7.申請③
二日後、ハインリッヒは学院に登校したセラフィーナと会っていた。
二人は高位貴族の子弟や子女のみに入室が許されたサロンで話し合っている。本来ならば授業の時間なのだが、ハインリッヒとセラフィーナは学院での生活を他家との折衝や、道楽程度にしか認識していなかったため、興味のある科目しか取っていない。
そもそも貴族の家では幼い頃から家庭教師を雇って英才教育を施しているので、平民の子が何かしらの教育機関に入学する年齢になる頃には、学校で学ぶ事をほぼ全て学習しきっているという場合が多かった。
帝国魔術学院も例外ではなく、貴族出身の生徒の中にはハインリッヒやセラフィーナのように興味を持った教科だけ取り、後は好きな事をしている者もいる。
学院ではこういった生徒を〝有閑生徒〟と呼んでいるが、有閑生徒になるには筆記と実技のどちらかを選べる高難度の試験に合格しなければならず、その合格率は低い。時代によって内容は違うが、帝国暦122年に制度が開始されてから、合格者は合計で406人を数える。多いように思えるが、学院は帝国とほぼ同じ720年の歴史を誇るので、その長さと比べれば限りない少なさだった。
「一日休んだのはどうしたんだ?」
「幼馴染がね……」
「幼馴染がいるのか」
「士官学校に通ってるの。わざわざ休暇を取って私に会いに来たのよ」
「男か?」
「ええ」
「きっと君のことが好きなんだろうな」
「だとしても、断るわ。悪いけど……」
「そうか」
ハインリッヒはほんの少しだけ罪悪感に苛まれた。なんだか幼馴染からセラフィーナを横取りしたような感覚を覚えたからである。
「……ところで話は変わるが、昨日叔父様に君との婚約について話し合ったよ」
「えっ?! なんて言ってた?!」
丸テーブルに両手を叩きつけ、セラフィーナは婚約者候補に詰め寄る。幼馴染の話とのテンションの違いに、ハインリッヒはほんの少しだけ驚いた。
「ああ、前向きに検討してくれるって」
「素敵。もしも正式に婚約が決まったら、あなたに尽くすからね」
「よく言う。君が俺の話に食いついたのは、クルツバッハ家の財産が目当てだからだろ?」
「あら、悪い? 頼めば何でも買ってくれるじゃない」
セラフィーナと行動を共にするようになってから、ハインリッヒは金銭の絡むあらゆる事を引き受けてきた。食事の支払い、ショッピングの会計、公共バスやタクシーの乗車料金……。どれもこれもハインリッヒにとっては安い金額なので、払うことに忌避感は無かったが、セラフィーナの良いように使われているという感覚は拭えなかった。
どういう訳かハインリッヒがセラフィーナの為に金銭を使っている話は学院に広まっており、生徒たちの間では二人の関係について様々な憶測が飛び交っていた。美人で知られるセラフィーナの好意を受けるハインリッヒへの嫉視は猛雨のようだったが、彼の容姿と経済力に勝てる者はそうそうおらず、遠巻きに歯ぎしりするのが常だった。
「今度は新しい服が欲しいわ」
「本格的にたかり始めたな。浪費家にだけはなるなよ」
「実家では質実剛健とか言って贅沢をさせてくれなかったの。だからあなたに甘えるの」
「寄生先を見つけたって訳か」
「人聞きの悪いこと言わないで。良妻がこうやって自ら来たって言うのに」
「良妻? ……ハア」
バカらしくなったハインリッヒはため息を隠そうともしない。彼はすぐに話題を変えようと決意した。
「また話は変わるんだが、その時にちょっと叔父様から気になる事を言われてな」
「床の崩落が人為的なものだったって?」
「どうしてそれを」
「私もお父様から聞いたの。不自然な魔力の滞留があったってね」
セラフィーナは縦ロールにした髪を指でいじる。
「遺跡が封鎖された後、知り合いの魔術師に依頼したらしいわ。本当にただの事故なのかやっぱり気になるって」
「こっちに聞いてくれれば……」
「お父様は何でも自分でやらないと気が済まないの。ということは、あなたの方も調査したの?」
「いや、違う。俺の方は魔術省からの情報だ。叔父様の友人が言うには、調査結果は隠蔽されて、代わりに嘘が報道されたとの事だ」
「つまりニュースでは……待って」
セラフィーナの切れ長の目が見開かれた。
「魔術省が隠蔽したって事は、私たちを暗殺しようとした連中には政府の人間も関わってるって事じゃない!」
「そういう事だ。なんかめんどくさい事になっちゃったな」
「何でそんなに軽いの。貴族である私たちが政府に狙われてるのよ!」
「落ち着けよ。政府が狙ってるんじゃない、政府の一部が狙ってるんだ。間違えるな」
「同じようなものよ」
「同じじゃない。そして興奮するな。こういう時こそ冷静にならなきゃな」
「へえ、さすがは経験者。なら、暗殺者の魔手から逃れる術を教えて欲しいわ」
セラフィーナの皮肉を、ハインリッヒは冷然と受け止める。細めた目で伯爵令嬢を一瞥し、茶菓子として用意したクッキーに手を伸ばした。
「今度はこちらから動く。俺と君の婚約を大々的に発表するのさ」
「それが対策?」
「敵の性質を知る為だ。こちらのやる事なす事にいちいち反応するタイプなら、俺たちの婚約をめちゃくちゃにしようと手を打ってくるはずだ」
「どうしてそうなるのよ?」
「そうだな……。俺はこう思ったんだ。あの事故が起きるまで、俺と君には面識が無かった。あの時俺が君を呼び止めたのが初めてだ。床が崩れるまでの事を憶えてるか?」
「あなたとおためごかしの会話をして、皆と離れている事に気づいて通路に駆け出した時に──」
「──崩れた。まるで俺たちが二人並んで移動する事を前もって知っていたかのように仕掛けられている」
「一応聞いておくけど、あなたの自作自演じゃないわよね?」
「んなわけあるか。殺し損ねた末に魔王の使徒になるなんて、笑えないだろ。それを言うなら、君が犯人じゃないのか?」
「冗談。実家はともかく、私はクルツバッハ家に敵意を持っていないし、恨みも無いわ」
「だろうな」
そうは言いつつ、ハインリッヒは内心胸を撫で下ろしたい気分だった。もしもセラフィーナが敵だったら、戦闘力の差というよりも、精神的な面で打ちのめされていたであろう。ハインリッヒは一安心できる相手を求めるタイプだった。
「でも、そう考えたら暗殺者も可哀想ね。私たちを殺し損ねた末に魔王の使徒となって生還してくるんだもの」
「それは確かにそうだな。……ん?」
ふと、ハインリッヒの脳内である考えが浮かび上がった。
「どうしたの?」
「……今ちょっと思い付いたんだが、この事故はあの魔王が絡んでるんじゃないか?」
「大丈夫? 考えすぎて頭おかしくなった?」
「考えすぎなのは認める。だが辻褄が合わない訳じゃないんだ。つまり、こういう事だ」
ハインリッヒの考察はこうである。
魔王の一柱、リミルス・ガルミネアは自分に代わってアーティファクトを集めてくれる使徒を求めていた。しかし、部下の魔族を使うと要らぬ騒ぎを起こしてしまうし、人間の信者の中にもこれぞという人材はいない。
業を煮やしたリミルスは、自分の水準に近い人間──ハインリッヒとセラフィーナを自ら探しだし、信者に命じて二人が自分の前にやって来るような状況を作れと命じた。信者は何らかの方法で考古学実習の授業でハインリッヒとセラフィーナが一緒になる事を知り、そこで罠を仕掛けた……。
「待って待って。あまりにも荒唐無稽だわ」
セラフィーナはハインリッヒの話を躊躇なく遮った。
「何で?」
「だっておかしいもの。私とあなたがあの授業で一緒になる事をどうやって知るっていうのよ。方法が無いじゃない」
「それは本気で言ってるのか?」
「こっちのセリフなんだけど」
プラチナブロンドの少女は疑心の念を隠そうとしない。どう説明するつもりなのかと挑むような目でハインリッヒを見る。
「予知魔術。あるいはそういった機能を持つアーティファクトを使えば、俺と君が一緒になるタイミングを割り出す事は不可能じゃない」
「予知魔術って、かなり精度が悪いじゃない」
「何を言ってる。現代の天気予報は気象学と予知魔術を織り混ぜて作ってるんだぞ。信頼できるれっきとした魔術なんだよ。アーティファクトの方だが、これはちょっと自信が無い。何せ予知能力を持つアーティファクトなんて聞いた事が無いんでな」
「でも、ちょっと……。有力な推測だとは思えないわ」
「本気にしなくても良い。あくまで可能性の一つだと思ってくれ。魔王は人間界のルールから完全に逸脱した存在なんだ。何を考えていても不思議じゃないって事を頭の片隅に入れてほしい」
「警戒はするわ。適度にね」
縦ロールにした髪を軽くなびかせ、脚を組み直したセラフィーナが優雅な動作で紅茶をすする。
所作の一つ一つにハインリッヒが思わず見とれていると、不意に外から大きな音がした。爆発音である。
「え?」
セラフィーナの間の抜けた声を背に、ハインリッヒは窓を開けた。二人のいるサロンは建物の二階にあり、生徒たちがよく使う道を見下ろす事ができる。
視線の先では、防護魔術を発動している男子生徒と、別の男子生徒が相対していた。
「てめえ、貴族に向かって何様のつもりだ!」
金髪の生徒が、防護魔術を発動している黒髪の生徒に向かって叫んだ。
「貴族だろうがなんだろうが、抵抗できない女の子に暴力を振るうのは許せない!」
黒髪の生徒が毅然として答える。よく見ると、黒髪の生徒の後ろには女子生徒が一人へたりこんでいた。
*
帝国魔術学院は魔道に学ぶ教育機関だが、だからといって魔術を自由に行使する事はできない。校則によって、授業時間外や無許可での魔術の行使は厳禁となっているのだ。例外として〝緊急事態などの切迫した状況〟に限って魔術の行使が許されているが、緊急事態などというものがそうそう起きるはずもなく、ハインリッヒもそう考えていたのだが……。
「何なの? 何の騒ぎ?」
セラフィーナがハインリッヒの隣に立って外を見下ろす。火球を放った金髪の男子生徒と、それを無力化した黒髪の男子生徒の対決を見て、伯爵令嬢は唖然とした。
「バカじゃないの?! 校内での魔術は禁止でしょう!」
「熱くなっているな。止めるぞ」
「私たちが?」
「権威ある俺たちが止めればこそ、学校の面子が保たれるってもんだ」
この場合の〝権威〟とは、実家の事を指す。貴族は権威を笠に着て威張るが、それと自分より大きな権威に何より弱いことをハインリッヒは知っているのだ。
「……すぐそういう発想が出るあたり、あなたも生粋の貴族ね」
「君ほど意識してないがな。……さて」
ハインリッヒは軽く息を吸い、声を張り上げた。
「両名とも止めよ! 校内での魔術の行使は禁止されていると知っての
普段はどこか人を食ったような、軽い声音なのに、今の彼はどうしたことか。セラフィーナは純粋に驚いていた。中性的ながらもよく通る威厳のある声。彼女はいつか聞いた父親の声を思い出していた。あれはどこかの演習場で見た兵士たちの訓練の事。セラフィーナの父は教官として士官候補生に檄を飛ばしていた。声質は全く違うが、様子は全く同じのように思えた。
ハインリッヒの声は眼下の二人、そして居合わせた他の生徒たちの注意を引いた。
しかめっ面をしていた金髪の生徒は右手に生成していた火球を声のした方に投げ入れようとしたが、ハインリッヒの姿が目に入った途端に態度を変えた。
「あ──」
「その手の火球を消せ。皇帝陛下の
「それは……ええと……」
金髪の生徒は冷や汗を流してハインリッヒを直視している。ハインリッヒが視線を動かさないので、自分も動かせないのだ。
「あれってクルツバッハの……」
「え? 誰?」
「ほら、遺跡での事故から生還した貴族の……」
「さすが大貴族だな、すげえ」
周囲の生徒たちが囁く。学院においてハインリッヒの名を知らない貴族はいない。平民階級はともかく、王朝
ハインリッヒが
「アルム!」
先頭を走る少女の呼びかけに、黒髪の生徒が反応した。セラフィーナはその女子生徒の姿を見てわずかに口を開けた。
「クラウディア第四皇女……!」
「ん?」
ハインリッヒは目線だけを動かす。イエローゴールドの美しい長髪をツーサイドアップに留めた少女は黒髪の男子生徒をなだめるように話しかけた。
「どうしたの?」
「コイツがこの子に暴力を振るおうとしたんだ!」
「本当ですか?」
「ぐっ」
金髪の男子生徒は少女に睨まれ、たじろいだ。セラフィーナは状況がこじれ始めた事に気づき、傍観者であるにも関わらず焦燥感を覚えていた。
「ああ、事態が面倒な方に──」
「今、手を引くと言うのなら、貴公の失態は忘れる。どうする?」
セラフィーナの声を遮る形でハインリッヒは事態の打開策を半ば強制的に提示した。金髪の男子生徒の表情がほんのわずかだが和らぐ。しかし黒髪の男子生徒は反発した。
「何だよ、それは! そっちこそ、急に割って入って何のつもり──」
「やめなさい、アルム!」
セラフィーナに第四皇女と呼ばれた女子生徒が黒髪の男子生徒を制止する。ハインリッヒは金髪の男子生徒に向かって今すぐ立ち去るよう顎を軽く振って指示した。
金髪の男子生徒はハインリッヒに頭を下げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「無理やりに解決させたわね……」
「ありがとう。クルツバッハ侯爵家の嫡子、ハインリッヒ様とお見受けしますが」
「その通りです。第四皇女殿下」
ハインリッヒは礼儀正しく答えた。普段の印象とは異なる姿にセラフィーナは胡散臭さを感じて肩をすくめた。
「よろしければ、お茶をご一緒しませんか」
「喜んで」
ハインリッヒはやはり礼儀正しく、人の良い笑顔で言った。
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