『エブドメロス』 ジョルジオ・デ・キリコ
20世紀美術を愛好する者なら、ジョルジオ・デ・キリコという人物を紛れもない美術家として認知するであろう。その認識は凡そ正しい。ギリシャで生まれたイタリア人画家のデ・キリコは当時前衛界隈で流行していたキュビスムや未来派とはある意味叛逆する者であった。デ・キリコは、未来派にも属していたカッラと共に新たな美術運動として、形而上絵画を提唱した。それは不動的な風景や静物の描写に神秘的な形而上的世界を暗示することを目指した。デ・キリコはそれの実現のため、主に3種類の主題を用いた。ひとつは遠近法を誇張した無人の風景画。第2に、デペイズマンと呼ばれる手法で、彫刻や日用品などのミスマッチなものを並べた静物画。第3にマヌカンを用いた神話的な絵画。これらの絵画は、作者が読み耽っていたニーチェやショーペンハウアーなどの哲学、ベックリンやクリンガーといったロマン主義的絵画に影響されたと言われる。そして、それを見たシュルレアリストたちからは称賛を受け、シュルレアリスム絵画の先駆けともなった。
一方でデ・キリコ自身もフランス発の芸術運動に片足を突っ込み、シュルレアリスムの同人と言っても差し支えはない。互いに理念を共有しながらも、しかしその理念は合流することはなかった。それぞれ夢、無意識の観点から作品づくりに取り組んだ者ではあるが、運動そのものは殊にフロイトによる夢分析や無意識の研究に影響を受けている。対するデ・キリコは、前述の通り、ニーチェやベックリンの思想や手法を下敷きにしている。
さて、ここまで長々と人物紹介をしてきたが、いやはや、どうして美術家が、小説のシュルレアリスムシリーズに名前が乗るものかと思われるだろう。尤も、デ・キリコは、美術家としての業績に評価が固まり、文学者としての才覚は無視され気味である。実を言えば、デ・キリコは小説家としても活動し、複数の作品を残している。ここでは代表作『エブドメロス』を紹介する。
物語はエブドメロスが友人と共に外を歩いているところから始まる。行き当たりばったり、彼らは店を入店しては会話を交える。その後、エブドメロスはホテルにチェックインし、そこで長いこと滞在する。しかし、彼はこの町を出ていくという決心をし、機関車に乗って、できるだけ遠く、町から離れた場所へと向かおうとする……
はて、本作に明確な筋書きがあるかないかでいえば、ないのであろう。機関車に乗った主人公はあるものを知覚しては、思い思いに妄想を膨らませる。そして、その妄想が行き着く先はどこにもない。機関車は鉄道技師であった父を暗示しているという。そんな継ぎ接ぎの如く書き連ねた文章は、必然的にシュルレアリストたちの目に止まり、そして称揚される。ブルトンは『ナジャ』にも、彼に期待を寄せる内容を記している。しかし、デ・キリコは彼らが思い描くものとは異なることをようやく見抜き、彼らの期待は打ち砕かれた。いずれにせよ、本作が「夢の小説」と呼ぶことに変わりはないし、小説のシュルレアリスムの系譜からは外すことのできないものであろう。
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