短編で描いたテーマを下敷きに、より多様なテーマに広げて完成させた意欲作だ。

 講師を務めながら翻訳を生業としていた三輪俊介は妻・時子と高校生の息子・良一、中学生の娘・ノリ子と4人家族だった。彼の家には時々アメリカ兵士のジョージもやってきていた。ある時、仕事の関係で俊介は2週間ほど家を空けた。帰ってくると、家政婦のみちよからその間の家族の様子を聞いてしまった。どうやら時子とジョージは、俊介の不在の間に情事を起こしていたそうだ。俊介はジョージにも問い詰めたものの、ジョージに言い負かされ、「日本人の倫理的支柱のなさ」が露呈する。「家の主人」としての威厳を失い、一家の建て直しを目論むも、ますます自己本体を喪失していってしまう。追い打ちを掛けるように妻の癌の再発が確認され、やがて一家は崩壊の一途を辿る……

 本作は冒頭で挙げたテーマを、メロドラマではなく、ある種のコメディーとして、見事に束ねている。しかし、あらすじを通してみると、ジョージという存在に違和感が生じるかもしれない。そこには「アメリカン・スクール」で炙り出した日米の対比を、今度は不倫相手という姿で、再度示しているのだろう。新鮮ささえ感じる悲喜交交の筋書きはしかし、古典的な結末を迎えるのである。新しさのなかで伝統的な筋書きに回帰することは文学における定型とも言えよう。

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