第三話 模擬戦


 警備局内地下射撃訓練場。

 警視庁公安部公安総務課第六公安捜査第十三係——通称ウィッチハント特捜班に仮配属中の訓練生・友枝梓ともえ あずさは自分にあてがわれたブースの位置についた。

 無機質な空間だが、備え付けのバイザーを装着すれば景色は一変する。シミュレーターが精巧に現実を模した擬似訓練場を眼前に再現してくれるからだ。

 ふと気になり、顔を上げて確かめれば、ひとつ隣のシミュレーターでは先輩であり指導係でもある緋山戮が模擬訓練中だった。

 友枝は各人の成績を示すモニターを見やる。

「……今日は13%の日、か」

 目標を撃ち抜いた精度に応じて射撃訓練の成績は常に上下する。的を撃ち抜いた箇所がたとえ一ミリでも違えば数字は変わる。

 しかし緋山の場合は違っている。緋山がいくら引き金を引いても成績を示す数字は変わらない。八十七パーセントのままだ。

 友枝はこの訓練にタネも仕掛けもないことを知っている。

 緋山は全弾を的から同じ分だけ外して撃っているのだ。マイナス十三パーセント。それが今日の彼に課せられたノルマだ。

 すなわち、自身の浄眼に宿る〈必中〉の咒力を制御し、自らの意思でわざと的を外すための訓練。本来標的に当たるはずの弾を、致命傷を避けた部位を選択して寸分違わず撃ち込んでいく。

 バイザー越しに見えるのは狂気じみた痛々しい表情。本来のギフトである異能を押し殺し、ねじ伏せ、繰り出される所業もまた奇跡に近いものだった。しかしそれは緋山自身の身を削るような努力によって裏打ちされているのだ。

「……ほんと、たまんない人」

 歯を食いしばり、苦しげな表情を浮かべていても必死に己を律する緋山の横顔を見つめ、友枝はひとりでに呟いていた。

 もし。

 もしも彼に——彼の傷に触れることができたら。そのとき自分はどうするだろうか。

 ただ単純に慰めるのか、それよりもむしろこの嗜虐的な気分は傷口を広げてやりたいのか。自分を刻んで上書きさせてやりたいと、そういう獣じみた欲求の類を覚えているのだろうか。

『友枝、さっさと始めろ』

「あー。はいはーい、っと」

 モニタールームの監督官から注意を受けると友枝は腕を掲げ、拳銃を構えた。

 そのまま躊躇することなく発砲。的が変わる。また撃つ。その繰り返し。

 最後の射撃を経て、モニターの表示が切り替わる。精度――99.78。

 さすがに百パーセントには届かないが、ケチのつけようがない数字だ。全体でも今のところは同率二位。悪くはない。そう思った時だった。

「おい。手を抜くな」

「うぇ!?」

 シミュレーターに没頭していた友枝の背後から声がかかる。すぐにわかった。緋山だ。

「ちょ、緋山さん!? ひとの訓練に乱入しないで!」

「おれはお前の指導係だろうが」

「だからって……っていうか、だいたい手を抜くなってどういうことですか? わたしはこれでも本気を出しているんですが」

「……お前、どうすれば百になるかわからないのか? 九十九パーセントのままならお前は現場で死ぬだけだ」

「なん……! じゃあ、お手本をお願いします。残りの一パーセントってやつを見せて」

「簡単だ」

 何を見せられるのかと思った。必中を発現させた射撃か。それではその能力を持たない自分には意味がない。得心がいかず、友枝はそのまま緋山を見つめた。

 ため息をつくと緋山は友枝の手から拳銃を取り上げる。

 予備のバイザーを装着すると、あろうことか標的に向かって悠然と歩み、近づいた。

 そして拳銃を標的に突きつけ、二発を外しようのないゼロ距離から打ち込む。カウント。100.00。

「なっ、なん……ライン越えとか普通に反則じゃないですかそれ!」

「お前に足りないのは踏み込みだ。獲物の懐に入ればどうあれこうなる」

「……そんなのシミュレーターの意味がないし、無茶苦茶いわないでくださいよ」

「だが、意味はわかるだろう?」

 踏み込みが足りない。

 魔女や魔人の懐に入るだけの能力がまだ自分には足りていない。

 もっともな指摘であり、それこそが緋山たち捜査官と見習いである自分の差であった。

「百だ。次は百を狙え」

 戻ってきた緋山が銃を返してくる。少し触れた指先は温かかった。血が通っている証拠だった。

 友枝は静かに頷いた。

「……はい」

 それを一瞥した緋山はそのままブースを出ると、射撃訓練場から引き上げてしまった。

 ——本当に、たまらない人だ。

 友枝梓は海外留学から戻ったばかりのキャリア組だ。要するに幹部候補生である。

 父親は政界に身を置き、兄は外交官として時折メディアにも露出する身分だ。

 友枝自身は大学の先輩にあたる緋山に強い憧れを抱き、実力とコネクションを最大限に活用し、訓練生としては異例の公安総務課第十三係への仮配属を勝ち取った身だ。

 公安のエース。断頭台。魔人殺し——。

 物騒な異名で呼ばれる緋山だが、魔女・魔人の討伐及び検挙数はナンバーワン。ついでに身につけた格闘術及び魔術も特別級。ノンキャリアな上、異例のスピードで特捜班に引き抜かれた人材であること、そしてそれ以上にその人間性に友枝はひどく惹かれていたのだ。

 年齢は二十二歳。身長は女性にしては高い174センチ。やや痩せ型。呪術探査と医呪術を専門として学び、その方面での活動を志している。〈道具〉としては自身の巫力を練り込み作り上げた巨大な戦鎚の持ち込みを許可されている。

 友枝としては、いずれは緋山の後衛ポジションにつきたいという明確な目標を掲げ、訓練に打ち込む日々を送っていた。

 だが警察内部は激しい縦の競争社会であり、同期のライバルも多い。誰かを出し抜くことはあっても自分が出し抜かれるわけにはいかない。

 それなりの狡猾さでもって友枝は自身の立ち位置を確保していた。


 §


 午後二時。警備局内地下第二演習場。

 魔人や魔女、あるいは悪魔もしくは悪魔憑きとの実戦を想定した特殊訓練が行われるフィールドに第十三係――通称ウィッチハント特捜班の面々が集っていた。といっても非番や出張、さらには関係機関へ出向中のメンバーを除いてだが。

 対咒力防壁によって保護されたナビゲーションルーム兼見学ブースには深海特捜班長、その補佐官である式森、そして特捜班付訓練生である友枝が座して様子を見守っている。

 午前の射撃訓練を最終的に全体三位で終えた友枝はあくまで訓練生であるため午後の模擬戦は見学とされ、深海たちと共に班員らの模擬戦の順番を待っていた。

 今、彼らの眼前では同じく深海の管轄下にある悪魔祓いを専門とする第十二係、その最後の組み合わせによる模擬戦が行われている最中だった。

 公安所属の悪魔祓いエクソシストである八剱やつるぎるいと、深海が引き抜き、公安で保護した悪魔憑きのクロエ・ヴィタウタスがフィールド内部に再現された市街地エリアで激しくぶつかり合っていた。

 対岸の見学ブースでは第十二係の面々がやはり同じように勝負の行方を見守っている様子が窺える。

「八剱とクロエ、なかなかいい対戦カードだね。式森、きみの采配?」

「いえ。純粋なくじ引きの結果です」

「へえ。この場合、有利なのは市街戦で場数を踏んでる八剱だが、クロエも最近は悪魔の使い方を覚えてきているからね。どうなるかは見ものだな。友枝はどちらが勝つと思う?」

「そうですね……わたしはやはり八剱先輩に分があるのではないかと思います」

 深海の急な問いかけに、友枝はしかし動じず意見を述べる。

「根拠は?」

「たしかにヴィタウタスさんの悪魔は強力ですし、悪魔と悪魔憑きの連携自体もそう悪くはない。八剱先輩の細かな攻撃にもちゃんと耐えて対応し切っている。けれど、八剱先輩は誰より場数を踏んでいますから。特に市街戦であるのなら、現時点ではヴィタウタスさんの制御力を上回るパフォーマンスをするはずです。簡単に言えば彼の方が小回りが利く——というか」

「わるくない戦況分析だ。ほら、ぼちぼち結果が出るぞ」

 周囲の遮蔽物を用い、クロエの指示で襲いかかる悪魔の攻撃を躱しながら徐々に距離を詰めた八剱が、悪魔の大ぶりの一撃を掻い潜り、遂にクロエの元に到達する。

 八剱は構えた刀の峰でクロエの防咒ベストに取り付けられたボタンを叩き切る。瞬間、赤色のフラッグが上がり、クロエ側の敗北——すなわち八剱の勝利が確定した。

 刀を手にしていた時の殺気はどこへやら、爽やかな笑みを浮かべた青年はクロエに手を貸して立たせてやっている。

 公安降魔犯罪対策係悪魔祓いエクソシスム特捜班は比較的若手スタッフが多く、八剱もクロエもまだ二十代と十代の若手であるにもかかわらず入庁を果たした有望株だ。第十二係と十三係。部署は隣だが、同じ課への配属を志す友枝にとって彼らの存在は良い刺激であった。

 と、その時。十二係の面々が引き上げていくのと入れ替わりに、フィールド内部の景色が切り替わる。

 舞台は密林の中の廃墟だった。鬱蒼と生い茂る樹木が不吉な影をそこ此処に落としている。あたりには擬似的なものであるが瘴気が満ち、人間が踏み入ることを拒否しているかのような環境が構築されていた。

「今回は魔女・魔人の捕縛を想定した模擬戦です。双方、スタート位置へ」

 ナビゲートを担当する式森がインカムで指示を出す。

 途端にカメラの視点が切り替わり、魔人役の緋山戮、特捜班側の昏木花揶くらき かや捜査官の両者がそれぞれ別の画面に映し出された。

「魔人役の緋山さんは捕まれば敗北、昏木さんはいつも通り魔人を捕縛すれば勝利です。質問は?」

「緋山。ない」

「く、昏木です。ありません」

 両者とも準備はできているようだった。

「それでは、両者ともに状況を開始してください」

 式森が無慈悲に告げる。

 左側のモニターに映し出されていた緋山の姿が開始の合図と共にかき消える。魔力及び咒力を抑え込み、索敵を回避するためにフィールド内のどこかに潜むことを選択したのだろう。無難な選択だった。

 一方で右手に映し出された昏木は冷静に索敵を開始している。黒く艶やかな髪に彩られた陰鬱な美貌が、今はより一層暗く沈んで見える。

 昏木花揶。第十三係に所属する特別捜査官で、緋山より年次の若い二十代の若手捜査官である。自身の影を操る異能を持ち、公安が保管していた〈六花〉の魔女と契約し、それを〈道具ガジェット〉としている。

 こうした訓練で緋山と渡り合うだけの実力をもつ彼女もまた若手の有望株ではあるのだが、その異能のせいなのか生来の性格なのか非常にネガティヴで悲壮感すら感じさせる、ある種の暗さが持ち味の女性捜査官だった。

『か、帰り、たい。無理。だめ。緋山さんこわい、わ、わわ、わたし死んじゃう……』

 呪を紡ぐ合間に漏れるか細い独り言がモニタールームにも届いている。

 昏木は勝負事に関してやる気を出せば出すほどに暗く、陰鬱になる性質タチなのだ。

「あー。昏木先輩、緊張のあまりブルー入っちゃってるなぁ」

 友枝がそう漏らせば、深海がモニターを見比べて言う。

「緋山は今回も魔女側か」

「そうでなければ昏木さんの演習になりませんし、緋山を捜査官側にすれば死傷者が出かねません」

「友枝。緋山ってそんなにこわい?」

「そう……ですね。緋山さんが警棒持って突っ立ってるだけでも普通にこわいですかね」

「緋山はコワモテだからな」

 深海は肩をすくめたが、友枝がやんわりと否定してみせた。

「や、そうではなく。緋山さんってただそこにいるだけでこわくないですか? どうしても消せない殺気みたいな気配が漂っているっていうか。……そこが良かったりもするのですけど」

「なるほどね。おれは慣れてしまっていたけれど、そうだった。緋山、聴こえる?」

 後半はインカム越しに通信機能を用いて緋山に直接呼びかける。

『聴こえます。訓練に問題が?』

「ないよ。緋山、ひとつ課題を足すけど、いいかな?」

『はい』

「殺気を完全に消して。気取られる原因になる。気配遮断にもっと注力しろ」

『了解』

「いいよ。続けて」

 深海が指示を出し終えると緋山もまた沈黙し、訓練に戻っていく。

「出しぬけに〈殺気を消せ〉と指示されるとか、なんかちょっとかわいそうな気もしますが」

「でも、悪癖はないほうがいいだろう?」

「そりゃまあ、そうですが。せっかくの緋山さんのトレードマークなのになぁ」

 訓練の見学中であるにも関わらずそんな言葉を交わす深海と友枝も相当異質である。

 少なくとも彼らのやり取りを傍観していた式森はそう思っていた。

 と——状況が動いた。

 索敵を終えたのか、昏木がフィールドを走り出す。暗い紫水晶の瞳には仄暗い劫火が灯っている。

『殺気、消すのが遅いです。座標、特定しちゃいました、よ』

 華奢な外見とは裏腹に、昏木は力強く俊敏な動きで密林を抜け、廃墟の裏口へと辿り着く。

 そのまま突入する愚は犯さず、咒的トラップが仕掛けられていないかを調べるため、彼女は印を結び、短く呪文を紡ぐ。

 刹那、昏木から分かたれた影の分身が現れる。

『行って。扉をあけて中へ入りなさい』

 昏木の影は従順だった。命令通りに扉に手をかけ、廃墟の中へ足を踏み入れた——その瞬間だった。張り巡らされた無数の黒縄が女の影を絡め取り、焼き尽くす。

 緋山の〈道具〉であり相棒のアシェラガランが手繰る〈拒絶〉の糸。

 初歩的な待ち伏せによるトラップだった。

「うわ、さすが緋山さん。エグい罠。廃墟はもう魔女の家ってわけだ」

『わ、わたし、だって、こんなものにはもう引っかかりませんから……!』

 昏木は己の影の中から巨大な鋏を取り出して掲げる。彼女の獲物は一メートルほどもある巨大な裁ち鋏だ。

 軽々と鋏を回転させ、縦横無尽に張り巡らされた糸を断ち切っていく。

 かくして侵入を果たした昏木は迷わず上階へと向かうべく、階段室を探し当て、先程と同じように影を使って背後を守りながら進んで行く。

「索敵から突入までは非常にスムーズ、問題なしだ。昏木もやるようになったね」

「でも、相手は緋山さんですよ」

「そうだね。あの廃墟はもう怖い魔女のテリトリーだ。さて、最後までやれるかな。昏木」

 どこか愉快そうに深海は微笑を浮かべた。

 二階ホールへと階段を登っていく昏木の背後を警戒しながら追従していた影が突如として足元から崩れ落ちる。

 女の姿をした影は同じ暗がりから現れた黒狼犬によって食い殺されていた。

『くっ! 〈暴食〉……! ここで仕掛けてきたの、ですね』

 昏木は破壊されて崩れ落ちそうな足場からひとっ飛びで距離を取ると、背後に迫る凶獣を睨め付けた。

 同じように影を縄張りとする昏木の分身とアシェラガランの〈暴食〉の使い魔。人間の術と魔女の魔法。どちらが優れているのかは一目瞭然だ。

 影を使った分身術という昏木の武器を潰すには同じ影をぶつける。緋山のプランは残酷なまでに怜悧だった。

『やっぱり、こわいし……苦手、です。緋山さん』

 恨みがましく呟くが、まだ昏木は潰れない。

『……でも。わたしだって、負け、ません!』

 昏木が目を見開く。無数の腕が影から這い出し、黒狼犬を引き摺り込もうと獣の四肢に取り付く。唸り声をあげて〈暴食〉が抵抗を試みる。

 昏木は勝負の結果に拘泥しない。そのままホールを目掛けて走り込む。

 使い魔は使い魔同士で争わせ、自分は敵陣の本丸へと飛び込むことを選択したのだ。

 ろくに詠唱もせずにまたもや張られた黒縄の罠を潜り抜け、彼女はとうとう標的の前に立ちはだかった。

『ここまで九分。意外と早かったな』

 廃墟。二階に開いた比較的広いホールの奥で、緋山は昏木を待ち受けていた。

『あまり、わたしを……みくびらないでください。訓練だって、本気です』

『そうだ。お前の任務は魔女の捕縛。対しておれの仕事は捕まらないことだ。なら、やることはひとつだろう。来い、昏木。魔女のやり口を教えてやる』

 静かに鋏を構える昏木に対し、緋山はコンバットナイフを構え、悠然と歩き出す。

 隙だらけに見える。だが、昏木は間合いに踏み込めない。

 緋山が仄暗い笑みを浮かべ、隠していた気配——殺気を解き放つ。

 緋山の影から闇色の凶腕が伸びて、立ち向かう昏木へと襲いかかる。

 それは完璧な気配遮断だった。緋山の影にもまたアシェラガランが潜んでいたのだ。

 深海の指示に従い、緋山は自身の気配はおろかその手管さえもギリギリまで明かさなかった。

『花耶ちゃん久しぶり〜! 早速だけど、お手なみを拝見しちゃうよ。……覚悟して♡』

 そう言いながら既に半身を実体化したアシェラは、そのままの勢いで昏木の懐へ飛び込んでゆく。

『また待ち伏せ、か……卑怯、ですよ』

 初撃を受け流して避けた昏木が吐き捨てるが、緋山は一顧だにしない。

『魔女には使い魔がいる。初歩的なことだろう』

 肉薄するアシェラを鋏で迎撃し、攻撃を躱しつつ間合いをとる。

 昏木はまだ自分のペースを保てている。だからこそ緋山も手を抜かずにアシェラをけしかける。

『おい、防戦一方だとじりじり消耗するだけだぞ』

『わかって、います。ぜったいに、捕まえる』

 ざ、と後方へ滑るようにして攻撃を避けた昏木は自らが主体の肉弾戦を止め、印を結んで咒文を唱える。

 すると無数の花弁が舞い散り、その中から異形の使い魔が現れた。それは黒く輝く攻殻を持つ大蜘蛛の悪魔。第十三係特捜官である昏木花耶が使役する〈道具〉だった。

『ベラトリクス。少し、無理をさせる。戦って。アシェラガランを抑えなさい。わたしは緋山さんを捕縛、します』

 シャ、と短く鳴いて大蜘蛛が這いずり、動き出す。

『少しは面白くなってきたな。アシェラ。蜘蛛の相手をしていろ。毒液には絶対に当たるなよ』

『ラジャー、戮!』

 ルミナスブルーの髪を靡かせ、完全に顕現したアシェラが〈拒絶〉の糸を構えて大蜘蛛を迎え撃つ。

「昏木先輩の〈道具〉って、魔女じゃなく、完全に悪魔化した異形だったのか」

「そうだよ。あれが昏木の隠し玉。〈六花〉の悪魔さ」

「……〈道具〉か。本当になんでもありなんだ」

「緋山が例外を作ってしまったからね。年々〈道具〉の範疇が拡大解釈されていった結果、今ではあんな状態さ」

 友枝が感心してみせれば、深海は軽く肩を竦めた。

「わたしでも魔女や悪魔を使役できるでしょうか」

「そのつもりと覚悟があるのならば、あるいはね。だが多かれ少なかれ代償はついて回るよ。もし契約を交わしたいのなら早めに心を決めることだ」

「……むう」

 そんなやり取りの間にも、アシェラと大蜘蛛は激しくぶつかり合い、文字通り火花を散らしている。

 そして、先に相手の間合いに踏み込んだのは——緋山だ。

 震脚。そして暗頸をのせた激しい打ち込み。まともに当たってしまえば再起不能となる正真正銘の一撃。

 昏木は目を身開いたまま、するりと体を翻し、一撃を躱す。

 回転しながら構えた鋏を突き出せば緋山が自身のナイフで以ってそれをいなす。そうやって二人は幾度も撃ち合いながら、互いを追い詰めていく。

 勝負は五分かと思われたその時——

『お待たせ。〈六花〉はもう動けないよ』

 勝負のついたアシェラが緋山の影へと戻り、瞬時に融け込む。

 彼らが戦っていた方をみやれば、無数の黒縄に縫い止められ、空間に囚われた大蜘蛛の姿が目に入る。

『なっ……私のベラトリクスを! よくも……!』

『残念。ボクにとってはまだ練度不足だったよ、花耶ちゃん』

 にたり、と影から半身をのぞかせたアシェラが淫猥な笑みを浮かべた。

『仕舞いだ、昏木』

 緋山が顔を歪めた。笑ったとわかるまでに一拍を要した。

 その間にも昏木は体勢を整え、次撃を繰り出そうとしていた、が。

『くっ、ならば——ッ、がっ……は……!』

 今まで互角にやり合っていた筈の緋山が一気にゼロ距離へ踏み込む。昏木の細い首を捕まえ、そのまま頭部を殴打する。浸透勁。

 緋山が手を離せば、昏木は倒れこそしなかったが、ぐわんと回る視界、そして狭窄した視野に耐えきれず反撃も抵抗も——動くことすらできずにその場にへたり込んだ。

「そこまでです。勝負あり。魔女側の勝利です」

 式森が告げる。

「こっわ。ダイレクトに頭を狙いますか」

「あれはむしろ腹や胸に当ててしまえば取り返しがつかないとわかった上での判断だよ。あの程度なら脳震盪で済むからね。それより友枝、咒医術は得意だろ。昏木の応急処置を頼むよ」

「はい!」

 指示を受けた友枝は、シミュレーターがオフになるのと同時に演習場へ駆け込んだ。

 広い訓練場の中へと走っていき、緋山と昏木がいる中心部に辿り着く。

「昏木先輩、平気ですか。今手当をしますから、そのまま動かないでください」

「大丈夫。これはただの脳震盪……吐き気も痙攣もない、から、軽傷の部類に入る……」

「わかりました。ただ、一日二日は安静にしていないとダメですよ」

「知って、います」

 花びらのような黒髪を床に散らし、ようやく仰向けに寝転がった昏木が陰気ではあるが美々しい微笑みを浮かべた。状況から解放されて安堵しているのだろう。

「ああ、もう。また負けちゃった……緋山さん、やっぱり苦手、です」

 友枝はそれを聞いて苦笑するが、緋山が近づいてくるのを見とめて笑みを引っ込め、襟を正した。

「昏木。悪くなかった」

「……それだけ、ですか。けっこう、ひどいです、よ」

「〈道具〉をもっと上手く使え。それにお前の魔術も。一対多数の勝負なら、おれよりお前の方が役に立つ。それを意識しろ」

「気休めの、アドバイス、ですか。さすがにむかつきます」

「ただの事実だが」

 朴訥とした物言いは緋山の癖だ。

 同僚である昏木もそれはわかっているのだろう。長い溜め息をつくと彼女は言った。

「……わかりました。ありがとうござい、ます」

「はい、訓練も応急処置も終わり。てことでぼちぼち引き上げの時間なんで、緋山さんは昏木先輩を抱えて医務室へお願いしますね。そっと運んであげてくださいよ、お姫様抱っこしていいから」

 友枝は緋山が今何を考え、感じているのかをもっと知りたかった。だが、これでも仕事中だ。個人的感情に囚われている場合ではないため、からっとした口調で言って指示を出す。

 緋山は何も言わずに頷くと、本当に昏木を抱えて医務室へと歩き出す。

 昏木は昏木で恥ずかしいのか緋山の腕の中で踠いている。緋山が無言で睨みを利かせると昏木はぴたりと動かなくなった。あれは単純に緋山の顔がこわいからだろう。

 何だかでこぼことしたコンビだな、などと悠長なことを考えながら友枝は深海たちの元へと戻っていった。

 その日、友枝の訓練の成績は〈優〉だった。

 しかし、まだ百パーセントではない。

 緋山の一言を肝に銘じ、心新たに友枝は追加の自主訓練に励むことを決めた。

 昼の休憩を挟んで演習場へ向かう足取りは不思議と軽いものだった。


 

〈続く〉

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