第26話


 ベンチの真ん中に座ったリリスを挟むように、アイルとクララは腰を下ろした。三人で使うには少し狭いベンチだが、座れないこともない。


「それで、何の用ですか?」


 リリスは面倒臭そうに訊いた。

 しかしアイルは首を傾げる。


「用? 普通にお話したいだけだよ」


「?」


「?」


 リリスが不可解そうに首を傾げたので、アイルも更に首を傾げる角度を深くした。


「てっきり、家来になりたいとか、そういう相談だと思っていました。今までその手の話が多かったので」


「僕らが家来になりたいって言ったら、リリスは受け入れてくれるの?」


「はい」


 即座に肯定される。

 その反応は流石に予想外だった。


「別に家来がほしいわけではありませんが、これはこれで勉強になりますので」


「勉強……?」


「皆に囲まれて、皆に持て囃される勉強です」


 アイルは意味が分からなかったので、どう反応すればいいのか困った。

 しかし反対側に座るクララは納得したのか、「ふん」と気に入らなさそうな態度を見せる。


「アンタはだものね」


「ええ」


 リリスは頷いた。


「聖女は、イシリス教の中でも唯一無二の肩書きです」


 眼前に広がる空を眺めながら、リリスは語る。


「叙階を受けた時点で、私は枢機卿と同程度の発言権を持ち、その気になれば政治への参加も可能になります。私にそのようなつもりがなくても、周りの人がどう思うかまでは制御できません」


 神学校に入学したアイルたちは、ある程度の教育が施された後、修道士となる。シスター・ロゼッタと同じ立場だ。その後、叙階を受けることで聖職者となり、最初は助祭、そこから司祭、司教といった順に出世する。


 だがリリスは叙階を受けた時点で、助祭ではなく聖女という唯一無二の立場となる。現時点でも彼女は大きな発言力を有しているが、それは将来を見越した周囲が勝手に持ち上げているだけに過ぎない。叙階前である今のリリスは言わば聖女見習いで、叙階を受けた後は正式に聖女としての権力を振るえるようになる。


 だからエメステリア枢機卿は、現段階のリリスを丁寧に守るわけだ。

 聖女とはいえ、今はまだ孵化する前の卵。親鳥が過保護になるのは当然である。


「そう遠くないうちに、私は多くの人に崇められる立場になりますから、今の人間関係はいい予行演習になります」


 そう告げるリリスは、自らの人生をしっかり見通していた。

 強かな考えにも聞こえる。しかしアイルはそんなリリスの言葉に、「うーん」と悩んだ。


「でもそれって、寂しくないかな」


 リリスが、ゆっくりとアイルの方を見る。

 アイルは編入試験を受けた日、神学科生たちとすれ違ったことを思い出した。あの時、先頭を歩いていたのはリリスで、その後ろに神学科生がついて来ていた。リリスは先頭だったが、隣には誰もいなかった。


「後ろを歩く人だけじゃなくて、隣を歩く人もほしいとは思わない?」


「……思いません」


 リリスは小さな声で否定する。


「私は特別な立場ですから。そのような思いはありません」


 そう言ってリリスは立ち上がった。

 振り向いたリリスが、アイルたちを見下ろす。


「家来になりたければ言ってくださいね。末席は空けておきますから」


 リリスが屋上のドアを開け、去って行った。

 彼女の背中が見えなくなったところで、アイルは呟く。


「大変そうだね」


「アンタ……あんな嫌味を言われて、よくそんな感想を持てるわね」


 流石のアイルもあれが嫌味であることくらいは分かった。

 しかし、先程まで冷静だったリリスがあのタイミングで急に嫌味を口にしたということは、その直前のやり取りで不快感を覚えた証拠だ。


 隣を歩く人もほしいとは思わないか。

 そんなアイルの問いに、リリスが平静を崩したのだとしたら……。


「……『私は特別な立場ですから』って言ってたけど、あれは自分に言い聞かせているんじゃないかな」


「特権階級には普通にああいう奴もいるわよ? 自分は特別な人間だから、お前たちとは分かり合えないって」


 クララもまた色んな世界を見聞きした上でそう感じているのだろう。

 しかしやはりアイルは、リリスが立場という名の茨に雁字搦めにされているように見えた。


「ちょっとだけ、神学科のことが見えてきた気がするんだ」


 太陽が雲に隠れ、陽の光が遮られる。

 雲の奥でぼんやりと光を放ち続ける太陽をアイルは眺めた。


「神学科の生徒って、皆やんわりと壁を作ってるような気がする。リリスを持て囃すっていう共通の目的があるから、皆そこに甘えて本心を曝け出していないんじゃないかな」


「……そうね。皆、聖女の反応を窺っているのは私も感じてたし。……私たちくらいかもね。何も演じず、気楽に本音で生きていける神学科生は」


 アイルはイシリス教に対して無知で、クララは場の空気に逆らう気の強さがある。

 偶然の産物であるこの自由は、二人だけの特権だった。


「私、子供の頃に何回か典礼ミサに参加したことあって。そこで知ったんだけど、信者ってそんな単純な人ばかりじゃないわよ」


 クララは過去を思い出しながら告げた。


「神学科の生徒は二十人いるんだし……複雑な子も、本当はいるんじゃないかしら」


 そう言って、クララは向かいにある校舎の方を見た。

 窓の向こうに見える廊下を、紺色の髪の少女が一人で歩いていた。


 彼女にも何か複雑な事情があるんだろうか。

 肩に乗った夕焼け色の小鳥を、エリーゼは優しく撫でていた。


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