『日向で眠れ』 アドルフォ・ビオイ・カサーレス

 アルゼンチンの作家、アドルフォ・ビオイ・カサーレスといえば、幻想的な短編の名手として知られる。そして同じくアルゼンチン出身の、幻想短編で知られるボルヘスとは、仲違いをした一時期を除いて、終生関わりを持った。共著も多く、その代表的な作品が連短編推理小説『ドン・イシドーロ・パロディーの6つの問題』であろう。ボルヘスの知名度にブーストが掛かってか、国内ではおそらく本作が彼の最も有名な小説となっているだろう。

 さて、ビオイ・カサーレスの作品群は幻想的な短編の他に、愛を主題とした、緊密な構成で書かれた一連の中編小説でも知られる。その系譜での出発点となったのが、無人島で暮らしを強いられた人々の感情の機微を描いた『モレルの発明』だ。そこで描かれたテーマは以降のビオイ・カサーレスの小説で繰り返し突き詰められた。

 『豚の戦記』は犯罪や貧困といった、ブエノスアイレスの暗部で蔓延る問題に光を当てた作品である。長屋住まいで年金を当てにしながら、イシドーロ・ビダルはある脅威と対峙しながら暮らしていた。その当時、若者による高齢者の無差別的な迫害・暴力が横行していた。問題に直面したビダルや老人仲間は墓地に逃げ込むが、「トルコ青年同志隊」と称する集団が彼らを追いかけ回す。しかし、そこに描かれているのは単にサスペンスだけではなく、かつて妻に捨てられた老人の愛の物語でもある。

 『日向で眠れ』はボルデナーベが書いた手紙から、彼が体験した結婚生活が描かれている。銀行を馘首され、ボルデナーベは路地裏で時計修理業を営んでいた。妻のディアーナはそれに反発していた。そんなある日、妻がボルデナーベの誕生日会を催す話を持ち掛けた。パーティには親戚の他に、ドイツ人教師のスタンドゥレがやってきた。スタンドゥレとボルデナーベが犬の会話をすると、ディアーナはふたりの間に割り込んだ。スタンドゥレは妻が精神病であると断定し、入院を勧めた。こうしてディアーナは精神病院に連れて行かれたが、ボルデナーベはそれに納得が行かなかった。彼女を病院から連れ戻す算段も立てたが、それも失敗し、慰めとして牝犬を飼い始め、それをディアーナと名付けた。そんなある日、妻が病院から戻ってきたが、どこか様子が違っていた……

 幻想的な作風で知られるビオイ・カサーレスだが、紹介した2作いずれも日常や現実を捉えた作品となっている。しかし、これらの作品が全く幻想と無縁とは言い切れない。日常のなかに潜む驚きの変化の数々を、彼は小説で掬い上げ、我々に擬似的な体験を提供している。最も幻想的なのは、他ならぬ現実そのものであり、まさに「現実は小説より奇なり」ということが示唆されているではないだろうか。

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