第30話

 旅館の部屋に向かう途中、すれ違った女将はやけに早く戻ってきたなと疑問を抱いた。深刻そうな流星の表情から、そっとしておくのが一番だと会釈だけして仕事に戻る。

 あの年頃の男女は悩みが多い。失恋でもしたのだろうか。夕飯時には元気になっているといいな。


 二人は部屋に戻ると、テーブルを挟み向かい合う。

 コンビニで買おうと思っていた昼食は、流星が何も購入しなかったため一華が勝手に流星の分までいくつか選んだ。袋をテーブルに置き、中からおにぎりやサラダを取り出す。

 流星の好みを知らなかったので、テーブルの真ん中に集め、好きに取れるような形をとった。その中からおにぎりを一つ取り、開封して流星より先に食べる。おにぎりは昆布が一番好きだ。残るはツナマヨと梅と明太子。偏見だが流星はツナマヨを選びそうだ。ひっくり返っているおにぎりを、ツナマヨという文字が見えるように置き治す。


 片手を頭に当てている流星は、頭痛が酷いのだろうか。なんて、鈍感なフリをしてみたが、きっと声のことで悩んでいるのだろう。

 翔真の足と一華の声を天秤にかけ、どうしようかと悩んでいる。

 流星が悩んでもどうすることもできないのに。


 ぱりぱりと海苔の音が部屋に響き、三分の二を食べたところで流星は大きなため息をこぼした。


「大丈夫?」


 何故声を失う自分よりも流星の方が深刻そうにしているのか。

目の前に自分以上に深刻そうにしている人がいると、自分は案外冷静になるのだなと一つ発見をした。

不安な様子はなく、けろっとしながらおにぎりを貪る一華は流星にとって呆れるほかなかった。


「なんでそんなに冷静なんだよ」

「なんでそんなに深刻そうなの?」


 流星は関係ないが、友達という立場故に深刻になっている。流星は優しいな、とおにぎりを頬張りながらぼんやり思った。


「俺は、翔真の足と引き換えに翔真の声を失くすものだと思ってた」

「うん」

「一華ちゃんが傷つくことない」

「うん」

「俺は、その、俺は」


 言い淀んでしまう。

 あぁ、嫌だ。

 悩んでいるように見えない一華は、答えが出ているようなものだった。

 ここへは翔真の足を治しに来た。それは、一華が望んだからだ。

 自分が口出しするような立場にないけれど、どうしても、我慢できない。


「俺は、一華ちゃんに傷ついてほしくない」

「うん?」


 鍵を閉めて奥底に閉じ込めていたものが、むくむくと膨らみ、鍵を壊そうとしている。

 きっと嫌われてしまう。折角仲良くなって、良い関係を築けているのに、嫌われたくない。この関係を壊したくない。

 そう思うが、自分が何も言わなければきっと一華は翔真のために捧げてしまうだろう。


「帰ろう、一華ちゃん」

「え?」

「もう帰ろう」


 情けなく、今にも泣きそうな声。

 一華の顔を見ることができず、テーブルの木目から逸らせない。


 流星は戸惑っている。今まで一緒に魔女探しをして、翔真のためにあちこち歩き回った片割れが、悪く言えば生贄になろうとしている。阻止したいのは当然だと納得する。

 それと同時に、とても良い友人を持ったなと誇らしくもある。


「翔真のためにここまで来たのは分かってる。でも、一華ちゃんが傷つくことはないよ」

「ありがとう」

「だから、帰ろう」

「ううん」

「声が出なくなったら困るだろ、帰ろう」

「翔真のために来て、魔女に会えて、このまま帰るわけにはいかないよ」

「翔真の足はさ、色んな病院で治す方法を探したらいいよ」

「治らないって、言ってたじゃん」

「あの病院の医者が無能なだけかもしれないだろ」

「でも大きい病院だよ」

「都会の病院の方が大きいよ」

「翔真の足を治せる方法が、目の前にあるんだよ」

「翔真の足より一華の方が大事だろ!」


 思わず声を荒げてしまう。

 いつもなら一華ちゃんと呼んでいたところを一華と呼び捨てにしたことで、流星の本気度が顔を出す。


「一緒に帰ろうよ」


 流星の声は切実だった。

 自分以上に傷ついているのではと思わせるような痛々しさがあった。

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