09
今年の梅雨入りはまだらしいが、六月になった途端に雨が降った。電車の中で、ワイヤレスイヤホンから流れるプレイリストを聴きながら、窓の向こうをぼんやり眺めて登校した。
教室に着くと、陽希が先に来ていて、他の男子と話していたが、僕に気付くと輪から離れて寄ってきた。
「おはよう千歳。今日さ、部室行けねぇの。親父が帰ってきて誕生日の外食しに行くから」
「ん? どういうこと?」
どうやら陽希の父は単身赴任をしているらしい。その流れで陽希が一人っ子であることも知った。
「それでさ、親父がメトロノーム買ってくれてるって! 今までスマホでやってたけど、ちゃんとした機材欲しくてさ」
「そっか。よかったね」
僕は放課後、部室に行くかどうか迷った。静人と大我とは、やや打ち解けてきた気がするが、まだ腹を割って話せるとまではいかない。
――陽希がいないのはいい機会かもしれない。
あの二人のことをもっと知ってみよう。そういうつもりで部室に行った。
「あれ? 陽希は?」
部室には大我だけがいて、ベースをいじっていた。
「家族で外食だって。大我こそ一人じゃない。静人は?」
「日直で理科室の片付け手伝わされてるよ」
僕はまず、無難な話題を出した。
「雨の日は通学どうしてるの?」
「でっかいレインコートをリュックサックごと着てチャリ。よっぽど雨が酷かったら早起きして歩くけど、けっこうかかるんだよ」
「大変だなぁ」
「電車の方がしんどそうなイメージあるよ?」
毎週金曜日の帰りの電車のことが頭に浮かんだ。結局のところ、僕は毎回陽希に「守って」もらっている。そんなことを言うのは恥ずかしいのでここでは言わない。
「まあ……座れたら楽だよ。音楽聴いてたらすぐ着くし」
「歌の練習進んでる?」
「うん。歌詞はけっこう覚えてきた。改めて聴くと、やっぱりサクラナミキの内容って切ないよな」
大我がスマホを取り出し、「サクラナミキ」を流し始めた。
「千歳はさ……好きな人できたら、どうする? 想い伝える? それともこの歌詞みたいに伝えない?」
「えっ、どうだろう。考えたこともなかった」
「これってさぁ、後悔の歌だとオレは思うんだよね。恋心がメインというより、自分自身の勇気のなさを悔やんでる歌」
そういう風な解釈はしていなかった。好きだった人の思い出を大切にしている「僕」の曲だと理解していたからだ。
「っていうか千歳って、好きな人いる?」
「え……いないよ。大我こそどうなのさ」
「秘密」
「人に聞いていてそれかよ」
ツッコミを入れたところで、静人がやってきた。僕はこの勢いのまま聞いてみることにした。
「おっ、静人! 静人って好きな人いる?」
「……急だね。秘密だよ」
「わっ、大我と同じこと言った」
まだ「サクラナミキ」の曲は流れていた。静人がパイプ椅子に腰掛けたところで、僕は静人に尋ねた。
「大我がさ、これは後悔の歌だって言うんだけど、静人はどう思う?」
「まあ、同意。ボクはこの曲、メロディは好きだけど、歌詞はそんなになんだよね。ボクなら好きな人にはちゃんと好きって伝えるから」
「……意外かも」
そして、前から気になっていたことを質問してみた。
「静人って何でそんなに髪伸ばしてるの?」
「ん? 特に理由はないよ。似合うから」
そう言いながら、静人はヘアゴムを外した。ぱさり、と黒髪が肩に落ちた。静人は自分の毛先を触りながら言った。
「そろそろ揃えなきゃな。綺麗に伸ばそうと思うと大変なんだよ。千歳も長髪似合うと思うけどな」
「僕は、その……女の子と間違われるのが嫌だから」
その流れで僕は、小学生時代陽希にいじられていたことを話した。女の子扱いしたら部をやめると脅したということも。
大我が言った。
「じゃあ、陽希のこと苦手だったわけ?」
「ぶっちゃけ……そうだったね」
「今は?」
「わかんない。嫌いではない、かな……」
本人のいないところで言うのも悪いとは思ったのだが、止まらなかった。
「ただ、こう、距離が近すぎるというか。昔からそうではあったんだけどさ。二人に対してはどうなの、陽希って」
静人と大我は顔を見合わせ、怪訝な顔をした。大我が言った。
「オレたちにはそうでもないよ。それは多分、その……言われたくないだろうけど、千歳が可愛いからやってるんだと思う」
「うう……やっぱりそれかぁ」
身長も顔立ちも変えることはできないし、どうすればいいんだ。
「僕、筋トレしようかな」
そういう発想にたどり着いた。我ながら安直である。ただ、静人がこう言ってくれた。
「ああ、確かにボーカリストが身体を鍛えるのはいいことだと思うよ。声がよく出るようになると思う」
「決めた。僕やる」
ラッシュに巻き込まれたくなかったので、早めに下校した。運良く電車で座ることができて、ふうっと一息ついてから思い出したのは、好きな人ができたらどうするのか、という大我の質問だった。
――僕は、伝えられない側だな。
まだその相手もいないというのに、断言できた。想いを伝えて受け取ってくれなかったら。そのリスクを考えると、伝えないまま好きでいる方が傷付かなくていいからだ。
――そうして、僕も、あの歌の「僕」のように後悔するのかもしれない。それでも。
僕はきっと、伝えない。
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