譲り受けた高級車の助手席には先客がいたらしく。

渡貫とゐち

車内に地縛霊


 ベンツだった。

 高級車である。新品同様に綺麗で目立った傷もなく、使い込んだ形跡もない。なのに友人はこの高級車を俺に譲ってくれると言った。どういうつもりで? どういう狙いがあるんだ……?

 初期費用はかからないけど維持費はかかるから、それで俺の財布をボロボロにしてやろうという魂胆だろうか。けれど、高級車ならいざとなれば売ればいい。多少使ってもちゃんとした値段になるだろう。少なくとも裕福ではない俺にとっては端した金でも大金だった。


「本当に貰っていいのか?」

「いいって言っただろ。処分に困ってたんだ、だから車が欲しいって常々言ってたお前が真っ先に浮かんだから連絡した。飛びついてきたのはそっちだろう? なのに今更疑うのか?」

「いやだって……綺麗過ぎるだろう。丁寧に磨いて見た目だけ映えさせたとしても、あまりにも……。一回も乗ってないみたいじゃないか」

「一回は乗ったよ」


 それは乗っていない内に入る。

 開封だけしたみたいな……。それでも中古品にはなるから……新品ではなく新品同様、もしくは非常に良い、な商品だ。

 条件が良過ぎると嬉しさよりも怖さが勝るな……。それでも友人から譲ってくれる、というのであれば、知らない人から譲り受けるよりはマシか。


「爆発する?」

「しねえよ」


 するとしても言わないだろう。まあ、本当に爆発はしないだろうけどな。

 ちゃんと点検はされているらしいから、安全面に関しては信じてもいいだろう。

 じゃあ、なぜ新品同様の高級車を譲ろうと思ったのか、理由だけは聞いておかないといけない。まさか俺が受け取りやすいように、中古品にわざと落としたわけでもないだろう。新品だと受け取りづらいと言っても、中古品でもそれは変わらないし。


 あと、俺の誕生日でもない。

 プレゼントを贈り合う仲でもないのだから。


「で? なんで譲ってくれるんだよ」

「新しいのを買ったから」


 ――だった。

 金持ちというのは羽振りが良い。新モデルが出たら旧モデルは不要なのだ。

 ただ、目の前のベンツが旧モデルというわけではない。時間は経っているが新しいモデルだ。なのに手離すのか……?


「ポルシェに変えたんだよ」

「ほーん……なるほどなあ。それってさ、普通の車よりも速いの?」

「法定速度が変わったわけじゃないからな。速度も、普通の車が出せる速度だろうよ」


 一般車も高級車も性能面に差はない(快適さの違いはあるけど)。

 やはりブランドに大金を払っているだけか。


 乗ってしまえば、運転手は高級車だろうと見た目が分からない。内装が煌びやかってわけでもないし……そのへんは金持ちの趣味だから、良さは分からないなあ。

 これなら普通の自動車でよくないか? ……よくないのだろう。

 マウントの取り合い、見栄の張り合いの道具なのかもしれない。


 高級時計だって、時間が分かるのはどの時計も同じだ。秒針が早く回るわけでもない。

 時間は一定だ。いくら時計が高級で高性能だったところで、進む時間は同じ。ずれていたら時計としての価値はない。

 腕時計と言いながら時間がまったく分からない、というのは逆に面白いのかもしれないが。腕に巻く高級リストバンドだな。


 時間が分かればいいなら、高級時計だろうと数百円だろうと効果は同じだ。

 だから、車にしても、別のところに価値を見出している。

 速度ではなくエムブレム、か。


「貰うけどさ、初心者がいきなりベンツって、どうなんだ……? ガンガン当たるだろうから、もったいなくないか……?」

「高級車だろうと車なんだから、好きに使えばいいだろ。貸したわけじゃなく譲ったんだからどうするかはお前次第だ。大破しても怒ったりしねえって」

「大破したら俺は死んでるんだけどな……」


 座り心地を確かめようと、運転席の扉を開ける。

 高級感があるなー、と思ったのは高級車だからという先入観のせいか。


 運転席に乗り込んだ。


 ハンドルを握る。


 ふと隣を見た――目が合った。


「にゃっ!?」


 と、声を出したのは助手席に乗っていた少女の方だった。

 彼女は、慌てたものの、目を瞑ったと思えば、すぅ、と消えた……。


 幻覚だったのかな……?

 目を擦ってもう一度見ても、やっぱりもういなかった。

 ……でも、ハッキリと見えたんだけど……。


「どうした?」

「なんかいた……」

「いた? 猫でも隠れてたとか?」

 確かに、にゃっ、と言っていたけど……たぶん違う。


「……高校生くらいの、女の子だった……」

「あー? んだそりゃ。幻覚じゃねえの? おいおい、これから運転するのに幻覚が見えてるのはヤバイんだが、大丈夫か?」


 幻覚……か。うん、幻覚だな。女の子が見えただけで、見えているものが見えなくなったわけではない。目の前のものが見えていれば交通ルールは守れる。大丈夫だ。


「問題ないよ。仮にないはずのものが見えて急ブレーキをかけるなら、それはそれでいいんじゃないか? あるものが見えなくて突っ切ってしまうよりは事故にはならないだろ」

「追突されるなよ?」


 アドバイスを受け、その後、俺はベンツを走らせる。


 今日でこのベンツの所有者になったわけだ。手続きも済ませ、俺は自宅までドライブをすることにした。

 免許を取ったばかりで不安はあるけれど、まあ、道も広く交通量が多いわけでもない。ノロノロ運転でなければのんびりと運転しても迷惑ではないだろう。


 友人と別れてしばらく運転してから――

 ふと、隣を見る。


 さっき見えた幻覚がいた。

 やっぱり女の子だった。

 彼女は、ハッキリと透き通っていた。


「…………えっと……、君は?」

「この車に轢かれて死亡した被害者ですけど? わたし、地縛霊なんです。なのでこのベンツがいくところにわたしはついていきますが、文句ありますか?」

「…………」


 あいつ、言うべきことを隠してたな?

 新車を買ったから、と言っていたが、ようは事故を起こし殺人までした車の処分に困っていたから俺に譲っただけじゃねえか。

 確かに、スクラップにするには躊躇う綺麗さだったが……(仮にスクラップにしていたら幽霊の彼女が行き場を失ったかもしれないから、判断は良かったのか……?)。


 轢かれた、と言った。事故の傷は車体についていなかったけれど、丁寧に隠したのか、元々傷がついていたわけではなかったか、だ。

 人間を轢いただけなら傷がつかなかったとしてもおかしくはないか。女子高生なら、体が頑丈なわけでもない。それでも車体に傷のひとつくらい、ついてもよさそうなものだが。


「それは……災難だったね。ついてくることに文句はないよ。ないけど、成仏はしないの?」

「しませんよ」

「犯人に復讐したいから?」

「いえ。じゃなくて、まだ夢を叶えていませんから」

「夢って……幽霊になって叶えられる夢なんてあるの?」


 赤信号で止まる。

 後続車もいなかった。

 まるで世界に俺と彼女だけ、みたいな……。

 この世で言えば俺だけしかいない、みたいに閑静な道路だった。


「今なら叶えられるかもしれませんよ。――世界旅行。少なくとも日本全国は周りたいですね」

「…………」

「今の方がハードルは低いかもしれません。各地の観光スポットを見てから死にたいです」


 君はもう死んでるよ、とは言わなかった。

 彼女が言う死にたいは、成仏を指しているのだろうと分かったからだ。


 幽霊となった彼女は、ベンツから離れられない地縛霊となった。

 幸か不幸か、各地を周りたいという夢は叶えられるだろう。なら、浮遊霊でも叶えられたのでは? と思ってしまうが、それはそれで難しい部分もあるのだろうな。


 俺との出会いも彼女にとってはプラスになっている。

 各地を周りたい、というのはただ目的地に着けばいいわけではないし、その道中だって旅行の醍醐味だ。重要なのは過程とも言えた。

 浮遊して移動するのも楽しいが、彼女がしたかったのは人間としての旅行で、世界を周ることだろう。……ベンツを譲り受けた俺の役目か? この子がいることを分かった上で、友人は俺に譲った、わけではなさそうだ。


 義務はないが、このまま助手席に憑かれ続けられても困る。

 早々に成仏してもらわないとなあ……。


 というわけで、資金はあいつを脅迫(事故と被害者のことをネタに)して得ることにし――彼女の夢である全国一周を手伝ってあげようか。


「地縛霊ちゃん。今日はこれから暇だけど、どっかいきたいところでもある? 遠くへはいけないけど……」

「……全国を周っても成仏はしませんよ?」

「周ってから決めればいいんじゃないかな」


 地縛霊ちゃんは「それもそうですね」と肩の力を抜いた。

 やっとリラックスしてくれたらしい。だけどまだまだ、打ち解けてはいないだろう。

 旅の最中に、心を許してくれればそれでいい。


「……雷門」

「ちょっと待ってね、ナビで検索するから」


 まだ慣れない手つきで、備え付けられてあったカーナビを操作していると、地縛霊ちゃんが不審そうに聞いてくる。


「どうして構ってくれるんですか? せっかくの高級車にこんな幽霊がいたら嫌でしょう? お祓いすればいいのに……」

「まあ、そうなんだけど……ただ、俺って免許をさ、取ったばかりで不安なんだよ。君の力を借りるつもりはないけど、隣にいてくれるだけで結構安心するものなんだよな。だから……これは利害の一致だ。俺は運転に慣れるため、君は夢を叶えるため……お互い、目的が達成するまではこのベンツを共有しようじゃないか」


 嘘をついても仕方ないので、正直に言う。

 すると、地縛霊ちゃんがくすっと微笑んだ。


「わたし、カーナビ操作しますよ。運転手さんは運転に集中してください」

「あ、そう? じゃあ任せた」


 ところで、幽霊がカーナビを操作できるのかな……。


 地縛霊ちゃんがカーナビに触れる……触れてる?

 思った途端、カーナビがノイズ画面になった。

 壊れたか!? と思ったが、次の瞬間、カーナビは正常に起動し、目的地を表示している。


 …………このルートを信用していいのかな……。


 三途の川の橋を渡ったりしなければいいけれど。



「さて、いきましょう! 日本一周旅行です!」

「浮かれてるなあ。地縛霊でよかったね」



 その場に根憑いているから、そう簡単には、浮かばれない。




 …了

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