19.地下都市①

「ウルフ・フォースを摘発する事になりました」


 翌日、ハインリッヒは朝早くからブルーノからの電話を受け取っていた。


「外国人に対する傷害容疑で、行政局の治安部隊が拠点や施設を制圧する予定です」

「我々を出汁にしたのか?」

「その側面もありますが、帝国に対してポーズを取る必要もございます。特に貴族であるお二方が襲われたとあっては、こちらもわざとらしく大騒ぎしないと貴国の怒りを買う可能性が……」

「みなまで言うな。事情は理解した。この電話も帝国に対するポーズの一環と見なして良いのか?」

「ご賢察、恐れ入ります。それでは」


 ハインリッヒが受話器を置くと、あまり健全ではない笑みを浮かべたセラフィーナが言った。


「これで私たちを邪魔する連中がいなくなるわね」

「そう簡単に行くと思うか?」

「上手く行かなくても、私たちは指輪を掠めとれば良いだけでしょ?」

「まるで盗賊みたいな言い種だな」

「危険物を回収する、真っ当な仕事よ」


 平気な顔でセラフィーナが言うので、ハインリッヒは思わず納得しかけてしまう。が、すぐに冷静な思考を取り戻す。確かに指輪さえ回収すれば良いのだが、その過程で生み出される周辺への被害を考えねばならない。何より自分たちは学校の実習で国外に来ているのだ。


 もう遅いかもしれないが、好き勝手に暴れるのは最終的な手段だ。ハインリッヒは改めて自分に言い聞かせる。


「今のところ俺たちはまだ〝帝国からの実習生〟という体裁を保っている。課外授業の期間中に何もかもを片付けて、そして何も無かったように帰るのが目標だぞ」

「分かってるわよ、それは。だけど、事態はあなたの思うようには行かないわよ。全人類があなたの言う理性的な生き物じゃないって事を勉強すると良いわ」


 露骨に嘲りを交えた声で言うセラフィーナを、ハインリッヒは無意識に睨み付ける。今のセラフィーナの発言は、まるで事態が悪い方向へと転がっていくのを期待しているようではないか。そんなに戦いたいか。ハインリッヒは婚約者の攻撃性に批判的だった。


 とはいえ、セラフィーナの言う事にも一理あると思っている自分がいるのをハインリッヒは自覚していた。今の状況にしたって、全く理性的とは言えない。自分の思い描いていた冷静な話し合いによる取引などはもう出来ない。


 いっそのこと、治安部隊の摘発に便乗するのはどうだろうか。どさくさに紛れて指輪をかっさらうというセラフィーナの案は、過激だが一番現実的だった。何せ相手は犯罪者の集団なのだ。適当な理由をでっち上げて壊滅させても、むしろ称賛されるに違いなかった。


 だが、この方法は要らぬ注目を一手に集める結果を生む。ハインリッヒとセラフィーナは遺跡からの脱出で一躍有名人となったが、二人の容姿のおかげでその熱は未だ冷めていなかった。その上で何か問題を起こせば、ますます人目を引くのは必定だ。


「君の言いたい事は分かっている。だが、まだ俺は可能性があると思っていたいんだ」

「甘いわね、糖蜜みたいに甘い。世の中には力によってしかもうを開けない相手がいるのよ?」

「……君が今まで相手にしてきた連中がそういう劣った連中だったって事はないのか」

「あなたの要求水準が高すぎるの」


 そうやって言い合う間、二人の距離は少しずつ近づいていた。気づけば互いの鼻がぶつかりそうなほどに接近している。


「……今日の予定は?」

「昨日貰った資料を精査したいんだが」

「私はスッキリしたいわ」


 セラフィーナの直接的な言い方に、ハインリッヒは眉をひそめる。


「気分じゃない?」

「ああ。前にしたからな」

「欲が薄いわね」

「我慢出来ないなら一人で済ませてくれ」

「一人で……って、え、何? 目の前で──」

「誰が俺の前でしろと言った?! バスルームとかでやってこい!」

「怒らないでって。……ウフフフッ、あははっ! ああ~おかしい」


 必死に叫ぶハインリッヒがあまりにも面白く、セラフィーナは笑い転げてしまう。


「童貞でもないのに何でそんなに初々しい反応するの?」

「性的な話題を臆面無く持ち出してくる婚約者相手にならこうもなろう」

「ゴメンゴメン。十分笑わせてもらったわ。じゃあ言われた通りしばらくバスルーム使うから、その間に調査はお願いね」

(結局するのか……)


 有言実行の鑑であるセラフィーナの後ろ姿は、どことなく妖艶であった。


 *


「バッジ・セブンの構成員?」


 書類の決裁を済ませ、一服中だったブルーノは、電話を通して部下からある報告を受けていた。


 曰く、ウルフ・フォースの施設制圧中にバッジ・セブンの構成員が現れ、治安部隊と銃撃戦に発展したと言うのだ。


「撃ち合ったのはウルフ・フォースの信者じゃないのか? 確かなのだな? 分かった、ある程度情報が集まったら報告してくれ」


 電話を切ったブルーノは、ため息とも唸り声ともつかないものを漏らした。


「何だ、何が……」


 状況が混乱し始めている。一つの事態を理解し対応する前に、次々と別の事態が発生する。意図せず蜂の巣をつついてしまったような感覚にブルーノは身体を震わせた。


 この数日で何もかもがメチャクチャだ。ブルーノはただそう思った。


 ふと、つい最近知り合った貴族のカップルの姿が思い浮かんだ。根拠は無いが、あの二人が現れてからいろいろな事が起きているような、そんな気がする。今まで隠しきれていた事が、突然白日の下に晒されていくような……。


 いやいや、考えすぎだろう。ブルーノは頭を切り替える。バカな事を考えている暇があるのなら、情報収集に務めねば。彼は部下たちに指示を出すべく受話器を取った。


 *


 バイトーゼ最大の犯罪組織と謳われるバッジ・セブンの首領、アニア・セブンは困惑の中にあった。


 勝手に部下が動き、よく分からない宗教団体を守るために行政局の治安部隊と銃撃戦を繰り広げたという。最悪なのは、報告が来たのは何もかもが終わった後だという事だ。


 アニアは、自分が組織の中ではかなりの若輩であると自覚していた。バッジ・セブンの伝説的な創設者スローム・ジェムに拾われた七人の子供たち。成長して幹部になるまでにほぼ全員が死んでしまった。生き残っているのは自分と、恐らくは逃げ出した一人だけ。


 スローム死後、幹部会で首領に推薦されて以降、アニアは多くの若者を引き入れてきた。構成員の質は下がってしまったが、凋落しかかっていた組織の規模は回復させられた。


 だが、古参幹部たちはアニアのやり方に賛同していなかった。規模は縮小しても、バイトーゼで最初に興ったギャングという輝かしい歴史は残っている。それがあれば我々の地位は不動のままだと。


 もはや病気だ。アニアは真顔でそんな事を言う古参幹部連中を見てそう確信した。外様ながらも確かな実績を積み上げてのしあがったサルダという男がいなければ、自分は今頃暴発しているに違いない。


 ピルケースから白い錠剤を数粒取り出し、それを噛み砕く。途端に苛立ちが収まり、冷静な思考が戻ってきた。


 タイミングを見計らったかのように、パンテルミナ人の男が部屋に入ってきた。アニアがバッジ・セブンの首魁になってからは完全に側近の立場となっているサルダ・ハイムルズだ。


「ハイムルズ」

「今分かっているだけの情報を集めてきました」

「この状況でまともなのはお前だけだな」


 恐縮です。とサルダは頭を下げる。


 サルダからもたらされた情報に、アニアは頭を抱えたくなった。治安部隊への攻撃が大義名分となり、行政局は本格的にバッジ・セブンと対決しようとしているという。敵対的な他の組織も次々と行政局に転向し、あることないことを〝情報提供〟しているとも。


 敵しかいないようだ。アニアは自分でも分からないほど冷静に状況を受け入れていた。


「これからどうしますか?」

「これから? そうだな……」


 アニアは顎に手を当て、思案する素振りを見せる。ややあって、前々から考えていた非常時の対応を発動する決断をした。


「一時解散……」


 サルダは目をみはった。


「まだ連絡のつく連中に、しばらく身を隠すよう伝えろ。まだ逃げ先は完全に確保出来ていないが……」

「早まる事はありません。まだ反撃は出来ます」


 バッジ・セブンの首魁はかぶりを振る。


「もう各所で部下たちが襲われてるんだろう? この状態で糾合して反撃に出るのは難しい。まだ残ってる幹部連中を集めろ。この決定を知らせる」

「本気ですか」


 パンテルミナ人の幹部は教師か何かのような声で質した。若いギャングスターはただ頷くだけだ。


「……了解しました」


 サルダが部屋を辞去すると、アニアは豪奢な絨毯に視線を落とした。彼の豪華な私室には、ただ静寂が流れている。


「やっぱり俺には向いてなかったか……」


 アニアはそれだけひとりごちた。


 同じ頃、バイトーゼの各所でバッジ・セブンの構成員がことごとく逮捕されていた。中には抵抗する者もいたが、ほとんどは殺された。


 崩壊は多くの者にとっては突然訪れた。ルーチンワークのように麻薬取引やみかじめ料の回収を行っていた下級構成員らは、状況をしっかりと理解出来ないまま捕縛されていく。


 だが、中には事態を目ざとく察知し、アニアの意思に従った者もいた。ごく一部は、独自に逃げ道を見つけいずこかへと消え去った。


 都市中がバッジ・セブン壊滅の報に種々の感想を抱く中、その原因となったカルト結社の存在は、いつの間にか忘れ去られている。それが目的であると知っているのは、ただ一人しかいない……。


 *


 至る所で銃撃戦や逃亡劇が行われている中、帝国からやって来た学生二人はホテルにいた。セラフィーナはファッション誌を読みふけり、ハインリッヒは個人的に行っている研究の論文を書いていた。


「ねえ~、暇なんだけど。お出かけしちゃダメ?」


 仰向きでソファーに寝転がっていたセラフィーナが言った。元来落ち着いていられない性のセラフィーナは、真面目な顔で書き物をしているハインリッヒをうさんくさそうに見つめている。


「今は大捕物の最中なんだ。俺たちがホイホイ出ていって事態をこじれさせる訳にはいかない」


 キーボードを叩く指を止めずハインリッヒは言った。ハインリッヒの使うパソコンはキーボード部分がタイプライターの文字盤のようになっていて、モニター部分が幻影魔術を利用したホログラムというチグハグな代物である。


「だからってこんな場所でダラダラしてるのは~。……やっぱりどさくさに紛れて指輪回収しない?」

「どうしてそう急ぐ。まだ時間はある。まだ行っていない店なんかが──」

「もう良いわ。飽きちゃった」


 臆面も無くセラフィーナが言ったので、ハインリッヒは呆気に取られた。


「何だって?」

「飽きちゃった。もう気になってるお店は行っちゃったし、欲しい物も買えたし」

「俺の金でな」

「分かってるわよ、それは。後でちゃんとお礼するから。だけど、そろそろ実物をお目にかかりたいわ。あなたの推察が本当かどうかも確かめないといけないしね」

「……」


 セラフィーナの刹那的な快楽主義に頭を抱えつつも、心のどこかでは同調している自分がいる。ハインリッヒはそう自覚していた。理性ではもう少し静観を決め込んだ方が良いとしつつも、感情の方はさっさと指輪を奪い取れと囁いてくる。どうしたら良いのか。


 ハインリッヒが悩む間、セラフィーナはゆっくりと彼に近づいていた。背中からハインリッヒに抱きつき、きめ細やかな頬をすり寄せる。


「おい」

「美少女に抱きつかれた反応がそれ? 贅沢な男ね」

「君が美女なのは認めるが……それ以外の面でその利点を殺しているからな」


 セラフィーナの浪費癖を諫める意図を、ハインリッヒは言外に込めた。だが、対するセラフィーナは揺るがない。


「またそんな事言って。あなたが貴族にしては質素な暮らしをしているというのはこの数日で知れたわ。けどね、世の中には私以上に散財して家を傾けている貴族だっている事を知って欲しいわ」

「俺が何とかしたいのはその歳で300万ライヒスを払わせる君の鉄面皮なんだが?」


 300万ライヒスは、普通乗用車一台分ほどの値段である。それを服やらアクセサリーやらで使ったのだから、ハインリッヒの倦怠けんたいは推して知るものがあった。


「だってお父様もお母様も鍛練や勉強ばっかりさせて好きな物は何にも買ってくれなかったんだもん!」


 急に駄々っ子になるセラフィーナ。ハインリッヒはそれを丁重に無視し、今現在も行われているであろう大捕物の進捗を訊こうとブルーノに電話をかけた。


「仕事は順調か?」

「おかげさまで。既にバッジ・セブン構成員の半数は行政局が逮捕しました。収容所が満杯ですが……そこは私の関知するところではありません」


 管轄外の事はどうでも良いという態度は、ブルーノだけの特性なのか。ハインリッヒはそんな事を考えつつ彼の話を聞く。


「ところで、お二方が探していた指輪ですが、所在が掴めました」

「本当か?」

「アニア・セブンのコレクション内に該当すると思われる物を発見しました。治安部隊に先んじて我々が回収しております」


 ハインリッヒは満足感からため息が出た。


「率直に言って、けいの有能さには感嘆する。バイトーゼでの仕事をクビになったら、帝国での官職を斡旋してやろう」

「そのお言葉だけでどんな褒賞にも勝りましょう。それではすぐに届けますので、今しばらくお待ちください」

「早いな。セラフィーナなどはウルフ・フォースの拠点を襲撃してやりたいなどとほざいていたが」

「恐縮ながら、ウルフ・フォースの施設は完全に行政局の管理下に置かれたので……」

「冗談だ、冗談。これで我々も帝国に帰れるというもの。余所者の我々に何かと便宜を図ってくれた事、感謝する」

「こちらこそ。お二人の息災を心より願っております」


 電話は切れた。ハインリッヒはえもいわれぬ達成感にとらわれ、少し気分が高揚していた。


 これで帰れる。あの傲慢な魔王のお使いも終わりだ。シェイプシフターと別れるのは少し惜しいが、魔王の使徒などという恐ろしい肩書を手放せるのなら何でも良い。


 


 


 




 


 


 

 


 


 






 

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