姉と妹

『今日から魔物の討伐に行ってもらう』


 10歳になる誕生日の早朝、先生にそう言われた。

 目を通すようにと渡された資料を、俺は自室で読んでいる。


「大丈夫なのか? 人間は……」


 実地訓練については問題ない。そろそろだと思っていたからだ。

 教会がある街だけが活動範囲のつまらない日常からも、これでやっと解放される。

 俺の眉間みけんにしわを寄せる原因となっていたのは、その内容だ。


 討伐目標:赤竜せきりゅう


 竜狩りか……うん、子供に任せる仕事ではないよね。

 確かに俺の実力からしたら、そのくらいは大丈夫だ。

 ただ、俺は人間として普通に成長している。

 最近になってやっと上級魔法を覚えたぐらいなんだぞ?

 いったい先生は何を考えているのやら……


 いつもの癖でぐるぐると部屋を回る。


 先生に気づかれたか? いや、ありえない。

 この教会にいる唯一の上位聖職者である先生には、重点的に認識阻害を行っていたからだ。

 朝から不安にさせないでくれよ……


「お姉さま、大丈夫ですか?」

「!? 大丈夫よ!」


 俺は急いで資料を隠す。

 背後にはエクテ。全くと言っていいほど気配を感じなかった。


「あのカスめ。お姉さまになんて仕事を……」


 か……え? 何?

 最初にとんでもないことが聞こえた気がしたが、気のせいだろう。

 それにしても、あの角度からどうやって資料の内容を見たの……さっきまで寝ていたよね?


 俺は振り返り、とりあえずエクテを抱きしめる。

 壁にかけられた鏡に白と黒の髪が重なっているのが見えた。

 相手の動きを止める、この行動が俺に安心をもたらしてくれるのだ。


「よしよし、心配させちゃったわね……そうだ! お土産は何が良い?」


 できるだけ話をらそう。

 エクテの頭を撫でながら、俺は畳み掛ける。


「ペイラーの街まで行くの。確か美味しい砂糖菓子が売っていたはずよ!」


 エクテの頭を撫でがら、楽しい話題をふっていく。

 妹は何も言わない。

 ただ単に俺の腰をぐっと抱きしめている。

 昔ならこの一連の言動で、エクテの表情は柔らかくなっていたのに……

 こうなったらやるしかないか。


「私はあと少しで出発してしまうけど……」


 エクテから体を離し、引き出しに入れていた小包を取り出す。

 本当はサプライズとして部屋に残しておこうと思っていたのだが……


「お誕生日おめでとう」

「……」


 返答が無い。

 エクテがプレゼントを手で持ったまま固まっている。


「開けて……みないの?」


 俺が促すことでやっと小包が開かれ、中から大きなリボンが出てくる。

 エクテの眉がピクリと動いた気がしたが、反応はまだ薄い。

 本当にどうしたんだ?

 気に入らなかったのかな……


「付けてあげるわね」


 エクテを椅子に座らせ、髪を結ってあげる。

 鏡に映る妹の表情は”無”のままだ。

 かつて俺を倒した勇者に似ているそれが、恐怖で俺の手を震わせる。

 

 妹の腰まで伸びた長い黒髪を左右の高い位置でまとめ、両肩に垂らす。

 最後にリボンを付けて完成だ。

 あの勇者には似つかわしくない、ツインテールと呼ばれるこの髪型にすることで、俺は何とかトラウマを克服しようとした。


「うん! かわいい!」


 エクテは自分の見た目に対して無頓着むとんちゃくだ。だからこそ、俺は妹に様々な髪型をさせている。

 慣れた手つきは俺の努力の証だ。

 たまには化粧もしてあげて、女の子としての楽しみを覚えてもらおうとした。

 戦闘には必要の無いことに、興味を持ってもらうことが目的なのだが……

 ちなみに俺自身は髪を首元の位置で適当に切っている。正直言うと鬱陶しいからな。


「お姉さま」

「ひゃ、ひゃい!」


 いきなり呼びかけられて声が上ずる。

 どうした? 気に入らなかったのか?

 結構頑張って選んだのだけど……


「私はお姉さまに何もあげられません」

「いいのよ! あなたがいてくれるだけで……」

「だから、お姉さまの望みを叶えたいのです」


 良かった……

 怒っている訳では無かったようだ。

 あんなにも無表情になるくらい悩んでいたのか。まあ、それも仕方がない。

 エクテは収入を持っていない。教会において小遣いという制度は無いし、生活に必要なものはすべて用意してくれるからだ。


「もう、私の望みは分かっているでしょう?」


 俺は後ろからエクテを抱きしめて、頭を撫でる。

 お決まりのパターンに入った。


「あなたが普通の幸せを感じられる、そんなに私はしたいの」


 鏡に映っているエクテが何かに気づいたように目を見開き、そして笑顔を見せる。

 今回も何とか乗り越えたようだ。

 妹の額に口づけをして、俺は遠征のための荷物をまとめる。

 そろそろ時間だ。

 ここを離れるのは少し不安だが、今の様子では大丈夫だろう。


 ドアに向かう時に、鏡の向かいに座っていた妹が何かを言っているのが聞こえた。


「そう、そうだよね。私は何を悩んでいたの……お姉さまの望み、それは世界……」


 また考え込んでいるな。誰に似たのやら。

 普通でいてくれれば、それでいいのだ。


「エクテ、私は行くわね。ちゃんとお勉強をするのよ」

「お姉さま!」


 エクテが決意を秘めた表情で俺に駆け寄ってくる。


「今の私では力不足です。それでもいつの日か……いつの日か絶対にお姉さまの期待に応えれるようにします!」

「もう、大げさよ」


 普通の幸せとはそんなにも難しいものなのか?

 ……確かにそうだな……”普通”は案外難しい。

 それは俺が一番良く分かってる。


 エクテの宣言を受け止め、俺は部屋の外に出る。

 結局妹が教会の門まで付いてきてくれた。

 馬車に乗った俺が見えなくなるギリギリまで妹は手を振ってくれる。

 可愛い妹だ。

 監視という名目を別にしても、離れたくないと思ってしまったのは初めてかもしれない。


 馬車の中で一人揺られている中、俺の頭に疑問が浮かんだ。


「”普通”に対しての”力不足”って何だよ……」


 あまりの緊張からスルーしてしまったエクテの言葉。それが脳内に引っ掛かり始める。

 妹の言葉のセンスの問題か?

 でも、妹は行っているはずの学校、特にそこでの友達の話をしない。

 年頃の乙女だ。『今日学校でお友達とおままごとをしたの』とか話してくれてもいいはずなのに。

 交友関係で悩んでいるのかな……


「帰ったらアドバイスでもしてあげるか」


 俺は情報でしか人間を知らなかった。

 この体に生まれ落ちてからも、教会周辺というせまい世界で生きてきた。


「まだまだ勉強が足りてないな、俺は」


 エクテに言ったことが自分に返ってくる。

 俺はふふっと自虐的に笑った。


 馬車の外を見ると、すでに街を離れている。

 勇者だ魔王だという悩みは一旦置いておこう。

 初めて見る景色、未知の世界、そしてこれから待ち受けるであろう数多の冒険。

 それらに対して踊ってしまうこの気持ちは、決して嘘では無いと思うからだ。

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妹が勇者になったら詰み~元魔王の俺は、最強勇者の誕生を防ぐために妹を甘やかす~ Seabird(シエドリ) @sea_bird

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