なんか異世界に飛ばされたので好き勝手生きるしオトモダチもたくさん作りたい

犬物語

序章

天才

「天才は天才だから天才って言われるんだ」


 機会音声特有のブツブツした声色で彼は言った。もちろん彼自身の声ではない。しかし、音声が奏でる落ち着いたトーンは、わたしがイメージする彼そのままの音色だった。


「でもさ、天才なんて相対的な評価でしかないんだよ? ちょこちょこ走り回るネズミが数式を解ければそのネズミは天才だし、自力で1時間陸上生活できる方法を編み出したイルカがいればそれも天才だ。じゃあ計算できるゴリラはどうかな?」


 私がこころの内で答える時間を与え、そして彼は続けた。


「そのような個体はけっこー世界中にいるから、まあかしこい子だねぇと褒められることはあるだろう。でもせいぜいちょっぴり豪華なエサをもらえるだけ。でも掛け算割り算ができるようになったらそれは天才ゴリラで、人間と空気を震わせてコミュニケーションできる犬がいたならそいつはやっぱり天才なんだよ」


「……っはは」


 彼の言葉に私は苦笑した。薄暗い実験室に、こんどは生身の音声が鳴り響く。ずいぶん長い付き合いとなるが、こいつはいつだって冗談がうまい。


「それはよぉく知ってるよ。ほんと、イヤってくらいに」


 私は、私が最も尊敬する存在に敬意を表した。こいつはそこらの常人相手だったら軽々論破できるようなフットワークがあるし、これまでにも我々の実験にこれ以上ないほど貢献してくれた。


 まさに天才だ。危ういほどの。


我々・・はまだまださらなる高みへ到達できる。いやそれだけでない。人類はこの技術を通して旅立たなければ……宇宙のさらにその先へ」


 ただひたすら理想を追求した眼差しがこちらに向けられる。どこか、心のうちを覗き込むような流し目を受け、私は幾分か息を飲む時間を欲した。


「キミはほんと、わたしたちの予想のはるか先を進んでいくよ。饒舌かつ常人にない語彙能力。他者に臆さず議論する思考、実直な姿勢、他者を疑わず、しかし鵜呑みにするでもない判断力。ほんと、キミがもし――」


「おべっかはよしてくれ」


 それ以上の言葉を彼は拒絶した。持ち上げたつもりはないのだが、彼にとってはあまり快い言葉ではなかったようだ。フンと鼻を鳴らし、天才は虚空を見上げた。


「もうすぐだ。この装置が完成すれば我々の願いが叶う」


 天才はなんとも言えぬ表情を作った。まさかそんな顔をできるのかと驚きつつ、私もまた虚空を見上げた。


 私と彼。両者の視線の先には、どこか割れた卵にも似た装置があった。






 その天才は類まれなる頭脳をもっていた。


 種としての知能をはるかに凌ぎ、多くの人間から驚愕と称賛と、そして畏怖を与えた。


 人間は天才の力を借り、多くの紆余曲折の末ひとつの装置を生み出した。


 それは異世界・・・への扉。いまある人類がさらなる飛躍を目指すための一歩。これまでの人間が積み上げた技術の粋。宇宙の原理さえ翻すその方舟は、しかし証明されぬまま実装された理論も多く、多くが二の足を踏んだ……そこで天才は被験者を募り安全性を確立させようと賭けに出たが、それでも壁が立ちふさがった。


 もちろん、これまでの実験で繰り返し被験者を旅立たせてきたが――かけがえのない家族・・をそのようなキケンな目に遭わせたくない。そんな声をイヤというほど耳にした天才は、ついに自ら被験者となる名乗りを上げその不安を払拭しようとした。


「このフタを閉めれば自動的に開始される。そうしたら旅路まであっという間だろう。その時は目を閉じたままでな。じゃないと一瞬で視力を失うことになる」


「……」


 彼は不満そうな表情でこちらを見てきた。言わんとしてることはわかる。さながら「いちいち言わなくていいよ。これはボクが作ったものなんだから」といったところか。


「わかってるよ。だからこそキミにだけはアイマスクをしてない」


 固定もしてない。暴れ出さないよう鎮静剤を打つなんてこともしてない。


「ただまあ、安全のためにシートベルトだけはしてもらうぞ?」


 言って、私は彼のお腹を固定していく。やたら見せつけてくるため息がなんとも生意気だった。


「緊張で声も出ないか? ――いや冗談だ。むしろ緊張してるのはこっちのほうなんだぞ? なにせこの実験が失敗したらキミは……なんて言うものじゃないな」


 最後の一本を固定し終えた私は、その場所から一歩引きスイッチを押した。卵型の装置のフタがゆっくりと降ろされていき、彼の姿はいち枚のガラス窓によって隔たれてしまった。


 もう後戻りはできない。ガラス越しの彼を見つめ、ガラスに手を触れ、私は天才が抱えているだろう決意に思いを馳せた。


「この装置は人類の夢だ……遠い将来が近い将来になる。そんな夢みたいな夢」


 とある実験場の一室。それなりに名を馳せた企業が、世界に向けプレゼンするため建築した研究所であるが故に、ここには多くの観客が集まり、ずらりと並んだ卵型の機械を興味深そうに見つめている。こちらとしては、まるで医療ドラマ手術室にいるような気分だ。実際、病院の手術室というのは偉い人たちが高みから見物できる設計になっているのだろうか?


 そこにはただの興味だけでなく、愛する家族を送り出した者もいるのだろう。心配するような表情をした人、新しい旅路へ期待をもっている人、彼と同じように機械に放り込まれた被験体を見比べている人、そんな被験体たちを卵に放り込んでいく私を恨めしく、あるいは興味深く眺めているなど様々だったが、いずれにせよ私がやることは変わらない。


 最後の個体を装置に固定し、私は最後のフタを閉じた。


「……さあ、はじめようか」


 人類のため、そしてかけがえのない友のために。



 私はすべての装置に繋がれた制御装置に手を伸ばした。演出のためか、いまこの実験場は薄暗い明かりだけが灯っていて、それはこちらから制御できない。いやスイッチはあるのだが切らぬよう"上"から指示されている。で、その明かりがさらに暗くなった。


 これじゃ手元が見えにくいじゃないか、なんて心の中で文句を言いつつ、私は上から指示された言葉をマイク越しにただただしゃべる。


「記念すべき日が訪れました」


 半分は言わされて、けど半分は本気だ。おそらく、この日は私がいちばん待ち望んでいた日だと思う。


「これより"シェル"の起動実験を執り行います。ご協力いただきました参加者に心から感謝申し上げると共に、我が研究所が誇る天才、ジーニアスがすべてを賭けて生み出したシェルの安全性を重ねて保証させていただきます」


 二言三言。ご協力いただきありがとうとか併設された博物館ではシェルの詳しい解説があるとか参加者には実験終了後においしいおやつがなどという冗談を述べていき、ありきたりな締めの言葉でもってくだらない話を終わらせる。我々は科学者であって弁論者ではないのだ。


「科学者は100%安全なんて言い切らんものだ……無事に帰ってこいよ」


 最上段にそびえるシェルに向け言葉を放つ。無駄なしゃべりをしてる最中、被検体はすでにコールドスリープに入っていて、あとはこちらのメインスイッチを作動させるだけだ。上からの無駄な演出によって見えにくくなった操作盤を確認しつつ、わたしは一際目立つ赤いスイッチに手を伸ばした。


 指に触れ、スイッチが食い込んでいく。その瞬間立ち並んでいたシェルからまっしろな煙が吹き出し、いかにも電源が作動しましたよと言いた気にシェルの輪郭が光を灯していく。こんな機能まったくの無駄ではあるが、やはり上からの指示でもあり、実は天才からの要望でもあった。


「なーにが"どうせならカッコイイ旅立ちにしたい"だ。排気量が増してなんも見えなくなってるじゃないか」


 まったく無駄な熱を生み出してくれる。ただでさえ排熱効率をよくしなきゃいけないのに、なんて言っても始まらない。私は各シェルの温度上昇を把握しつつ、ブゥンと唸り声をあげ始めたそれらの様子を確認していった。


「よし、起動はうまくいった。あとは――いや、なんだこれは?」


 ジーニアスのシェルだけ異様に温度上昇が見られる。


「バカな、あのシェルはジーニアスの要望でとくに冷却機能を向上してるはず。いや、とりあえず冷却を」


 オーバーヒートの心配はないが、初動からこのような温度ではいずれ不具合を起こす可能性が上がる。私は手動で冷却装置を作動させた。


「原因不明か。後で彼に確認を……バカな」


 温度が下がらない。


「どういうことだ?」


 各種パラメータを確認し、私はできるかぎりの手段を講じた。しかし温度上昇を抑えきれず、ジーニアスを搭載したシェルは異様なほどに排気熱を放出させていく。このままではオーバーヒートだけでなく内部温度の上昇もあり得る。それが意味するところは被験者の死だ。


「くそっ!」


 どうすることもできず、私は緊急停止装置に手を伸ばした。いや、手を伸ばそうとした。伸ばそうとしたところで、私は彼の言葉を聞いた。


「慌てないでください。ボクはだいじょうぶです」


 その言葉に驚愕し、私は彼のいるシェルに視線を向ける。そこにはコールドスリープされたはずの彼が目を開けこちらを見つめていた。


 人間を熟知した、ほんっとにクレバーな笑顔だった。その瞬間、私は彼が常々口にしていた言葉を思い出す。すべての同胞が天才と同じ領域まで到達してくれることを願うと。


「まさか」


 私は彼に届かないことを承知で、そして、その言葉が彼に届くことを承知で叫んだ。


「まさか、はじめからこれ・・を狙ってこの実験を提案したのか!!」


 その言葉に彼は応えず、ただちょっぴり恥ずかし気に、そして誇らし気に耳をぴくんと動かした。

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