RejEct -警視庁公安部公安総務課降魔犯罪対策係

津島修嗣

第一話 緋色の断頭台〈前編〉



 古来より語り継がれ、しかしとうに物語の中の絵空事として葬られて久しい魔法及び魔術体系。

 それらは時と共に風化し、歴史の片隅に揺らぎながらひっそりと在り続けるだけのものとなった――はずだった。

 これはその魔法が〈災禍の九人〉と呼ばれる魔女及び魔人の手により現代社会に蘇った後の世界の話。

 揺らぎの向こうにあり得たかもしれないもう一つの世界の話。




 会議室のメインモニターに異形の魔女の姿と、それによる被害状況が映し出されていく。

 その惨状に、ある者は顔を顰め、ある者は目を背けた。

「緑ヶ丘総合病院敷地内に〈蝿〉の魔女、出現中。使い魔である〈蛆〉の幼体悪魔を複数体召喚し、取り残された人質を無差別に喰い荒らしています」

「被害状況は……不明。ただ、院内には医師や看護師等の病院スタッフ、事務員、また入院患者が多数取り残されており、対咒防壁による区画遮断以上の避難は極めて困難な上、自力での移動が困難な患者も多い状況です。万が一にも魔女や使い魔が避難区域内に侵入すれば終わりです」

「魔女による館内の咒的汚染度は急速に上昇、現在は七十%を超えています。もはや説得や交渉も不可能かと」

 午前十一時五分。

 降魔犯罪特別対策室において、同日の午前九時四十六分に起きた魔女による無差別攻撃の被害状況が報告されていた。

特殊部隊SAT及び特殊犯捜査係SITにより入院中の要人避難、近隣住民の退避はほぼ完了。魔女及び使い魔の敷地外への逃走は食い止められている状況です」

「領域特化型あるいは次元封印型か、いずれにしろ対咒防壁では保たんのだろう!」

 事件の指揮管理にあたる和辻哲夫管理官が声を荒上げるが、具体策のないまま報告だけが淡々と読み上げられていく。

 末席に座して会議を静観していた深海詩雨ふかみ しう公安総務課長は背後に立った自身の秘書官である式森燿一郎しきもり よういちろうに耳打ちした。

「相変わらず指揮系統がめちゃくちゃだ。今回の、うちのトップはなんていってる? まさかこの事件も彼らのしわざじゃないだろうね」

「いいえ。上からはなにも。ただ、迎撃許可は出ています」

「相変わらず、尻尾切りだけは素早いおじいさま方だ」

「深海くん! それで、現場はどうなっている!」

 深海は式森を下がらせ、立ち上がるとよく通る声で告げた。

「出動要請に備え、すでに現場には降魔犯罪対策係の特別捜査官ウィッチハンター及びその〈道具ガジェット〉を向かわせています。必要とあらばすぐにでも出撃させることが可能です」

「特捜は……緋山か。それでは〈道具〉は〈ブルーブラック〉を随行させているということか?」

「はい」

「暴走の危険性は」

「万が一にも。仮にそうなったとしても、緋山は躊躇いなく処理するでしょう。さあ、時間です。和辻管理官、ご決断を」

 深海は眼鏡のブリッジを軽く持ち上げ、決然と告げてみせた。



「というわけで、だ」

 散会し、もはや人のいなくなった会議室。

 深海は待機させていた特捜班員へタブレット越しに命令を告げた。

「緋山、アシェラ。現時刻を以って今回の病院立てこもり事件の指揮権は正式に特捜班ウチに移行しました。対象は〈蝿〉の魔女、そして使い魔〈蛆〉の幼体悪魔複数体だ。まあ、こっちはどうせ増えるんだろうけれどね。接敵次第どちらも討伐せよとのご命令だよ。だから手っ取り早くやっちゃって」

『……了解。状況を開始する』

『同じく了解。戮とボクの活躍ちゃんと見ててね〜、フカミン!』

 かくして一名のウィッチハンターとその〈道具〉が現場に投入された。


 §


 警視庁公安部公安総務課第六公安捜査第十三係――俗称・降魔犯罪対策係ウィッチハント特捜班の捜査官である緋山戮ひやま りくは咒詛防御仕様の刻印済みダークスーツに身を包み、現場に臨場した。

 齢は二十九歳。精悍な顔立ちに紺碧の瞳、浅黒い肌。長く伸ばした黒髪を後ろに撫で付けて束ねている。上背があり、二メートルほどもある恵まれた体躯はスーツの上からでもよく発達した筋肉に被覆されていることがわかる。総じて鋼のような印象の青年だった。

 緋山の後ろからはアシェラガラン=クイゼ・六道りくどう――コードネーム〈ブルーブラック〉、先ほど〈道具〉と呼ばれた緋山の相棒がついてくる。

 公安の降魔犯罪特別捜査官は特例として自らが選んだ人材や武器、魔道具を現場に持ち込むことが許されている。緋山の場合にはそれがこの青年にあたるのだった。

 六道はノーネクタイの刻印済みダークスーツ姿。緋山に比べれば軽装で、あろうことかゴツいハイヒールを履いている。

 光を通さぬ漆黒の肌にルミナスブルーの髪を靡かせた異形の美貌。瞳も同じくルミナスブルー。細く括れた怪しげな腰つき。一眼で人外の存在であるとわかる姿形をしているが、その凄絶な美しさ故に人の埒外の存在であるという認識を持たせにくい印象の青年だ。否、青年の形をした〈魔女〉だった。

「戮」

 何かに気づいた六道が緋山の名を小さく呼んだ。緋山も頷く。

「こちら緋山。院内受付付近に生存者らしき男性を発見」

『すでに転化しているか、そうでなければ使い魔の可能性が高い。注意してあたるように』

 十三係のオペレーターである式森が告げてくる。

「希薄ですが、可能であれば救助を試みます」

 何事かを呻いている初老の男性の元に歩み寄ると、緋山は身分証を掲げてみせた。

「大丈夫ですか? 私たちは降魔犯罪特別捜査官です。動けるようであればここからの避難をお手伝いします」

「……ぅ……ぎ、ぃ……」

 返事はなく、男の目は焦点があっていない。否。異変はその瞬間に現れ始めた。

 男の目は赤く腫れ上がり、口、鼻腔、そして耳朶からは無数の蛆虫が溢れ出す。

「戮。この人はだめだ」

「わかっている。構えろ、アシェラ」

「ぃ……ぎぃ、Gyyyyyyyyy!!」

 まるでゾンビのようによろよろと立ち尽くしていた男が突如咆哮する。瞬間。ばごんっ、と音を立てて顎が外れ、唇から内臓が吐き出される――が、それは瞬時に裏返って新しい皮膚となり、宿主を覆い尽くして腐肉の怪物と成り果てる。それはさながら蛆虫のような姿だった。

 むせかえるような血臭が辺りに満ちる。

 ぶちまけられた蛆と蝿が周囲を這いずり、飛び回る。

『やはり〈蝿〉の魔女の使い魔だ。すでに転化し、幼体悪魔である使い魔〈蛆〉と化している。駆除及び討伐許可は下りている。やれ』

「Ugyyyyyyyyyyyyyyy!!」

「……面倒だな」

「っていうか、ぶっちゃけものすげーキモいし?」

 緋山が低く呟き、その背後では六道が肩を竦めてみせる。

 魔女の使い魔〈蛆〉――先ほどまで人間の男だったモノが緋山に狙いを定めて襲いくるが、緋山は瞬時に反応した。むしろ〈蛆〉の方が遅すぎるくらいだった。

 頭があったと思われる箇所を二度正確に撃ち抜くが、それでも〈蛆〉と称された怪物は止まらない。緋山を喰らおうと出鱈目に裂けて空いた口腔をがちがちと噛み合わせながら懐をめがけて飛び込んでくる。その動きは素早く、獰猛な肉食動物そのものだった。

 緋山は即座に肉弾戦に切り替えた。

「ふっ!」

 鋭い呼気とともに姿勢を低くすると、辛うじて人の原型を留めた足元を蹴り砕き、足を絡めとる。身を翻しつつ腕のみを魔術により部分強化する。掌底に寸頸をのせて胴体に打ち込めば、骨の砕けるような音が響き渡る。緋山は〈蛆〉の巨大な口腔を捕まえ喉元を晒しあげると、そこに今度こそ銃弾を撃ち込んだ。確実に二度の発砲。ようやく〈蛆〉は動きを止めた。

 しかし、居合わせた人間が次々と〈蛆〉化し、新しく悪魔の体を受肉していく。その数は合わせて七体。さらに廊下の向こうには無数に立ち上る影があった。

「あはっ、ウケる。ここってとっくに〈蝿〉の女王様のテリトリーってわけじゃん。情報伝達がめちゃくちゃ遅いね。なに、今回はどこの組織のしわざ? フカミン本当は上の方に超嫌われてんじゃなぁい?」

「それには同意。だが数が多い。魔女の識別個体名からしても〈増殖〉だとか〈生殖〉だとかの咒術で強化されている手合いだろ、どうせ。対咒防壁で隔絶されているとはいえ、上階が陥ちるのも時間の問題だ」

「それじゃ、どうするぅ?」

 どこか面白がるように六道――アシェラは緋山の顔を覗き込んだ。

 仕方ないと呟いて、緋山は何かを切り替えたようだった。

「もとより許可は降りている。一階の人質は諦めるぞ。アシェラ、三番から五番を解放しろ。〈拒絶しリジェクト〉、〈強欲にグリード〉〈喰らえグラトニー〉」

「はあい。仰せのままに、マスター

 アシェラが手を挙げると緋山に向かってきていた複数の使い魔が細切れに粉砕される。さらにアシェラから伸びた異形の影がそれらの肉片を余すことなく捉え、不可視の獣がそれらを喰らう。

 状況に応じた素早い対応の切り替えだが、それは大勢を救うために下された残酷な判断でもあった。

「Ugyyy!?」

「Uhgyyyy……!」

「UGHuuuuuuu……!!」

 わずからながらに知性が残っているのだろう。単なる餌として認識していた獲物が予想外の動きをしたことに〈蛆〉たちが動揺の色を見せ始める。

「〈強欲〉と〈暴食〉の指揮権をおれによこせ。あと雑魚はお前が蹴散らせ。おれを魔女のところまで運べばそれでいい。三分だ。三分間だけおれと奴に〈蛆〉を近づかせるな」

「おっけ〜! それじゃお先にどうぞだよ、戮ゥ!」

 自らの魔力で顕現させた黒縄を番えたアシェラが進み出る。

「――〈拒絶〉」

 つい、と指を動かせば駆け出す緋山を追いかけようとしていた〈蛆〉が弾けた。

 続いて、アシェラに標的を変えて殺到する残りの〈蛆〉たちに狙いを定める。

 アシェラはとびきり蠱惑的な笑みでもって迎撃した。

 たまらず使い魔たちがぎいぎいと悲鳴をあげて悶え始めた。

「どう、こわい? 痛い? それともママが恋しい? 大丈夫だよ。すぐにボクの戮が彼女も殺してくれるからさ」

 弾けた側からすぐに倒れていた患者や院内スタッフが受肉し、魔女の使役する低級悪魔として蘇る。

「だから――それまでボクと遊んでいきな!」

 次々と立ち上る使い魔〈蛆〉を屠るアシェラの姿こそ〈魔女〉と呼ぶに相応しいものだった。

「〈強欲〉――〈暴食〉!」

 黒い影の腕が余計な獲物や瓦礫を潰し、不可視の獣が立ちはだかる低級悪魔を喰い殺す。

 緋山はそれらが作る空隙を掻い潜るように疾駆、此度の災害の中心部――すなわち〈蝿〉の魔女の元へ駆けつける。

 黒く長い髪を垂らし、患者衣を身につけた女がひとり立ち尽くし、白い喉を晒して天井のあたりを仰いでいる。

 ヴヴヴヴ、と響く羽音がやけに耳につく。

 辺りには〈蛆〉へと変化しかかった人間たちが無数に横たわり、あるいはふらふらと立ち上がり、徘徊している。

「増殖増殖増殖、腐乱腐乱腐乱腐乱、食屍食屍食屍食屍食屍、増殖増殖」

「完全にイってやがるな。式森、咒的汚染度は何パーだ」

『85%に進行。浄化及び解咒は不可能。予定通り討伐せよとの命令です』

 緋山はちっ、と舌打ちし「了解」と答えた。

 緋山という若い男の肉を前にした〈蝿〉の魔女が反応し、姿を変じる。

 メタモルフォーゼ。充満していた魔力と使い魔から供給されるエネルギーを糧として、魔女が羽化する時が来たのだ。

 ばごんっ、と骨が外れるような音と衝撃にその身を揺らし、口腔を破るようにして飛び出した内臓が花開くように新たな肉体を形作る。ぬらぬらと鈍く輝く血と体液に濡れた蝿の女王。血臭が辺りに満ち、緋山はすん、と鼻をひくつかせた。

 異形の魔女は受肉した羽根を広げ、相手を捕食すべく襲い掛からんとしている。

 ぶぅぅん、という耳障りな音の波が辺りに響き渡り、耳にした者たちが次々に〈蛆〉の使い魔へと変じていく。

 だが、緋山とアシェラは違う。防咒仕様の装備に身を固め、また各々のもつ耐性から羽音を聞いても〈蛆〉へと堕とされることはない。

 アシェラは緋山の方へ向かおうとする使い魔たちを一手に引き受け、倒し続けている。

 魔女あるいは魔人――それを凌駕する悪魔の力を使って。故にアシェラが格下の魔女の能力による干渉を受けることはないのだ。

 そして緋山は肉の触手を蠢かせる魔女を睨め付ける。

 その目の色は深く澄んだ蒼色だ。浄眼とも呼ばれるそれはこの世ならざるものを見ることができ、あらゆる物事の核心を暴く力を持つ瞳である。緋山は浄眼をもつために、対象の邪術に囚われることなく心身を平常のままに保っているのだ。

 もはや人間とは思えぬ勢いで跳躍した魔女が緋山に襲いかかる。

「gyyyyyyyyyy……!!」

「……くそが。〈強欲〉!」

 喚ばわりに答えたアシェラの使い魔――黒き影が幾本もの腕を伸ばし魔女を捕まえる。

「ぎっ、ギィィィっ! このっ――〈増殖〉〈腐乱〉……! ああ、どうして呼ばわりに応じないっ!」

「無駄だ。〈暴食〉」

 横殴りの一撃。不可視の獣が魔女の半身を噛み千切った。

 緋山は一気に距離を詰めると強く踏み込み、必殺の一撃を放つ。崩壊寸前まで強化した剛腕から放たれる浸透頸。触れた瞬間から一拍を置いて魔女の体が弾けるように内部から爆ぜ、ぐるりとひしゃげるような形でリノリウムの床に転がった。

 無惨に千切れた上半身だけになっても魔女は事切れていない。悪魔と化す寸前の強い魔力と自身が〈増殖〉の象徴ともいえる属性の魔女であることから強靭な生命力を持っているのだ。

 身体強化を解き、靴音を響かせて歩み寄った緋山は拳銃を構えると、〈蝿〉の魔女に問いかけた。

「……終いだ。何か言い残すことはあるか」

「あ、あが……こ、ろせ、殺せ。猟犬」

 急速に血と魔力を失ったことで自我が戻っている。

 簡単な人語であればやり取りが可能だった。

「じゃあ最後に答えろ。お前は〈純潔〉の魔女を知っているか?」

「じゅ、ん、けつ……ああ、〈純潔〉! 〈価値〉の名を冠する魔女。知っている。知って、いるとも……そ、れは」

 刹那。内側から〈蝿〉の魔女の脳髄が破裂し、濁った脳漿と脳髄をぶちまけた。

 予兆はなかったが、一瞬だけ早く異変を感じ取った緋山は〈強欲〉の手で自身を庇っていたために爆発による手傷を負うことはなかった。

 ただ静寂だけが残った。

「……くそったれ」

 緋山は魔女の胸を二度撃って拳銃をホルスターにしまった。

 赤い血溜まりが広がっていく。ようやく人間に戻れたその血の証は、しかしそいつの命が溢れて尽きた証拠でもあった。

「状況終了。浄化班、あとは任せます」



 緋山はアシェラを伴って、浄化班に挨拶を済ませ、引き継ぎを行った。

 現場一体の浄化が進む中、彼らが引き上げていく様子を偶然目撃していたSITの隊員が囁き合った。

「あれが特捜の緋山と、その〈道具〉――ブルーブラックか」

「公安降魔犯罪対策係ウィッチハント特捜班、特別捜査官・緋山戮警部。ついた異名が〈断頭台〉に〈魔人殺し〉。相変わらず魔女には容赦がないっすね」

 公安部降魔犯罪対策係ウィッチハント特捜班。正式名称は警視庁公安部公安総務課第六公安捜査第十三係。

 歴史の裏、存在こそしていたものの長らく稼働すらしてこなかったセクションだ。

 魔法使い。または後天的に魔術の摂理を学んだ魔術師。

 その中でも邪法・外法を操り、または悪魔に精神を飲み込まれ、人間に害なす存在へと堕ちた者たちを魔女・魔人と称する。

 違法な魔術の行使により重大犯罪を犯した者を取り締まり、禁忌を犯した魔人・魔女を逮捕、討伐、場合によっては保護する。また、善き魔女・魔人の保護や要人警護を担う場合もある特別捜査部門。それがウィッチハント特捜班だ。

 広域捜査、潜入捜査、囮捜査。突入に戦闘。諜報活動。相手が魔法使いであることを除けば他部署と仕事はそう変わらない。

「残酷な人。僕は好きになれないな」

「……そういうな。あれで魔女の討伐及び検挙数はトップなんだ。俺らだって助かってるだろ。それにあいつの苛烈さは訳ありのもんだそうだ」

「だとしても禍根を残す殺し方でしょ、あの人はいつも。〈必中〉の能力持ちだとしても、過剰に攻撃的っていうか現場主義っていうか。あれは上から嫌われるタイプだわ。僕は関わりたくないっすよ、彼もあの〈道具〉も」

「……ああ。アシェラガラン=クイゼ・六道。奴は民間刑務所ジャイルの元永劫囚だってな。〈拒絶〉の魔女・アシェラガラン。それをどうして魔人嫌いの緋山が拾ってきたんだかわからんが、あいつの方はぞっとしないな。見ろよ、あの漆黒の肌に青い髪と瞳。あれこそモノホンの魔女だろうが」

 緋山たちを遠巻きに謗る言葉が突如遮られた。

「あ〜、ウケるゥ。聞こえてるんですけどォ?」

 よく通る蠱惑的な声。闇を切り取ったかのような姿がそこに在る。

 光を通さぬ漆黒の肌。人間に化けた淫魔のような美貌。卑猥なまでに形の整った色艶のいい唇が毒気たっぷりに弧を描く。

「ねーえ、戮。あいつらもついでにぶっ殺してけば? 今回は急拵えもいいところ、捜査体制だってザルなんだ。〈蛆〉の宿主だって報告しちゃえばワンチャンバレないかもよォ?」

 甘ったるいがどこか凛と響く心地のよい低い声。ただし紡がれる言葉はどこまでも物騒で。

 アシェラガラン自身はただふざけているらしく、なおも食ってかかろうとしたこの青年を制したのは緋山だった。

「やめろ。この後、深海課長に報告があるだろう」

「え〜でも戮ぅ、こいつら戮のことだって色々言ってたよ。ボクはそっちのが気に食わないんですがぁ」

「おれはいい。皆さん、こいつが……おれの〈道具〉がすみませんでした。人質の救出と警護、お疲れ様です。本日も援護をありがとうございました」

 緋山はあくまで真摯に謝罪し、頭を下げた。そして次に声が掛けられるまで頭を上げなかった。

「いや、いいって。俺たちこそ世話になったな。次も頼むよ」

「……っす」

 顔を上げて、SITの班員たちが去っていくのを見送る。

 後ろ手を組んだアシェラガランだけが不満気な顔でその様子を見つめていた。

「戮のばか。戮が一番人間に対して怒っているくせに、なんでそんなに他人に甘いの」

 アシェラガランはその美貌を軽く歪めて拗ねていた。

 緋山は聞き分けのない弟分でもみるようにしてため息を吐いた。

「なにがって、仕事中だからだ。……帰るぞ」

 朴訥とした言い方だったが、緋山は最大限にアシェラガラン――〈道具〉であり相棒でもあるアシェラを気遣っていた。それをアシェラもまたわかっているようだった。

「……うん。戻ろう。ってか戮、手が血まみれだよ。怪我?」

「これは返り血だ」

「なんだ、そっか。どれ、拭いてあげるよ」

「いらない」

「けちー」


 §


「なんでコンビニなの! ボクは来明軒のカレー南蛮が食べたいんですけどぉ!」

「報告がまだだ。それにおれは新作のコーヒーを探している」

「このコンビニマニアめ! どうせ寄り道するならお食事くらいイイじゃん」

 アシェラがぷんぷんと怒りながら駄菓子のコーナーに移動する。それを後目に緋山は真剣な眼差しで秋の新商品を値踏みしていた。

 加糖に微糖、無糖、カフェインレス。新商品が目白押しのドリンクコーナーを見てまわり、これぞという品をカゴに入れていく。

 それを追尾したアシェラが同様に駄菓子コーナーを見繕っては菓子を紛れ込ませていくが、緋山は一顧だにしない。アシェラの悪戯をいちいち気にしていてはどんな店にも入ることなどできないだろう。

「増えたよね」

「カゴの中身か? お前の仕業だろうが」

「魔法使いや魔術師の話さ」

「ああ……というか、それもお前らの仕業だろうが」

「それは結果論でしょう」

「それでもだ」

 現代。今や、魔法使いや異能力者の存在は世間に広く知られて久しい。

 外を歩けばマイノリティの人間とすれ違うくらいの確率で魔法使いあるいは魔術師に出会うような状況だ。人々は魔法や魔術の存在に気づいていて、その恩恵を享受し、時にはその脅威に晒されている。

 だが、それはすべて突然の出来事がきっかけだった。

 十年前。〈災禍の九人〉と称される魔女・魔人たちが異界への扉を開いたことにより、この世に大量のバグが発生した。世の法則が捻じ曲げられ、理は書き換えられ、一部異世界と化したこの世において、その力――魔力を用いることのできるようになった者たちがいた。

 新しい環境に適応したともいうべき一握りの人間が魔力を行使できるようになり、世界情勢が一変したのだ。

 魔法使いや異能者、魔術師は貴重なリソースとみなされ、各種の勢力あるいは国家間での奪い合いが起き、それは今でも続いている。

 科学が魔法と一部置き換わって、生活も多少は変わるようになった。

 当時十九歳で学生だった緋山も〈災禍の九人〉事件が発端となり、魔法の能力に目覚めた人間だった。

 幼い頃からの夢だった警察官になるという目標をかなえるために進路を定めていた緋山は結果的には少し変わった形でその目標を叶えた。

 魔力があり、魔法の適性があること、そしてその能力が決め手となって今の警視庁公安部公安総務課第六公安捜査第十三係に配属されることとなったのだ。

 十年の間に法整備が進み、魔法使いや異能者による犯罪あるいは魔法使いや異能者をめぐる犯罪を取り締まる体制も整えられていった。

 未だ不十分な所も多々あるものの、こうして日常生活が営まれている裏には緋山たちのような存在の寄与するところが多少なりともあるのだった。

「四千三百八十五円です」

「……いや菓子買いすぎだろヴォケ」

「えー。だってさっきボクがんばったじゃ〜ん。ご褒美がほしいな〜って思ってぇ」

「だれもやらんとは言っていないんだが?」

「やった。それじゃあこれは戮の奢りねぇ」

 そういって手のひらを振り、アシェラは一人で先に店を出てしまった。

 渋々会計を済ませた緋山は先に店外に逃げていたアシェラに追いついた。背後から冷えた缶コーヒーを差し出す。

「……ほれ」

「ん〜? なにぃ、ボクの分もコーヒー買ってくれてたんだ。それじゃ、お菓子とか無理やり買ってもらう必要なかったね。うれしい。あはっ、ウケる。微糖って子ども扱いひどくない?」

 賑やかに笑いながらアシェラはプルタブを起こして缶コーヒーを一口啜った。

「……苦い」

 不味そうにしながらもアシェラは缶が空になるまでコーヒーを啜っていた。

 二人が道すがらにすれ違った若者は煙草に自分の魔法で火を点けていた。

「……誰もお前が原因とは思わないだろうな」

 緋山はひとりそうごちた。

 アシェラは聞こえていなかったのか、聞こえないふりをしたのかわからなかったが、何も言わなかった。

 アシェラガラン=クイゼ・六道。

 彼こそが〈災禍の九人〉の一人――〈拒絶〉の魔女なのだった。


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