第37話
翔真の退院日までには、流星と簡単な手話でやり取りできるようになることを目標にした。期間を定めて勉強すると、想像以上に捗った。
目標のために隙間時間を活用して頭に叩き込む。
高校受験の時は塾に通い毎日のように勉強していたが、今回も負けないくらいテキストにかじりついていた。
手話に夢中になっている間はすべてを忘れて暗記と実践を繰り返した。
そうでないと、またよく分からない涙が零れそうだった。
毎日のように一華の家に訪れ、たまに祖母にも教える流星に感謝と申し訳なさを持つ。
「俺たち結構できるようになったよね」
紅茶とお菓子で休憩する。
流星は口を動かしながら手も動かすので一華は咀嚼を止めて真剣に流星の手を見つめる。
その眼差しにどきりとする。流星はこの時間が好きだった。手話で一華とコミュニケーションをとるとき、必ず真剣に流星と向き合う。流星だけを視界に入れて、集中している一華。翔真と手話をしてほしくないなと先のことを思い浮かべながら子どもみたいな独占欲が起き上がる。
「さっき翔真から連絡があってさ、明後日に退院するって」
そのメールは一華にも届いていた。翔真と会う日が近くなった。以前の自分なら翔真と会える日を心待ちにしていたが、今では会いたくないと後ろ向きになる。会いたい気持ちはあるが、できることなら会いたくない。翔真の前に立っても自分は俯いていることだろう。
自分のせいで怪我をした翔真に会いたくない。
失声したことを同情されたくないから会いたくない。
ずっと見舞いに行かなかったことを後ろめたいから会いたくない。
会いたくない理由はたくさんある。
「退院は昼頃だって。麗奈は先に行って荷物運びを手伝うらしいから、予定通り俺たちは退院する頃に行こうか」
一華が退院する瞬間を狙って行こうと思ったのは、一回くらい病室に足を運んでおかないと、と謎の使命感が働いたから。一度も病室を訪れず冬休み明けに顔を合わせるのは気まずい。そんな身勝手な理由が含まれている。
「冬休み明けたらまた学校かぁ。週五の学校通いはきついよね。週四でいいと思う」
学校にも行きたくないな。
仲良かった友達と、今までのように喋れない。手話は分かる人とだけコミュニケーションがとれる。彼女たちはこれから覚えるしかないが、そこまでして自分と関わりたいと思っているのだろうか。
もしそうだったとしても、暫くは流星が傍にいてくれるだろう。おんぶにだっこ状態で頼りすぎている自覚はある。しっかりしなければと心を入れ替えたのだが、それでも流星の服を摘まんで後ろを歩こうとしてしまう。心を入れ替えることができていない。
叫んで頭を抱えたくなる。
「手話の勉強が落ち着いたら、また二人で出掛けたいな」
不意打ちだった。
瞳に熱を宿してそう言われると、返答に困ってしまう。
あの告白以降、そういった事を言われていなかったので、このタイミングで言われたことで動揺する。
こういうときにどうすればいいのか、慣れていないので対応能力がない。
流星のことは友達として好きだ。
恋愛感情は翔真に対して抱いていて、流星には持ち合わせていない。
顔面が赤くなってしまうのは流星に恋愛感情を抱いているからではなく、羞恥心故だった。
「俺と二人だと嫌だったかな?」
嫌ではないので控え目に首を振る。
「よかった。じゃあまた二人で出掛けようね」
嫌ではないと答えたばかりなので、今度は首を縦に振る。
手話を始めてから徐々に流星が、好きを隠さなくなった気がする。
一緒に動画を見る時は数ミリで触れ合う距離。勉強中に顔を上げると何度も目が合う。
初めて男性から示される好意に心臓が跳ねてしまう。
免疫がいかに大事かを学んだ。
「明後日が翔真の退院で、冬休み最後か。寂しいね」
また四人での学校生活が始まる。つい数日まで自分と一華だけの空間だったのに、三日後にはそこに翔真もいる。幼馴染故に二人は休日も二人で過ごす日が多いだろう。平日は四人、休日は翔真と二人。翔真が事故に遭った日も二人で映画館へ行く約束をしていたと話していた。そんな中に割り込む隙間があるのか。あってほしい。
翔真から掻っ攫いたい。
日に日に増していく欲求はいつか叶うのだろうか。
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